第77回 吾輩は管理者である


 さて、私事ではあるが実は職場が変わった。といっても何も無能だからといって馘首になったのではない。無能ではあるけれど。
 事業所から会社本部へと異動になったのだ。そして職種もがらりと変り、三月から社内ネットワークの管理者となったのであった。私の勤める会社はかつてはAS/400というオフコンを使用していたのだが、昨年より各事業所と本部とを結ぶ大がかりなネットワーク環境を導入、それに伴い管理部門の人手不足となり今回の人事異動と相成ったわけである。
 それにしても、こんな私に管理者なぞやらせて大丈夫なのだろうか。自分すらさっぱり管理できないダメ人間であるのだ。私なら私みたいな奴に管理者をやらせたりは決してせぬだろう。が、とにかくなってしまったのだから仕方がない。
 勤務部署であるコンピュータ室には課長と課長代理の二人がおり、これまではこの二人がネットワーク管理を切り盛りしてきたのであるが、ここに私が加わることとなった。ちなみにそれに伴い私の肩書きはヒラ社員から主任になったようだ。手淫ではない。まあ、私だって手淫は嫌いじゃないが、ここではそんな話をしているのではない。そうではなくて主任なのであった。
 本日はじめて出社してみると、課長代理の方がさっそく紙切れにさらさらと何か書き付け「はい、これね」と手渡してくれた。見ると、IDとパスワードである。しかも私の席となる机の上には端末と十七吋CRTが備え付けてある。なんということだ。私専用の端末である。まあ、管理者であるから当たり前の話かも知れぬが、まあ何と贅沢なことだ、ありがたいありがたい、などと思ってしまう。貰ったアカウントでログインしてみる。やや緊張ぎみで、いきなりIDを打ち間違えてしまったなどということは敢えて書くまい。書いてしまったではないか。
 貰ったのはなんと管理者用のアカウントではないか。管理者だから当たり前かも知れぬが、私にそんなものを呉れてやっても大丈夫なのか本当に。ダメ人間なんだぞ。サーバーから何からすべて見えてさわれてしまうユーザー権限だ。突然発狂して del *.* とか rm * とかやってしまわぬ保証はどこにもないではないか。いきなりこのページにパスワードを書き込まぬとも限らぬではないか。ああ、そうか。そうせぬように主任になったのだな。昔から言うではないか、主任に口なしと。
 OSはNTである。3.51だ。ネットワーク導入時には既に4がリリースされていたが、枯れているほうがいいという理由で3.51になったようだ。とはいえ3.51だ。枯れてない枯れてない。事実今朝いきなり三階の総務部から内線があり、行ってみると落ちていた。UNIXならばもっと枯れて安定もしていようが、業務にPCのフリーUNIXを使用するわけにもいかぬだろうし、かといってワークステーションにすれば予算が跳ね上がってしまう、更にはアプリケーションソフトの兼合いなんかもあり、まあNTというのが現在では妥当な選択なのだろう。ちなみにいちばんの中枢になっているサーバーはさすがにUNIXであった。
 さて、それにしても初日であるからまだ右も左も解らない。課長と課長代理は各事業所からのトラブル対応に、電話で指示したりリモートでそちらに入ったりしてきびきびと仕事をこなしている。私はといえば、何もすることがないし、そもそもまだやり方も教わっていない。暇である。かといって眼前の端末でやにわにソリティアをおっぱじめるという訳にもいかぬ。マインスイーパーならいいだろうか。いや、そういう問題でもない。
 と、課長代理が私にドライバーを一本手渡して、「ちょっとそこのコンピュータばらしてご覧」と言った。
 見ると、予備の端末が一台転がっている。
「どこまでばらすのです」「全部」
 どういうことだ、と思いながらもドライバー片手に筐体を開き、ドライブやら電源やらを外しにかかった。マザーボード以外全部外して「できました」というと課長代理はちら、と見て「マザーボードも取ってね」という。頭の上に疑問符を五つほど出しながら取り外した。「できました」
「じゃ、今度は元どおり組み立てて見て」と課長代理。「ねじ一本残さないようにね。さあ、できるかな」といたずらっぽく笑う。
 しまった。ぼんやり分解していたので、どこがどうつながっていたのかさっぱり解らない。しかも、私にはこないだ自宅のマックを分解した際に、余程用心深くやった筈なのにねじを一本残してしまったという前科がある。ええと、このシャーシがこうなるだろ、で、このケーブルはプライマリだからハードディスクに接続してと、ええと一番ピンはこっちか、などとぶつぶつ言いながらどうにかこうにか組み立てた。
 ナチスの拷問に囚人に穴を掘らせてからそれを元どおり埋めさせるという作業を一日中繰り返すというものがあった、シジュフォスの神話というものもある、「もう一度ばらせ」と言われたらどうすればいいのだ、などとびくびくしながら「できました」というと、課長代理は検分したあと「ちょっとここのケーブルの引き回しが荒っぽいけどまあ及第でしょう」とにっこり笑った。「今後メンテナンスやらドライブ交換やらやってもらうこともあるからね。これで、だいたいの構造が飲み込めたでしょう」そういうことであったか。それならそうとはじめから言ってくれ。
 課長の方は業者に作らせた経理のソフトが落ちて対応にてんてこ舞いしていたのだが、その合間に話していてびっくりしたことがひとつ。パソコン通信の話題になり私がDOSの時代にフリーウェアを作っていたというと、何というソフトかと訊くので「OZ MENUです」「ええっ。あれは君が作ったのか。私も使っていたよ。いやあ、あれは凄かった。そうかそうか、君だったのかあ」
 自分でいうのも何だが、かつてのNEC98全盛期にはそこそこ人気のあるソフトではあった。だから学生時代にも同じようなことはしばしばあったが、それでももう忘れ去られたソフトであるゆえ覚えていてくれる人があったことに少なからず吃驚した。午後になって各部署へ顔見世に私を連れていった課長は、行く先々でその話をして「頼もしい人が入りました」と言ってくれた。いいのかな。二十歳過ぎればただの人というけれど、それどころか今やダメ人間である私なのに。
 それから課長代理と端末の分解掃除をやった。「ATいうのはデリケートな奴だろ。ちょっとしたことで機嫌損ねて動いてくれなくなったりするからね。だからこうやって綺麗きれいにしてやらないとねえ」と言いながら課長代理はにたあ、と笑った。マッキントッシュをそうやって擬人化する人は多いが、ははあ、ATの世界にもいたのだなあ、と思って聞いていると続けて言う。「許せないのはね、キーボードが汚れていても知らん顔して使い続ける奴ね。キートップが真っ黒で文字が見えなくなったりしていても拭いてやろうとせずに」ぎろりと私を睨んで「君。まさかそんなことないよね」
 私は飛び上がった。「いいえっ。決してそんなことはございませんっ」
 慌ててそう言ったが、実際私のキーはひどく汚れて真っ黒なのだった。
 まあ、そんなこんなで、管理者一日目が終った。それにしても上司が二人とも気さくな人でよかった。
 だけど、こんな、休日に趣味でやっているのと同じようなことをして給料貰ってもいいのだろうか。少々不安だ。


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1998/03/03
文責:keith中村
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