第62回 試奏


 最近、ギター屋には頓と出入りしなくなった。代わりに日本橋の電気街に足しげく通うようになったからである。以前にも書いたが私には蒐集癖があり、最近はマックだATだノートだ自作だとコンピュータに湯水のごとく金を投下しているが、かつてはいろんなギターが欲しくてたまらぬこともあったのだ。で、やれフェンダーだのギブソンだのマーチンだのと買いあさった結果、ガット弦、スチール弦、エレキ、エレアコ、フルアコとりそろえて十本あまりのギターと、勢いで買ったウクレレ、バイオリンなどが部屋を占拠しているのだが、その頃はギター屋によく脚を運んだのだ。
 試奏という言葉は辞書にはないけれど、楽器屋で楽器を試し弾きすることである。
「ちょっとこのレスポ、試弾させてもらえますか」のように使う。
 ちなみにその際には店員に声をかけるわけだが、ギター屋での鉄則は「もっとも店員に見えない恰好をしているのが店員である」ということである。間違っても店内で勤め人風の男に声をかけてはならない。なんとなれば、それは会社での宴会用にマラカスを買いに来た幹事の経理課長だからである。店員は、たいてい髪を錦に染め上げているものだ。
 で、その獅子舞頭の店員に声をかける。すると、彼はおもむろにギターをスタンドから外し、チューニングし、エレキギターならばアンプに通した上でピックをつけて貸してくれるのだが、初心者の頃というのはなかなかこの試し弾きを申し出にくい。というのも、この明らかに「バンドやってるっすー」という風体の兄ちゃんに、「下手くそ」などと思われては恥ずかしいからである。あるいは、ズージャッ、ズズジャッ、単純なリフを刻んでいると、店に入ってきた高校生などが試奏をはじめ、それがひゃらひゃらちゅるちゅるライトハンド遣いまくりのもの凄いテクニックだったりした日にゃあ、うああ、わたくしが悪うございました、平にひらに、と叫んでそこから逃げ出したくなるからだ。
 そんなわけで、初心者は店の前を五往復くらいして店内に入り、目当てのギターの前をまた六往復し、店を出て三往復半したあと、覚悟を決めて再び店内に入り、「こっ。これくださいっ」などという買い方をしてしまう。「弾いてみますか」の言葉に「いっ。いやいや。けっ、結構」などと痙攣した顔で答えることになるのだ。
 ある程度上達してくると、流石にそういうこともなくなるが、それでもギター屋で試し弾きするときには必要以上に緊張してしまうものだ。弾く曲などにもやたら拘泥してしまう。
 ハイウェイスターのソロなんて弾いた日には天然記念物を見る眼で見られることは必至である。そこで、明日は試し弾きに行こうと決めた前日には、ヘビメタみたようなスウィープピッキングなんかをたららららら、たららららら練習する。まったく馬鹿の所業である。
 スチール弦のアコ、所謂フォークギターを弾くときにはたいてい、じゃらんとコードを弾いたりなんかするのだが、このとき間違ってもCのコードを弾いてはならない。その瞬間指の先までフォーク人間となってしまい、ついつい吉田拓郎や南こうせつを弾いてしまうからである。やはりここはAかEのコードから入り、ロバート・ジョンソンか内田勘太郎に憑依してもらうのがよい。コンスタントベースを決めつつソロをアドリブで弾いたら、「をを、この御仁はなんと渋いので御座ろう」などと密かな尊敬を得ることができよう。
 だいたい、ロックをやっている人間はブルースという御先祖さまを盲目的に尊敬しているもので、しかも幸いなことに、ブルースという奴はコンスタントベースであろうがウォーキングベースであろうが、馴れてしまえばクラシックの練習曲のようなシジュフォスの苦役のようなあのヘビメタのクロマチカルなフレーズよりよほど簡単に弾けてしまうものであるから、少ない労で一目置かせることができるのだ。
 あるいはロック、ブルースの埒外の曲を弾くことである。ロックの人は「テンションって、それ何っすかー」などと理論に弱くE、A、B以外のコードを知らなかったりするのでジャズに対しては畏敬の念を持っていることが多い。そこでテンションノート入りまくり代理コード使いまくりで「虹の彼方に」なんて弾くと、うまくいけば「下町の渡辺香津美」などと誤解してもらえるかもしれない。ボサノバもよろしい。ボサノバはあの「ずんだあ、ぶさっさ」というリズムさえ身体に叩き込んでしまえば、知らぬ人が聴けば二人で演奏しているような厚い音をギター一本で演奏可能となる。「イパネマの娘」とか「宇宙飛行士のテーマ」なんかをちょっと速い速度で弾くと、かなり注目されるかもしれない。
 そうこうするうちにギターはなかなか上達するものである。
 しかし、こんなこと考えるのは私だけなんだろうか。


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1998/01/31
文責:keith中村
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