第86回 歳


 歳を取ったものだ、というのはふとした折に老若問わず感じるものである。
 たとえば、八歳ぐらいの小学生が三歳くらいの頃を思い出して「小さな頃はよかった」などという感慨を漏らすことだってある。「お前、まだ小さいじゃないか」などと突っ込みたくなる発言ではあるが、相対的に見ればそれは八十歳の老人が三十歳の頃を懐古するのに等しいものかも知れぬ。反面、八十歳の老人が七十歳の老人を「あやつはまだ青二才じゃよ」などと評することだってあるだろう。老人がほんとうに「あやつ」やら「じゃよ」やらと喋るかどうかは措いておくにしてもだ。
 ところで、歳を取ったという感慨は肉体の衰えという絶対的なものよりもむしろ他者を見たときに相対的に感じることのほうが多いものではなかろうか。
 酒の席で、年齢を感じる瞬間、という話になった。
 二十歳というのは数字としても区切り目であるしそこから先が社会的法律的にも扱いが変わるので、人間がまず大きく年齢を意識するときであるが、「十九歳の時に、歳を取ったなあと感じたんです」というのは現在二十歳の女の子である。高校野球の球児たちが自分よりみんな年下になっていたからだ、という。「だって昔は、恰好いいお兄さん、と思ってたのが、ふと気づいたら、可愛い男の子、って考えてたんですよお」
 普段なら、「エロ本の女の子がみいんな自分より年下になってることに気がついたとき愕然とした」と言うだろう私であるが、もうすぐ三十歳という年齢柄、オヤジ発言と思われるのもあれなので言わずにおいた。大人になったものだ。
 代りに、「ジミヘンやらジョプリンやらジム・モリスンやらというロックスターはみんな私よりも若年にて名声を打ち立て、そしてすでに死んでいる。これには年齢を感じる」という旨の発言をした。じっさいこれにはかなりの感慨を覚える。ロックのスローガンであった 'Don't trust over thirty' というその年齢の直前にいるのである。まあ、三十歳になった暁には「三十歳以上は信じるな、ただし私を除いて」と勝手に読み替えようかと考えているのであるが。「三十歳以上は信じるな、殊に私は」という方が適切だという意見もあろうが、無視するからな。
 作家という職業もたいていの人は二十代でデビューしている。不届きにも作家志望などと世迷言を言っておる私は特に同時代の作家に感慨やら焦りやらを感じる。新井素子氏は弱冠十七歳でデビューしているが、十七歳の私はといえば酒を呑んで煙草吸って麻雀しているだけだった。酒見賢一氏が「後宮小説」で颯爽とデビューしたのは二十四、五歳だった筈だ。その頃の私はといえば酒を呑んで煙草吸って麻雀しているだけだった。
 なんということだ。私という人間は酒を呑んで煙草吸って麻雀しているしか能がないのか。それではまるっきりエテ公の所業ではないか。
 筒井康隆氏は若い頃、三十歳までに作家になれなかったら死のうと半ば本気で考えていたそうだ。彼はきっかりその三十歳にてプロになったのであるが、これが私の心の最後の砦である。とは言っても私は現在執筆しているとか文学新人賞に応募しているとかいう積極的な行動には出ておらぬので、このまま酒呑んで煙草吸って麻雀しながら三十歳になるのは火を見るよりも明らかである。そうなったら、「ウェブで雑文を書いているから自称作家だ」などと厚顔な開き直りをするであろう自分がはっきりと見える。ああ、いやだいやだ。
 などと考えていると「君達はまだまだ青い」と口を開いたのは、二月まで私の上長であった、事業所の責任者N氏四十二歳である。
「相撲取りはなあ」と彼は言う。「相撲取りはみんな、俺の歳では引退しておるのだぞ」
 はっとした。そうなのだ。我々は、同い年の人間が華々しく活躍している事実と「まだ何もしていない自分」という事実を重ねて寂寞を感じていたのだが、彼は既に華々しい活躍を終えた同年代の人間を見て寂寞の思いを感じているのだった。
「同い年の相撲取りなんか、一人もいないんだぞお」
 彼はやり場のない憤りを漏らすときの口調でそう言った。寂しそうだった。
 Nさん、力士なんかうっちゃっときましょう。ジャイアント馬場という心強い味方がいますってば。


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1998/03/24
文責:keith中村
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