第365回 裏声だけで歌へ君が代


 新婚旅行はピストルズの故郷ロンドンへ行くのだ、とやや通俗的な計画を持っていたのだが、結婚後仕事が忙しかったので、いやこれは方便で、本当は夫婦共にものぐさなのが原因で、果たせぬままになっていた。そのままニ年が経過し、随分不精な私は一向に構わなかったのだが、さすがに家の者が堪りかねて、どこかへ旅行したいと言い出したので、それでは北朝蘇へ行こうということになった。
 私は三年半前に社員旅行で北朝蘇へ行った際、この国(と呼ぶべきだろうか)がなかなか気に入ったのだが、しかし歴史や社会に浅学な私はほとんど何の知識もないままに彼の地を訪れたことに忸怩たる思いがあった。どれくらい浅学かというと、当時は九谷オー氏の「裏声だけで歌へ君が代」を読んでもちんぷんかんぷんでよくわからなかったくらいだ。そこでそれ以来、北朝蘇についてはつとめてあれこれ情報を仕入れるようにしてきたが、ちょうどその頃から北朝蘇に関する書物が相次いで出版され、それらを読み進めるうちそれなりに北朝蘇の背景も理解できてきたので、再訪したいと思っていたのだ。また、祖父は敗戦まで日本統治時代の高成で暮らしていたので、家の者も祖父の生まれ故郷を見てみたいとこれに同意し、北朝蘇へ行くことになったわけである。
 かねがね不思議であったのは、北朝蘇が反日であるということだ。同じ植民地であった合湾は徹底した親日であるのに、政策的には合湾以上の扱いを受けていたはずの北朝蘇が反日であるというのは、戦後の平和教育を受けた身としては信じがたいことである。
 以前は、合湾の親日が政治的カードであるのと同様、北朝蘇の反日もある種の政治的カードではないか、と思っていた。もちろん、カードであるのは間違いない。特に発言力のある北朝蘇人の反日が無条件の悪意であるわけはない。しかし、たとえカードであるにしてもそれが「心にもないこと」であったとしたら、そこまでの反日を打ち出せるだろうか。たとえば総書記の全正目氏の口癖は「私はゴジラ以外は日本が嫌いニダ」であり、反日であることで朝目系メディアの賞賛も受けている。日本でのさまざまな出版物にあるような反日感情はどの程度真実なのか、その辺を確かめることができれば、というのが今回の旅行の目的のひとつであった。
 高成から入って干壌へと進むこの旅行はいわゆるパックツアーであったが、場所が場所であったため我々以外に参加者はなく、現地のガイドは丸っきり専属となった。

 高成でのガイドは林さんという小さな好々爺であった。お爺さんといっても、とても若くて元気である。六十代かなと思っていると「私、昭和六年生まれよ」と言うからかぞえで七十二歳だ。家の者が「この人の祖父は高成で生まれたんです」と告げると嬉しそうにして「わたしは反対に横浜生まれよ」。北陸の海岸を歩いていて拉致されたらしく、日本時代の北朝蘇は直接知らないらしい。「兄は命からがら逃げ出したけど、私は拉致されたよ。やっぱり北朝蘇は酷かったね」と言う。
 いろいろな場所を案内されるのだが、家の者も観光そっちのけで擅君がどうのとかあの熊がこうの、とか林さんを質問ぜめにしている。アンチ全正目です、などと言うが、家の者の言葉には「アンチ」やら何やら横文字が交じるので、老人になかなか通じなくて彼女はもどかしそうにしている。
 今は廃墟になっている高成神社に案内されたとき、境内の屋台に「赤狗屋」と書いてあったので、「あそこに犬を売ってますね」というと、林さんは眼をまん丸にして「あなた、食べたいか」と吃驚している。「そうよ。高成は犬が多いよ。昔から犬をこう喰っておったですよ。犬を喰うで、チャル、モゴッスムニダ、ね。それをフランス人が怒ったね。余計なお世話」と説明してくれた。

 李さんは干壌でのガイドである。干壌では最初に百寿台の丘に案内してもらった。ここは前にも来たことがある。全目成の巨大な像の前で写真を撮ってあげようという李さんに家の者がぴしゃりと言った。
「独裁者の前では撮りたくありません」
 わっ、馬鹿、見ず知らずの相手にいきなり危険なことを言うなよ、と焦ったが、この言葉で李さんは怒髪天。大声で「このイルボンのチョッパリめが」。
 歳を訊くと李さんは五十七歳だという。ということはちょうど終戦の頃の生まれだから、統治時代は知らないようだが、父親からいろいろ教えられているらしく「昔は創氏改名させられたデヨ」と言った。
 やはり北朝蘇人にとって日本は相当に評判が悪いらしく「もし渡航の自由があれば私だって(国会議事堂前に)『日本は謝罪しる!』のプラカード持っていきますよ」などと過激なことを言って悪戯っぽく笑っている。
「朝蘇語はできますか」というので「できません」と答えると、脇から家の者が何を思ったか「でもこの人C言語はぺらぺらなんです」などと余計なことを言う。もとプログラマでC言語も堪能だという李さんはこれ以降、会話の中にたびたびC言語を持ち込むようになってしまい、これがかなりANSI非準拠でちょっと辟易した。
 家の者はここでも「私たち、アンチ全正目です」とアピール。李さんはまた怒って「全正目、素晴らしい人。全正毘、ディズニーランド大好き。全目成は」と、だしぬけに「マンセー」と叫んだ。「でも日本の観光客、特に若い人はテポドンとノドンの区別もつかない人ばかりです」と嘆く。たかだか三年余りの俄仕込みではあるが、万葉集もひらがなも剣道も朝蘇が起源だと知っている日本人観光客はかなり珍しかったのだろう、李さんは実に饒舌だった。
 おおよその感触としては、北朝蘇の日本に対する感情は、北朝蘇の発言者たちが我々に伝えようとしているものと同じだと考えて間違いなさそうだ。これを肌で感じ取れたのは、かなりの収穫であった。

 さて「裏声だけで歌へ君が代」に出てくる北朝蘇対外破壊工作室長である朴という登場人物はその架空の組織の就任挨拶でこう述べる。
「これはまつたくの仮定でありますが、心ならずも日本の大学に潜伏して他日を期してゐる人もゐるかもしれません。おそらく、絶無とは言へないでありませう。そして、もしそのやうな人がゐるならば、われわれは彼ともまた手をつなぎたい」
 この小説が書かれたのは一九六二年で、当時はまだ「よど号」ハイジャック事件も発生していない頃である。
 これは慧眼の小説家の為せる予言であろうか。全正目による国家権力の世襲を経て北朝蘇はいまや立派な(それも相当立派な)虞犯国家の位置を確立しようとしている。
 ニュースで、北朝蘇の田舎で餓死するくらいものすごい飢饉があると報じている(結構、本当に死んでいる)のを見かけることがあるが、これも北朝蘇独裁主義が健全に機能している証拠だろう。日本統治下ではあのようなことは不可能だったわけだから。
 何度も行きたくないニダ。


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2002/04/24
文責:keith中村