第61回 若きダメ人間の肖像


 つらつらと思い起こせば私の文章が初めて人様の眼に触れたのは小学校四年生のことであったか、小学生の作文集に選ばれたときであり、題名は「UFOを見た」というものであった。だいたい、小学生の作文集というのは、信号を渡れずに困っているお婆さんを助けてあげただの、飼っていた犬が病気で死にそうになったのを徹夜で介抱して持ち直させただの、という美談を掲載するものであり、今から考えれば「UFOを見た」なる馬鹿の作文が掲載されたのは明らかに色物的扱いであったことがわかるのだが、当時も今と負けず劣らず馬鹿であった私は単純に喜んだものである。そもそも私が見たものは空飛ぶ円盤などではなく、恐らく飛行機だか何だかであったろうに、昼寝していた父親を叩き起こし「ほらほら。お父さん。UFOが飛んでゐます」「ああ。さうだねえ。UFOだねえ」「とつても速さうです。いつたいどれ位の速度なのでせう」「さうさなあ。あの様子ではマッハ四はあるだらうねえ」などという馬鹿親子の会話をやっていたのだが、たしか寸評に「ひと目でUFOの速さがわかるなんて、すごいお父さんですね」とあったように思う。私の父親は多分に衒学的なところがあり、知らぬ判らぬというくらいなら口から出任せをも厭わぬ性癖であり、ここでも「マッハ四」などという如何にも子供が満足しそうないい加減なことを言っている。その性癖は見事に嫡男であるところの私にも遺伝しているのであるが、恐らく人々は「ねえねえ。この子、UFOを見たなんて馬鹿なことを書いてゐるよ」「あはは。馬鹿だねえ。他の子たちはもつと立派なことを書いてゐるのにねえ」「それにこの父親もマッハ四なんて言つてゐるよ。馬鹿だねえ」「あはは。可笑しいねえ」などという読み方をしていたのではなかろうか。
 その頃から私は変化球で勝負するという術を覚えた。正攻法では勝ち目なしと気づいたのだ。
 魯迅に「故郷」という短篇があるが。中学国語の教科書にはよく掲載されているもので、私の学んだところの教科書にもあった。今では私の大好きな短篇のひとつであるが、当時はSF小説以外は馬鹿にしているという不届き者であったゆえ、感想文を書けという宿題が出されたときも、まっとうには書かなかった。すなわち、私が時空を越えて魯迅先生に会いにゆくという設定で書き始め、途中で「わたち、阿Qあるよ」などと阿Qが登場し「魯迅先生ひどいあるよ。わたち、こんな馬鹿じゃないあるよ」などと言いながら案内人になってくれるというもので、原稿用紙三枚以上という指定が十枚に及んだ。
 年配の狐のような教師が、放課後私を呼び出した。
「君。これはなんですか」
「はあ。読書感想文です」
「ほう」教師はさもびっくりしたように言った。「そうすると、君はこれが読書感想文だというのですね」
「そうです」
「なるほど。君の言いたいことが判ってきました。君は、これが読書感想文だと言いたいのですね」
 これじゃ「ねじ式」である。
「どういうことでしょう」と聞くと彼はぴしゃりと言った。
「君ねえ。ふざけるのもいい加減になさい」
 大人が子供の作文に期待するのは「感心な意見」である。弁論大会というのもあったが、その仕組みはまず全員に作文を書かせた上ひとり一人に朗読させ、教師がいいと思ったものを学級代表として大会で発表させるという仕組みであった。代表として講堂の壇上で朗読される作文は、父が入院したので牛乳配達して家計を助けていますとか、母子家庭だけども強く明るく生きていますとか、いわゆる家庭の不幸もの、あるいは友達と喧嘩したのだが何気ない一言で仲直りできたとか、クラブ活動の中で先輩の厳しさと優しさを知ったとか、いわゆる人と人との触れ合いものなど「感心な意見」ばかりである。ごく平凡な家庭に育ち素晴らしき人との触れ合いなども経験せずのらりくらり漫然と生活している私に、そんな文章が書けるわけがない。
 そこで私が書いたのは「どんぶりについて」という一文であった。
「どんぶり、という言葉ほど人を無気力にさせるものはありません。もし、朝の挨拶が『おはよう』ではなく『どんぶり』だったらどうでしょう。我々は朝から多大な脱力感を覚えてしまうでしょう」
「もし『テスト』が『どんぶり』という名前だったらどうでしょう。『おい、今日の数学のどんぶり、どうだった』『いやあ、全然できなかったよ。どんぶりって厭だな』などと会話するのでしょうか。ふざけ過ぎています」
 と出任せを書き上げた。何のことはない、ふざけ過ぎているのは私だ。学級内での朗読にて、この作文は教室中に大爆笑を巻き起こした。放課後、担任が私を呼んだ。
「いったいどういうつもりだ」
「何がでしょう」
「あんなふざけたものを書いて、どういうつもりだと聞いているんだ」
「感動的なことを書いて人を泣かせるのはよくって、人を笑わせるのはよくないのでしょうか」
 理屈をこねたが、「ふざけるな」と一喝された。人を泣かせるより笑わせる方が数段苦労するのに報われないものである。まったく。
 思い起こせば、そうやって私は着々とダメ人間の道を歩みだしていたのである。


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1998/01/30
文責:keith中村
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