第71回 コレクター


 ウィリアム・ワイラーという人はミュージカルから西部劇まで何でも撮ってしまう監督だが、彼に「コレクター」という作品がある。蝶の標本蒐集を趣味にしている孤独な青年が、女子の人を誘拐軟禁するという映画である。怖い映画だ。テレンス・スタンプ扮する青年は、クロロホルムを嗅がせてサマンサ・エッガーを誘拐するのだが、たとえば縛って犯すとかそういうことは一切しない。これは映画が作られたのが一九六五年という古さで、あまり不道徳な描写ができなかった時代だったこともあろうが、しかしそのせいでむしろより異常な物語になっている。青年はお話がしたいのだ。自分を好きになってほしいのだ。そんなわけで彼はあれこれ彼女を楽しませようとする。だが、ちっとも話が合わない。「もう。何よ。面白い話のひとつもできないの」と言われて、「ええと、それでは。頭がふたつで眼が四つ、足が八本に尻尾が二本の動物はなあんだ」「判らない。何それ」「……二匹の犬」。このちっとも面白くない謎々を糞真面目な表情で喋るシーンがやけに怖かった。
 ジャム時代のポール・ウェラーがこの映画にインスパイアされて「バタフライ・コレクター」という曲を書いている。
 最近ではデビッド・リンチの娘が「ボクシング・ヘレナ(箱詰めのヘレナ)」という作品を撮っているが、これは両手両足切断などと猟期的に過ぎてむしろファンタジーだ。
 それにしても、女子の人を軟禁するなどという面倒なことは私にはとてもできそうにない。
「もう。何よ。いっつも牛丼ばっかり食べさせて。たまには別の物も食べさせなさいよ」
「じゃ、玉子もつける」
「ふざけないでよっ」
 とか、
「何か面白い話でもしてみなさいよ」
「蘊蓄じゃ駄目かな」
「駄目」
「それじゃ……。がちょおおん」
「……」
「どうかな」
「……」
 想像するだけで恐ろしい。
 ところで、蒐集癖のある私がいうのも何だが、蒐集というのは恥ずかしい。中でも切手蒐集は地味な趣味の代表で、かなり恥ずかしい。実は私も少年時代にはこの恥ずかしい恥ずかしい切手蒐集をやっていた。とうとうカミングアウトしてしまった。今でも切手蒐集などをやっている子供はいるのだろうか。私の子供の頃には結構いた。もっとも、それは私が火付け役だったのだが。厭だ厭だ。
 私は考える。いまや、真っ当な社会人として生活している人間に中にもかつて切手蒐集という恥ずかしいことをやっていた経歴を持つ人はたくさんいるはずだと。
 もと切手コレクターはついつい鯖鮨を食べてしまう。「魚介シリーズ」十二枚のうち、「まさば」だけが揃わなかったことがトラウマになっているのだ。
 もと切手コレクターは、横山大観の絵画展に行って「無我」を見ると「あっ。近代美術シリーズ十六集だ」と思ってしまう。
 もと切手コレクターは、名刺ホルダーのことをついつい「ストックブック」と言ってしまう。
 もと切手コレクターは、「夏目漱石一枚」というと千円札ではなく、「文化人シリーズ」の八円切手を連想してしまう。もちろん福沢諭吉だって八円である。
 もと切手コレクターは、会社で経理の女の子が一円切手を「伊藤博文」と呼んでいるのを聞くと、「違うよ、もう。それは郵便の父、前島密なんだよ」と訂正してしまう。
 もと切手コレクターは旅行土産に毬藻を貰うと、「希少な五十五円切手だ」と思ってしまう。
 これらのことに注意していれば、あなたの周囲のもと切手コレクターを発見することもそう困難なことではないだろう。
 さて、ある切手蒐集家から聞いた話。大量に蒐集した切手を久しぶりに整理していたところ、年賀葉書の賞品であるところの年賀切手小型シートがある年の分だけ欠けている。はて、どうしてだろうと、記憶を辿るとその前年に祖父が亡くなり、喪中につき一通も賀状を貰えなかったからだということに気づいた。それから数年経って今度は祖母が亡くなった年の暮れ、彼は賞品の小型シート確保のため出しもせぬ年賀状をしこたま買い込んだのだそうだ。
 彼は言った。「だから、その年の分はちゃんとあるんだよね」
 切手コレクター恐るべし。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1998/02/18
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com