高速族


 滑らかだった自動車の流れがいつしか滞りはじめ、やがてまったく進めなくなってしまった。渋滞であった。
「一ミリも進まないなあ」
 ぼくは時計を見てひとりごちた。
 助手席に置いた木箱からカセットテープを一本取り出し、デッキに入れた。ラジオから流れていたピアノ曲が途絶え、かわりにかなりの音量でけたたましいハードロックが始まった。
 煙草を咥えた。左の靴を脱ぎフロントボードにその足を投げ出すと、煙草に火を点けてぼんやりと前方を眺める。すぐ前の車は親子だろうか、運転席に父親、後部座席には小さな男の子の頭が見えた。その向こうは遥かに続く車の列。少し前まではぼくの車が最後尾であったが、いまや後方にもぎっしり車が詰まっていた。
 前の車の男の子はあきらかに退屈している様子で、頭をごんごんとシートにぶつけている。やがて父親が振り返り、男の子に何か言った。止せとでも言われたのだろうか、男の子は頭をぶつけるのをやめた。今度は、男の子は体をひねらせて後ろを向いた。五歳くらいの子だった。退屈そうな表情であった。眼が合った。ぼくはちょっと手を振り、笑いかけてやった。途端に男の子の表情がぱっと明るくなり、手を振り返してきた。
 退屈を紛らわせる恰好の遊び相手の発見だったようだ。男の子は嬉々として、手を振り続けている。仕方なしにぼくも手を振り続けた。男の子の突然のはしゃぎように父親が後ろを振り返った。彼は、息子に手を振っているぼくに気付き、微笑ん
でちょっと会釈をし再び前に向きなおった。
 男の子は人差し指を立ててぼくを指差し次に自身を指差すと、手をかざして順にグー、チョキ、パーの形を作った。どうやらじゃんけんをやろうという意味のようだった。ぼくは頷きながら、親指と人差し指を丸めてOKのサインを示してやった。
 じゃんけん、ぽん。
 じゃんけん、ぽん。
 あいこで、しょ。
 じゃんけん、ぽん。
 何度めかのじゃんけんの後、ぼくは人差し指を突き出してそれを下に向けた。
「あっち向いてホイ」をやろうという意味だった。男の子はそれがどういうことか
判らずに小首を傾げていたが、すぐにその意味を理解したようにこくりこくりと何度も頷いた。
「あっち向いてホイ」を続けるうち、じりじりと車の群れが前進しはじめた。カセットテープの片面が終る頃には渋滞はほとんど解消されていた。ぼくは男の子に手を振ると一気に速度を増してその車を追い越した。追い越しながら見ると、父親が軽く会釈をしていた。男の子が小刻みに手を振っていた。
 陽が傾きかけていた。

 サービス・エリアのテーブルで、煙草をくゆらせながらコーヒーを飲んでいると「おにいちゃん」と声が掛けられた。見ると、先ほどの父子が立ってた。
「さっきはどうも」と父親は向かいに腰をおろした。ぼくより十歳ほど年上に見えた。
「事故渋滞だったようですね」ぼくは言った。
 男は頷いてから、息子に「アキラ、飲み物を買ってきてくれるか。お父さんはコーヒーな」と小銭を握らせた。男の子は、うん、と首を下げると自動販売機のある一劃へ駈けて行った。
「あいつが、」と父親はちょっと顎を傾けて息子を指した。「退屈しきってたもんで、さっきは助かりました」
「いえいえ」ぼくは少し恐縮して答えた。
「車の中じゃ眼を悪くするといかんので、絵本も見せられなくて。本当に助かりました」
 男は屈託のない笑顔でそう言った。
「どちらへ行かれるのですか」
「……大分のほうなんですがね」と男は答えた。
 里帰りなのだろう。
「それじゃ、まだまだ先は長いんですね。大変だ」
「ええ、大変です」と言う男の表情が何故かふと翳ったような気がした。
 男の子がコーヒーとオレンジ・ジュースの罐を抱えて戻ってきた。
「アキラくん、っていうのか。アキラくん、じゃんけんが強いな」とぼくが話し掛けると、アキラは嬉しそうに「うん」と笑った。
「あなたはどちらまで」男が訊ねた。
「夏休みを利用して、東京の友達のところに遊びに行ってきましてね。それで神戸へ戻る途中なんです」
「パパ。あっちの方、見てきてもいい」とアキラが売店を指差し、父親に訊いた。
「建物の外には出るなよ」
「わかった」
 アキラは売店に向かって走り出した。
 父親はそれを見送ったあと、ふいに神妙な顔つきになってぼくに向き直った。
「ところで、あなた。高速族というのをご存じですか」
 ぼくはその真剣な表情に少し戸惑って訊き返した。
「高速族、ですか」
 男はゆっくり頷いた。
「……いえ、知らないです」
 そう答えると、男はあきらかに失望した様子で「そうですか……」と言った。
 ぼくは興味を惹かれた。「何ですか、その高速族というのは」
 男は困ったような表情になった。
「暴走族、とか、そういったものですか」
 とぼくが言うと、男は少しためらった後、声をひそめて話し出した。

 男の話は次のようなものだった。
「高速族」とは一言でいうなら「高速道路で生きる人々」である。といってもグループをなしているわけではない。むしろ極めて個人的なものだ。一台の自動車がひとつの「高速族」であり、個々の「高速族」の間には繋がりや連帯があるわけでは
ない。だから、「族」という言い方は適切ではないかもしれない。ひとりっきりの者もいれば、家族ぐるみで高速族になったものもいる。彼らはそれまでのすべての生活をなげうって、高速族として生きている。彼らはそれぞれに、高速道路だけに生きている。一日中を、いや、一年中を高速道路の上で暮らすのだ。
 高速族は一日の大半を道路を走る事に費やす。そして、睡眠や食事はサービス・エリアで行うのだ。トイレ、食堂、売店、ガソリン・スタンド。生活に必要なものはすべてサービス・エリアで賄える。カプセル・ベッドやコイン・ランドリー、浴場まであるのだから。
 ぼくには男の話が信じられなかった。
「しかし、」ぼくは言った。
「仮にそういう人たちが存在するとしても、彼らはどうやって生計を立てているのですか。つまり、一日中高速道路を走っているなら、収入源がないわけでしょう」
「そうです」男は声を低くした。
「ですから、彼らは全財産を携えて高速族となるのです」
「それにしても、働かないといつかは金も尽きてしまいますよ」
「サービス・エリアなどで働いているものもいるようです。金がなくなると、働く。金が貯まると、また走って暮らす。その繰りかえしですね」
 男は辺りを見回し、一段と声をひそめた。
「中には、盗みを働く者もいると聞きます。ほら、深夜のサービス・エリアではテーブルに突っ伏して仮眠をとっている人がいるでしょう。それを狙って置き引きなどをするようです……」
 ぼくはわけが判らなくなった。
「それにしても、そういった人びとは何のためにそんな生活をするのですか。車が好きで、走るのが好きで堪らないようなカーマニアなのでしょうか」
 男は首を横に振った。
「いや、そういうことでもないようです。現にうちの妻が……。運転がそれほど好きでなかった妻が、高速族になったのですから……」

 ぼくは茫然として男の話を聞いていた。
「……一年くらい前でした。私が会社から帰ると、家には息子がひとりでいました。ママはどうした、と訊ねると、用事があるからと出ていったと言う。居間のテーブルの上に妻の置き手紙がありました。ごめんなさい、私は高速族になります、決してあなたを嫌いになったのではありません、探さないでください、というような事が書いてありました。私はうろたえました。高速族なんて聞いたこともなかった。男でもできて駆け落ちしたのではないか、とも考えました。しかし、こういうのも何ですが、私と妻は本当に愛しあっていたのです。ほんとうに幸せな家庭を築いていたのです。
 それから、いろいろ手を尽くして調べて行くうちに、高速族というものが本当に存在することが判ってきました。今お話したような奇妙な集団、いや、人びとが実在することがわかってきたのです。高速族になる人びとには何ら共通するものがありません。一流企業の管理職、作家、中学教師、ゲイバーの支配人、老人、主婦、学生。それまで普通に生活していた人がある時、突然に高速族となってしまうので
す。
 妻が消えて一と月ほど経って、妻から手紙が届きました。私は元気だから心配しないでくれ、アキラをよろしく頼む、というような内容でした。それからも、何週間かごとに手紙が届くようになりました。いつも同じような文面ですが、消印は手紙ごとに違っていました。福岡であったり、次には滋賀であったり……。
 私は新しい車を買って――持っていた車は妻が乗っていってしまいましたから――会社が休みの土日を利用したり、有給を取ったりして、手紙の消印を頼りに妻を探すようになったのです」
「それで、何か、奥さんの手掛かりは」
「いや、まだ何もありません……」
 男は黙り込んだ。
 ぼくには何と言っていいのか判らなかった。
 しばしの沈黙の後、男の顔が明るくなり、照れたような笑いを浮かべて言った。
「ああ、すみません。こんな話をしてしまって……」
「いえ、そんな」
「でも、私はいつかはきっと妻に逢えると思っています。確信しています」
 男はちょっと間をおいてから続けた。
「それに、最近は何となくですが、妻の、いや、高速族という人びとの気持ちが判るような気がしてきたんです」
「パパ」と叫んでアキラが戻ってきた。
「そろそろ、行こうか」と、父親は息子にいかにも優しく微笑んだ。
「アキラくん」とぼくは呼び掛けた。
「じゃんけん」拳をかまえて言った。「ぽん」
 アキラはグーを、ぼくはチョキを出した。
「アッチむいてぇ」アキラが指を突き出す。
「ホイッ」その指が上を向く。ぼくも上を向いていた。
「負けちゃったなあ」
 そう言うとアキラは楽しそうに笑った。
「それでは」と、二人は歩き出した。
「お気を付けて」後ろ姿に声を掛けると、男は頭を下げた。「あなたもお気を付けて」
「バイバイ」アキラが言った。
 ぼくその後もしばらく椅子に座ったまま、ぼんやりと二人を見送っていた。
 ぼちぼちと陽が暮れかけていた。

 高速族が社会問題となりはじめたのは、それから一年も経ったころだろうか。
 最近では、雑誌やテレビのワイド・ショーなどでも騒がれはじめた。君も何らかの形で高速族の噂を耳にしたことがあるだろう。
 あの日、男の話を聞いてから、ぼくはずっと「高速族」のことを考えてきた。
 いま、やっとぼくには高速族というひとびとのことが理解できた気がする。
 彼らは、「ことば」に絶望した連中なのだ。「ことば」によって成立しているこ
の社会に絶望した連中なのだ。高速族という生き方は、「ことば」から離れて生活することなのだ。
 あの男の妻は、その意味で完全に「高速族」になりきっていなかったのだろう。男に手紙を送り続けていたのだからね。
 この手紙はぼくの最後の「ことば」となるであろう。ぼくは、これを君に宛てて投函したらすぐに高速道路に向かって車を走らせるつもりだ。もちろん、高速族になるためにだ。ぼくも「ことば」には絶望しきっているからね。
 これから先、もっと高速族は増えてゆくことと思う。君もそのうち高速族になる日がくるかもしれない。
 それでは。


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文責:keith中村
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