第73回 ネイティブ


 土人について考えまする。
 文脈にもよるが大抵の場合、外国人と聞くとわれわれは咄嗟に英語圏の西洋人をイメージすることが多いのではなかろうか。だが外国人というのはあまりに幅広い言葉なので、アメリカ人やらイギリス人やらいわゆる「英語を話す人」に限定する意味で「ネイティブ・スピーカー」ということがある。特に英会話学校では「ネイティブ・スピーカーによる指導」などという言い回しで使われることが多い。しかしながらネイティブ・スピーカーとは、「生まれながらに喋る人」ほどの意味なので、「英語を母国語とする人」という意味を伝えたければ、正確には「ネイティブ・スピーカー・オブ・イングリッシュ」と舌を噛みそうなことを言わねばならない。だからといって日本語で「英語を母国語とする人」というのも語感がもたつく。そこで、ネイティブ・スピーカーなる言い方が生じるわけだが、甚だしきは単に「ネイティブ」と言うこともある。スピーカーに掛かる形容詞のネイティブならまだしも、ただネイティブと名詞的に用いるとこれは「原住民」という意味が生じるので、少々まずいのではないかとも感じるのだが、世間では屡々ネイティブネイティブと言う。原住民。古くは「土人」とも言った。土人。この言葉を使うときに感じる緊張感はいったい何だ。もともと「土人」という語にはそれほど差別的な意味合いがなく、単に「その土地に土着の人間」という意味であった筈なのだが、今ではおちおち口に出せるものではなくなっている。原義に基づけば三代以上に亘って東京に定住している人間つまり「江戸っ子」は「江戸の土人」と言ってもあながち間違いではないわけであるが、もちろんそんな言い方はしない。
 われわれが土人と言うときに感じる緊張感は「土」という語のイメージが原因である。人類が現代のような文明を持つ以前、地球上の陸地のほとんどは土で覆われていたわけであり、万物の母としての土壌は貴く、その貴い土に根差した人間ということで「土人」なのだから、なかなか素晴らしい言葉であるし、「母なる自然(Mother nature)」に密接に係わるから native だ、と英語にも同じような由来がある。しかし現代の文明は「土」を否定的な文脈で捉えるようになってしまい、そのせいで「土人」という言葉はイメージが悪くなった。なんといっても現代の我々が「土人」から連想するものは単なる「土着の民」という広汎なイメージではなく、アフリカやポリネシアなどに住む黒人なのである。色彩的にも「土」のイメージにいちばん合致するし、そのうえ、アフリカやポリネシアの黒人というと、やはり槍と盾を持って、腰蓑をまとい、怪しげな偶像を礼拝し、呪術に長け、どんだんだんだんどんだんだんだんどんだんだんだんという打楽器のリズムに合わせて踊り、鼻には一文字に骨を刺し、ことによるとカンニバリズムなんてやってそうなイメージが脳裡をよぎるのだ。
 で、近代ではイエズス会の布教活動の結果、現代においては物質文明礼賛の結果、土人の未開社会は「悪」であるとされ、また北米大陸における奴隷解放運動、黒人差別撤廃運動の結果、未開の土人だという視点で黒人を見ることが「悪」であるとされたのだ。だが、未開を「悪」だとするのはキリスト教乃至は西洋合理主義の傲慢ではないのか。未開というのは相対的な判断に過ぎず、そもそも文化とは相対的に優劣を論じられない性格のものではないか。近現代ではピカソのアフリカ文化再発見以来ある程度アフリカ文化を肯定的に見る視点も出てきてはいるが、実のところそれもいわゆる美術的な視点のみにとどまっており、アフリカという社会のそれはそれで非常に合理的な「呪術」の機能などは社会学者民俗学者くらいしか認識していないのではないだろうか。偉そうなことを言っているが、私の知識だって中島らも氏の「ガダラの豚」に負うところが大きく、また、ほぼそれ以外の知識はないに等しいのであるが。
 私が小学生の頃、色が黒い奴の仇名は「土人」と相場が決まっていた。同年代の人間なら恐らく共通体験があろうが、クラスにひとりは「土人」という仇名の奴がいたのだ。ちょうど藤子不二雄原作の「ジャングル黒べえ」をテレビでやっていたので、「黒べえ」というバリエーションで呼ばれることもあった。この「ジャングル黒べえ」は危険すぎて再放送不可能と思われるので、ちょっと若い方ならご存知ないかも知れない。「黒べえ」という「土人」の子供が「パオパオ」という名のピンクの仔象とともに現代日本で大暴れするというギャグ漫画で、テーマ曲の歌詞からして「ウラウラ、タムタム、ベッカンコ。やっほやっほー、俺ジャングル黒べえ。槍だ、魔法だ。不思議な力だ」とちょっとものすごいものであり、思えば黒べえはずいぶん小さかったので、モデルはピグミー族かも知れぬ。
 それはさておくとして、私のクラスにも「土人」という仇名の少年がいた。本人に確かめたわけではないので、こういう言い方も傲岸かも知れぬが、本人だってその仇名を疎ましくは思っていなかった筈だ。子供の頃の仇名というものは一旦定着してしまえば、ただの記号となる。ところが、学級会でのこと。正義派の女子の人が提案した。
「わたし、山田君のことを『土人』というのはよくないと思います。だって、山田君は日本人で土人みたいな変なもんじゃないし、土人土人なんて呼ぶのは可哀想だと思います」
 冷静に考えれば、この女子の人こそ「土人」という言葉を余程侮蔑的に捉えており、それゆえの発言なのであるが、教師がこの意見に乗っかった。で、つまるところ、全校的に「土人」という仇名が禁止されるに至ったのであった。
 しかし子供はしたたかである。翌日から山田の仇名はこう変わった。
「じどん」
 子供というのは生まれついてのジャズマンである。
 そういえば小学校の頃の給食のパンに添えられたジャムが、思い起こせば天然パーマに耳輪をつけた少年のイラストがついた「耳輪土人の苺ジャム」という製品であった。これは、ちょっとねえ。かなりねえ。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1998/02/20
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com