第82回 俺のことかと


 外国語や外来語の表記発音がなかなかむつかしいことは今更言うべきことでもなく、有名なところでは「ゲーテ」という人名は定着するまでにギョエテをはじめゴエテ、ゴエゼ、ギョエゼなどが罷り通っていたらしい。この辺はもっぱら昔読んだ豊田有恒氏によっかかって書いているのだが明治時代には英語には書生読みと車夫読みの二つがあったという。譬えば 'one' という語を書生は文字から入って覚えるので「オネ」と発音し、外国人の発音を耳で覚えた車夫は「ワン」と発音したというのである。
 まあ、いずれにせよ根本的に発音が違うゆえどちらがいい悪いということもなかろうが、Hepburn をヘボン、Jitterbug をジルバというはかなり極端であり、しかもかたや映画女優については二人ほど「ヘップバーン」と発音表記する例があり、釣りに使うルアーの種類では「ジッターバグ」と呼ぶのでややこしい。
 コンピュータの用語というのはほとんどが横文字であり、必然として発音表記の問題が生じることになる。
 Linux はどう読むのかという議論があり、代表的な読み方にもライナックス、リナックス、リヌクスと三種類ある。私自身はライナスさんが作ったからライナックスだろうという安易な発音をしておるのだが、なぜかライナックスという発音がいちばん嫌われているものらしい。英語だとすれば前にアクセントをおけばライナックス、後におけばリナックスであり、リヌクスというのはどうかと思うが、そもそもライナスさんは英語圏の人間ではないので英語的なアプローチは通用せぬものかも知れぬ。
 GNUという神様みたいな集団というかプロジェクトがあり、'gn'はフランス式に「ニュ」でいいのかと思いきや「グニュ」であるのだ。同じ綴りでも牛のほうはやはり「ニュー」となる。そういえば映画「ミザリー」を思い出した。あの映画の作家は作品を完成させるとドン・ペリニオンで祝杯するという設定なのだが、これをエッセイで読んで知っている気違い看護婦が「さあ。ドン・ペリグノンを用意しましたよ」という場面があり、これはまあ「書生読み」みたいなものなのだが文字の世界に没入して一般常識を持っていない看護婦の性格をうまく表していた。読んではいないのだが、いかにもキング的な小技なのでおそらく原作にもあるのだろう。
 TeXという文書成形ソフトは「テック」または「テフ」と表記するが、この 'X' はロシア語の「ミハイル」の「ハ」、ドイツ語の「イッヒ」の「ヒ」、やや遠くなるがフランス語の「エートル」の「ル」のように咽喉の奥から息を吐き出す音、卑近な言い方では痰がからんだときのような音であるから我々には重い風邪を患ったときでもない限りは発音できぬものである。この音は英語圏の人間だって苦手なようで Loch Ness Monster すなわちネッシーも、スコットランド人以外はたいてい「ロック・ネス・モンスター」で済ましているようである。私は普段は「テック」と言っているのだが、理科系の人はだいたい「テフ」といい私がテックと言っても「ああ、テフのことね」などと半ば馬鹿にした口調で訂正されてしまう。そういう際はあらためて「てっ、はっ」などと気合いを入れて発音するのだが、和田アキ子の物真似と思われてそれきりになってしまうのが淋しい。
 それから、発音表記の問題ではないが、どうしても長い名称は省略される傾向にあり「フォトショップ」が「フォトショ」、「ネットスケープ」が「ネスケ」となったりする。「ワールドワイドウェブ」は省略されて「WWW」となるが日本語の音節としては「ダブルダブルダブル」は「ワールドワイドウェブ」と同じく九音節で実はちっとも省略なんかできていないし「ダブリューダブリューダブリュー」などというと十二音節となって略しているつもりがかえって長くなってしまう。コンピュータの初心者は「ハードディスク」のことを「ハード」と略する場合があり、ハードと聞くとどうしてもハードウェアを連想するので話がなかなか噛み合わなかったりもする。
「インターネット・エクスプローラー」は長いが、略するにしても「イン・エク」では非常に発音しにくく、また「エクスプローラー」だけにしてしまえばシェルとの区別がつかぬので(マイクロソフトは区別をなくしたいようだが)、「IE」と言うことが多い。
 東京ではどうか知らぬが大阪では「E」にアクセントをおいて発音するのだが、そうやって「あいいい」と言うと何となく情けない気分になる。あたかも自分がショッカー軍団の一員になったようでかなり憂鬱だ。「あいいい」と言っておるときの私は恐らく眉毛が八の字のかなりしょぼくれた表情になっておる筈だ。情けなさのあまり「あいいい」というときに声がうわずってしまうと、もうこれはどこに出しても恥ずかしくない一人前のショッカーである。いやいや、だからそれが恥ずかしいんだってば。


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1998/03/14
文責:keith中村
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