第91回 悲しくてやり切れない


「コロンブスの卵」という挿話がある。卵を割って立てるというあれだ。この挿話が嘘であるとご存知の方も多いかと思う。しかし、これは嘘でもあり真実でもあるのだ。というのも、コロンブスは確かにこの話にあるようなことはやっていない。彼とほぼ同じ時代のイタリアにフィッリッポ・ブルネレスキという建築家がいるのだが、実は卵を立てたのはこのブルネレスキなのである。
 ピサの斜塔の上から大小二つの金属球を落下させて、それらが同時に地面にたどり着くことを証明してみせた。ガリレオ・ガリレイのおこなった実験として有名な話である。これも作り話であると言われている。だが、やはりこの実験はおこなわれており、ただしそれはガリレオによってではなく名前は失念したが別の学者によってなのである。
 アイザック・ニュートンは林檎の実が落ちるのを見て万有引力の法則を発見した。あまりにも有名な逸話である。そしてこれもまたニュートンではないのである。本当はこれはスティーブ・ジョブズなのであった。すまぬ。これは嘘だ。
 これらの事例から浮かび上がってくる事実は「ある時代にさまざまな人間がおこなった物事は、その分野を代表するひとりの人間に集約されて語り継がれてゆくものである」ということだ。
 武藏坊弁慶は実在しない、あれは義経の家来の集合体のイメージだ、というのも同じものである。日本文学を代表する西鶴に作品が余りに少ないのは西洋諸国に対して恥ずかしいじゃないか、ええいあれもこれもすべて西鶴作ということにしてしまえ、というのが明治の欧化政策の一環にあるが、これとて然りである。
 さて、時代をぐっと近づけてみる。
 ビートルズ、とりわけジョン・レノンはもはや伝説となっておる。もっとも彼あるいは彼らはその活動中乃至は生存中からすでに伝説であったわけなのだが。
 ジョン・レノンにまつわる伝説は数え切れないくらい存在するのだが、有名なものをいくつかひいてみる。
 いわく、まだアマチュアの、キャバーン時代のジョン・レノンは便座を首にかけてステージに立った。これはパンクのはしりである。
 いわく、ジョンがアンプの直前でギターの弦を弾いたら何とも奇妙な音がした。おもしろがったジョンはこれを「アイ・フィール・ファイン」に採用した。これがフィードバック奏法の元祖である。
 いわく、「ヘルター・スケルター」は世界で初めての「ハードロック/ヘビーメタル」である。
 そういえば、ハイハットを8ビートで刻みながらズンタン、ズンタンとバスドラ、スネアを叩くというロックの基本はリンゴ・スターの発明だという話もある。かなり疑わしいものだが。何せ、リンゴであるし。
 ビートルズを聴く人も最近の世代では減ってきたようである。昨今は教科書に載っておるわけだから、それが原因かも知れぬ。私だって教科書に載るような作家は決して読まなかったし。それで、若い人と話していると、ジョン・レノンについては「ファンに射殺された人」ということはたいてい知っておるようであるが、それ以外はかなり怪しい。他のミュージシャンのエピソードをごちゃまぜに覚えている場合が多いのだ。
 これまでにいちばん吃驚したのは、この発言である。
「確か、ステージでウンコ食べる人ですよね」
 ものすごいことになっている。
 その人の頭にはジョン・レノンは「ステージで大便を食する人」と認識されているのだ。これはちょっとしたものである。何ということだ。ジョンだって浮かばれやしないよ。
 ご存知の方もいようが、もちろんステージで大便を頬張るのはフランク・ザッパである。フランク・ザッパといえば東京タワーに何故かその蝋人形があるということでも有名なミュージシャンであるが、東京タワーにある彼の蝋人形の頭上に模型の巻き糞を乗っける悪戯が後を絶たないとも仄聞する。
 私は考えるのだが、もう数十年もすれば現在のミュージシャンのあまたのエピソードは全てジョン・レノンのものとして喧伝されてしまうのではなかろうか。
「ジョン・レノン。ああ、たしかギャートルズというバンドにいた人ですよね。観客に豚の生首投げ付けたり、ステージでオナニーぶっこいて観客に精子ぶっかけたり、それからギターを歯で弾いたり火つけて燃やしたり、ナイフでピアノ弾いたり。確かお猿さんも飼ってましたよね。オリバー君でしたっけ。それから、イギリスの皇太子妃が死んだときには便乗して唄って儲けて、公文式とやらいう学習塾やってサーの称号まで貰ったんだけど、晩年は落魄して『かに道楽』のコマソン作ったりズラつけたり、ああ、そうそう座布団運んだりもしたんですよね。で、最後には墜落する飛行機の中でファンから銃で撃たれながら、自分のゲロを咽喉に詰めて死んだんですよね」
 何だか悲しくてやり切れない。 


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1998/04/07
文責:keith中村
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