第68回 御


 お戯れ、おとぼけ、お白州、お助け、おさるのように、叮嚀な意味を込める接頭語としての「お」がある。「御飯」のように「ご」、「錦の御旗」のように「み」、あるいは現代語では「御大」くらいしか思い付かぬのだが、「おん(おほん)」、これまた特殊で天皇にしか使わぬものかもしれぬが「御名御璽」と「ぎょ」となることもある。「み」「おん」「ぎょ」は例外的なものとすると、一般には「お」と「ご」であるが、これをどちらに読むかは多分に慣用的で恣意的であり、これといった規則はないように思える。
 まず、漢語には「ご」で、やまと言葉には「お」であるのかなと考えた。「御殿」と「お家」、「御苦労」と「お疲れ」、「御老人」と「お年寄」などはほぼ同じ意味であり、漢語には「ご」、やまと言葉には「お」という規則が見える。漢語のほうがやはりやや堅苦しい語感を伴う。しかし、「お歳暮」「お弁当」「お女中」「お大尽」「お新香」などごろごろ例外が見つかるので一概に漢語には「ご」とも言えない。ただし、あれこれ考えてもその反対の「ご」プラスやまと言葉は思い付かない。もしかしたら、原則的には漢語に「ご」、やまと言葉に「お」で、能記所記がやや柔かい漢語には「お」が付くのだろうか。
 手は「お手」になるが、「お足」では金銭とか予算とかいう俗語にとられることもあるため足の叮嚀語は「おみ足」のほうが自然である。しかしよくよく考えれば「おみ足」は接頭語が二重に使われた奇妙な表現である。これが「おみおつけ」になると接頭語を三重に重ねている。
 また、同じような種類のことばでも、「お」がついたりつかなかったりする。「お電話」とは言うが「おファックス」とは言わぬ。「お紅茶」と言う人はいるが「おコーヒー」は言わぬ。「お筆」はあるが、「おペン」はない。
 なるほど横文字には使わぬのかと思ったら「おビール」というのもあって、もう何が何だかさっぱり判らない。
「目」を考えると、「お目が高い」「お目にかかる」などの慣用句では「お目」となるが、そうでなければ「お目目」と何故か目の字が重なる。「お手手」と同じく幼児語的なものであろうし、「お目」で止めると関西ではそこはかとなくいやらしい。これが「お毛毛」となるとあからさまにいやらしい。どういうわけだ。んまっ。お毛毛。いやらしい。きゃあ。
「国」は一般名詞であるが、「お国」となると郷里を表す限定された意味となり、数の「八つ」が「お八つ」になると、これは時刻に由来して間食の意になる。
 考えれば考えるほど、「お」の使われ方は滅茶苦茶である。言語の無政府状態である。そういうことなら、もっと無軌道にしてみよう。
 私のところには毎月「クレジットご利用代金請求書」なる通知が送られてくる。なぜか五七五であるが、まあそれはよい。さて、これを「おクレジット」と言ってみる。「おクレジット。払っておくれよ。支払っておくれじっと」と、何だかまろやかな語感となる。小林よしのりの「茶魔語」にも似る。
「おタクシー」。「わたくし、おタクシーで参りましたの。ほほほ」と言うとなかなかお洒落である。いや。そんなものただの洒落だ。
「ぼくってさあ、おマックユーザーだからあ、おマウスボタンがふたつもあったら、どっちを圧せばいいのか判んないのよ」糞。馬鹿。一遍死んでこい。
 芸人のギャグにも「お」がつくものがいくつかある。「おこんばんはあ」といったのはトニー谷である。古いなあ。
「お呼びが掛かる」をもじって「お呼びでない」といったのは植木等。やっぱり古い。
「おしゃまんべ」と言ったのは由利徹。ますます古い。だいいち、この「お」は違うぞ。
 収拾がつかなくなった。おあとがよろしいようで、と終わろうとしても、ちっともおあとがよくない。
 とりあえず、そういうことで。おさらばっ。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1998/02/13
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com