第66回 虚実皮膜


 バイクに乗っているときに「通りゃんせ」のメロディを思い浮かべると転倒するという噂を聞いたことがある。そんな馬鹿な話があるものか、私自身は運転免許を持っておらぬからバイク原付等を運転する何人かの知人に訊いてみると、口を揃えて「ああ、あれは転倒するね」。結構有名な話のようである。
 どういうことだ。そうすると何か。盲人用信号は「通りゃんせ」のメロディであるが、それなら交差点ではバイクの転倒などの事故が多いでもいうのか。確かに交差点では事故が多い。だが、それは交差点という場所の性質上当然のことではないのか。「いや、あれはね。実はやっぱり『通りゃんせ』が流れているからなんですよ。ひひひ」などと言われても反駁できる論拠を持っておらぬゆえ怖い。
 私は怖がりの癖に幽霊話やら都市伝説やらが大好きだが、両者では恐怖の質が異なっているのではないかと考える。もちろん、「ホテルニュージャパン跡の幽霊」とか「大阪ミナミのプランタン旧千日デパートにまつわる怪談」のように、都市伝説の中に幽霊話が内包されている場合も少なくない。しかし基本的に都市伝説というのは幽霊ではなく、生身の人間の怖さを主題にしており、幽霊のように出現して、はいおしまい、それだけの(もちろん、それだけでも充分怖いわけだが)ものとは違って、肉体の損傷など物理的な不利益を被る話が多い。それ以上に都市伝説には、幽霊話とは異なる独自のリアリティがおり、これがいちばんの恐怖のポイントとなる。
 それが顕著に判るのが有名な「ベッドの下の殺人鬼」という話である。シチュエイションや細部がやや異なったものが何パターンか存在するが、だいたい以下のような話である。
 若い女子の人が、同じく若い女子の人の友達を自室に招いた。ひとりがベッドに腰掛けて、もう一人と話していると、何やらぶつぶつ呟く声がどうやらベッドの下らしいところから聞こえてくる。ベッドの正面に鏡台があったが、見ると自分の足もとつまりベッドの下に斧を持った男がにやにや笑いながら隠れているのが映っている。ぶつぶつ呟く声をよく聞いてみると「殺してやる殺してやる殺してやる」と繰り返している。驚愕したが平静を装い、友達に「喉が渇いたから何か買いに行こう」と持ち掛け、ふたりして部屋を出たその足で警察に駆け込み、男は逮捕されことなきを得るというものである。
 どんなおかしな人間がいても不思議ではない都市の恐怖を表現しているという風な社会学的な(しかもやや通俗的な)分析もできよう。斧を持った男というのはキングの(というよりはキューブリックのでしょうか)「シャイニング」を見れば判るようにとても怖い。しかし、この話のいちばんの要点は「鏡に映り込んだ男」に気づくというサスペンス映画的な手法である。ヒッチコック的な小道具の巧さである。この部分がなければこの話は生きてこない。いくつかある再話のパターンでもここは必ず踏襲されている。
 こういう演出はリアリティを増す仕掛けではあるが、そのやり方は幽霊話と根本的に違う。たとえば、タクシーの乗客が消える怪談があり、あれはたいてい客が消えたあとのシートがじっとりと湿っていることになっているが、これは「消えた客」イコール「恐らくは幽霊」イコール「虚」の存在を、「濡れたシート」イコール「物理現象」イコール「実」によって現実のものたらしめるものある。ところが、「ベッドの下の殺人鬼」では「鏡像」イコール「虚」の存在によって「殺人鬼」イコール「実」を浮き彫りにするという正反対の構造をとっているのだ。
 うろ憶えで申し訳ないが、「遠野物語」に「死んだ老婆が夜中に起きだしてきて囲炉裏の側を歩く。そのとき、老婆の帷子が触れた薪がくるりと回転する」という話があり、三島由紀夫がこの薪が回転するという部分を評して「現実と非現実の接点」だったか激賞する文章を書いたと記憶しているが、これなども薪という「実」を通じて老婆の幽霊という「虚」に現実感を持たせる手法である。
 幽霊話の場合には、そもそもが「虚」の存在であるがゆえ、そうやって「実」との接点を持たせることでリアルにしているわけだ。だが都市伝説では登場するのがもともと肉体を伴った「実」の存在であるにも関わらず「虚」によって逆にリアリティが増すことになる。これはどういうわけだろう。
 思うに、我々は「虚」を通じてしか「実」を認識できない体質になってしまっているのではないか。たとえ身の回りで大きな事件が起こっても、それ自身にはさほどの現実感を感じることなく、新聞テレビなどで報道され、いったん虚構として再構築されたものを見てはじめて現実であると認識するのである。現代においてはそれが社会と対峙する唯一の手段なのである。
 なあんていつもの私らしくない書き方をしたが、結局月並みな意見に帰着してしまった。
「とおりゃんせ」で転倒したことある人、お便りください。


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1998/02/10
文責:keith中村
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