第97回 どうだろ


 職場に行くと、「昨日のは大きかったねえ」と言われた。「そうでしたねえ」と取り敢えず返答したものの何のことやらさっぱり解らない。曖昧な笑いを残しつつ、「昨日の」とはいったい何を表すのか考えてみた。
  1.態度
  2.魚
  3.サイクラミン酸
 まず、1.ではない気がする。そもそも私は目下の者に対してはこの上なく尊大な人間であるが、目上の者に対してはとことんへりくだるという素晴らしい人格の持ち主であるのだ。逃した魚は大きいという慣用句があるけれど、だからといって「大きい」から2.を連想するのはガッツ石松以下であろう。だいいち誰も釣りになんか行ってやしない。3.は、それが何ものなのかすら知らない。いったい何だそれは。
 要するに地震だったらしいのだ。大阪では大きめの震度三。ちっとも知らなかった。夜の八時半ごろだったようで、思い起こせばその時間は昼寝をしていた。昼寝という時間でもないが。ちょうど起きたくらいの時間だ。時計を見て、ああ、早くしないとカレー屋が閉まる、と思いあたふたと出掛けたので覚えている。ということは私は地震によって、しかしそれとは知らずに眼ざめたのだな。しばらく適当に相槌を打ってから「ところで何の話ですか」と質問したのでかなり呆れられてしまった。眠っていて気づかなかったと言ったら更に呆れられてしまった。恐るべし、地震。
 それにしてもここのところ落ち着かない天候が続く。今日も小糠が降っていた。道を歩いていると楚々としたご婦人が歩いてくる。傘を差しているのだが、見れば骨が一本折れて跳ね上がっておる。思うにこの世で傘の骨が折れていることほど人を格好悪く見せるものはちょっと想像できないのではあるまいか。私はすぐに傘を失くす癖があるため、安価なビニール傘を好んで使っているのだが、それでも骨が折れておったり或いは生地が骨から外れておったりすると大変気になる。何とも言えぬ情けない気分になってしまい、何となく弱気になる。
「折れててすみません」
などという憂鬱な気持ちに支配されて、こそこそ、という後ろめたい歩みになってしまうのだ。だのにかのご婦人は平然と歩を進めておられる。いかにも上品そうな女子の人であるため、その落差が大きく厭でも眼につくのだ。どういうことかと考えてみた。
  1.骨が折れているのに気づいていない。
  2.実はそういう傘であった。
  3.実はそういう人であった。
 1.の可能性が高い。だからと言って「もしもし、傘の骨が折れておりまする」などと教えてあげるのはちょっとどうかと思うし、ご婦人とてそれを指摘されたとてその場でどうすることもできぬだろう。「ええ。そういうデザインの傘ですのよ。おフランスで流行しておりますの。おほほほ」などと返答されぬとも限らぬ。すなわち2.の場合である。もっとも今どき「おフランス」などという言葉を話す人がいるとは考えられぬけれど。3.だったらどうだ。「ええ。そういう人ですのよ、わたくし。けけけけけ」これは、怖いのでこれ以上考えないようにしよう。
 さて、誰しも仕事の上で電話する際には利き腕にペンを持つであろう。要件を書き留める目的である。ところが、さて電話を終えて机上のメモを眺めるとこれはどうしたことか、不思議な記号が書き込まれていることが往々にしてある。何十回もなぞられた二等辺三角形の中に美しいグラデーションがかかっておるものや、ぶつぶつのついた薄気味悪いボール状のものやら、毛の生えた円筒様のものやら、恐らくどらえもんであろうな、と辛うじて判別できるものやら、羽の生えた串団子が三本ほど宙を舞っているものやら。
「はて、これは何だ」
 確かに自分の手になるものの筈なのだが、はた、と考え込むことになる。そういう経験はおありではないか。しかも、その謎めいた記号の端っこのほうに、「四菱リース 田中さん 見積り 金曜」とあり、田中さんから出た矢印がぶつぶつのついたボールに刺さっていたり、「金曜」という文字がぎらぎらっと光るような効果に縁取られていたりすることだってある。あれはいったい何なのだろう。
  1.落書き
  2.宇宙からのメッセージ
  3.動物霊による一時的な憑依
 ちょっとどうだろ、というような三択ではある。申し訳ない。
 こういった落書きを英語では doodle というらしい。そんなものにまで専用の名詞があるというのだから、英語は恐ろしい。そういえば「ヤンキー・ドゥードル」という歌がある。「ヤンキー・ドゥードル・ダンディー」というジェームス・キャグニイ主演のミュージカルもあった。コンピュータ・ウイルスにもかつて「ヤンキー・ドゥードル」というものがあったが、これはこの歌のメロディーを奏でるものであった。この「ヤンキー・ドゥードル」という歌は日本では「アルプス一万尺」という方が通りがいいようだ。
「アルプス一万尺なになにの上でアルペン踊りをさあ踊りましょう。あっ。ほい」
 この歌は楽しい気分で歌われることが多く、いい咽喉を朗々と聴かせるような歌い方は滅多にされないものであるが、楽しい唄い方というのは半ばやけくそ気味に声を張り上げるものであるわけで、そういうものを聞いても私には「なになに」の部分がよく聞きとれない。考えられる可能性は3つある。
  1.小槍
  2.仔山羊
  3.蚊遣り
 1.を実行するのは修験者ででもなければ不可能に近いし、2.は余りにも可哀想であり尚かつ迷惑でもある。3.はその上で踊るには小さ過ぎる。おまけに大抵は豚の意匠になっているのだよ。それはそれでもよいのだが、結局どれも相応しくはないのだ。
 主よ。彼らは何の上で踊っているのですか。
 どうだろ、と、ドゥードルはやはり余り似ていなかったなと思いつつ今回は筆を擱く。それにしても我ながら、主よ、は大袈裟であるなあ。


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1998/04/24
文責:keith中村
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