第89回 へびの回転


 蛇という生き物は果たして目を回すのだろうか、と考えた。子供の頃である。道を歩いていると蛇がいたのだが、それを見たときにふとそう考えたのである。探求心旺盛だった私はその場で検証してみることにした。すなわちその蛇の尾を持って掴みあげたのだ。
 ご存知の方も多いかと思うが、蛇というものは長い。たいへん長い。子供の身長は低いので、手に持ったその蛇の頭はほとんど路面に届きそうである。しかもやにわに宙に浮かされた蛇は驚いたのであろうか、鎌首を持ち上げてきた。
 今にも私の腕に噛付かんばかりの勢いである。慌てることなく私は、蛇を持った手をぐるんぐるんと回転させはじめた。子供ではあるが遠心力というものは知っていたのだ。すなわち蛇を掴んだ手を回転させる。すると外に向かう力が働く。かかる力によって私に噛付こうとしている蛇の頭部は遠ざかることになるのだ。回転させている限りは決して蛇の頭部は私に近づくことはできない。しかも、当初の目的であるところの蛇の目を回させるということをも果たしているのだ。
 私は力の限り蛇を回した。ところで人間が手を回す方法には二種類ある。すなわち垂直方向と水平方向である。
 垂直方向というのは、ピート・タウンゼントがギターを弾くときに腕を回転させるあれである。もっと解りやすく説明すると、漫画で殴りあいの喧嘩をするときに、「くぬやろ、くぬやろ」と言いながら登場人物が両腕を回転させるあれが垂直方向である。たいてい脇のほうに「ぽかぽかぽかぽか」という擬態語が添えてある。
 水平方向というのは同じく漫画で譬えるならば、白戸三平なんかによくあるが、忍者が鎖鎌を回すあれである。ちなみにこの場合の擬態語は「ひゅんひゅんひゅんひゅん」であることが多く、鎖鎌を回している忍者は「くひひひひひ」などという無気味な笑いを伴っていることが多い。
 さて、私の取った方法は後者である。つまり蛇を持った手を頭上に挙げてぶるんぶるんと回転させたのである。まさしく鎖鎌の塩梅であるが、解りにくければ「涙のリクエスト」のサビを唄う藤井フミヤをビデオの早送りで見ているところを想像していただければよかろう。
 何十回となく廻している内に私は困ってきた。回転を停止させるタイミングが思い付かないのだ。同じく子供の頃に水を入れたバケツを回転させるという遊びというか実験をやった方はお解りであろうと思うが、あれは非常に危険である。回転停止のきっかけを間違えると頭から水を被ることになるのだ。私はかつて八度程そうなった。
 現在、蛇は回転しているがゆえに外に引っ張られる力によって私から遠ざかっている。ところが回転が停止すればその力も消失し、そうなると蛇にとって私に噛付くことが非常に容易になる。
 困り果てた私に天啓があった。そうだ。手を離せばよいのだ。そして私は握っていた掌を開いた。
 しゅう、と風を切る音を立てて蛇は飛んでいった。トルテカやアステカなど古代メキシコの伝説ではケツァルコアトルという翼のはえた蛇の姿をした神がいるという。しかし私の蛇は翼もないのに飛行したのである。
 蛇は緩やかな弧を描いて飛行する。その先には民家の垣根があった。蛇は何を思ったのか、その垣根を越えて敷地内まで飛んでいってしまった。
 蛇が垣根の内に消えたその刹那、垣根の内側であるところの民家の庭先から「ぎゃああ」というあまり美しくない悲鳴が上がった。住人であるおばちゃんの声であったろう。
「どないしたんや」というのはその連れ合いであるところのおっちゃんであった筈だ。
「へびが、蛇が飛んできた」
「何を阿呆なこと言うてるねん。寝言は寝て言い」
「ほんまやがな。ほれ、見てみいな」
「どこ。どこやねん」
 そんな会話を聞きつつ私はその場を後にした。無論、全速力である。
 そんな訳で私は蛇が目を回すのかどうか未だに知らぬのだ。
 おばちゃん、すまぬ。


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1998/04/03
文責:keith中村
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