第59回 募金を考える


 それだけの気力があるならもっと効率的に使えばいいのに、と思うことが世の中にはある。
 たとえば、街角の募金活動がそうだ。常々考えているのだが、あの四角い箱を持って立っている彼らが、その時間をアルバイトに充てればもっと確実にそしておそらくはもっと大量に金銭を獲得できるのではなかろうか。
 アルバイトの時給を仮に七百円としよう。五時間労働すれば、三千五百円になる。これは一人分であるが、募金というやつはたいてい一人ですることはない。仮に六人いるとすればアルバイトなら都合二万一千円の収入を得ることができるのだ。
 募金活動をおこなった場合にはどうだろう。五時間で二万一千円を得ることができるのであろうか。
 試算してみよう。
 まず、一人あたりの平均募金額を考える。私自身、募金というものを一切したことがないので、相場がどれくらいなのか全く判らないのだが、おそらく気前良く紙幣を提供する人はそうそういるものではない筈だ。逆にじゃらじゃらと複数枚の硬貨を投入する人もあまりいないのではないか。たいていの人は硬貨を一枚だけ投入することと思われる。
 さて、硬貨といっても六種類もある。一円、五円、十円、五十円、百円、五百円。これ以外にも皇室行事関連などの記念硬貨として千円、一万円、十万円硬貨なども存在するが、これらはそもそも特殊な存在であり、日頃携帯している人はそうそういるものではないだろうし、それらを募金に提供する人となるとほとんどいないだろうから、無視することにする。
 ということで六種類の硬貨にに限定するのだが、ここで問題になるのはこれらの比率である。一円や五円はさすがに大の大人が提供するには恥ずかしい金額であるから、ほとんどないだろう。五百円は庶民水準で考えると、募金額としてはやや高額である。ということで十円、五十円、百円あたりが妥当な線だろうけれど、五十円はその流通量の低さから占有率は低いと考えられる。
 と、まあここまでは比較的理論的に推察してきたのであるが、それではこれら三種の硬貨の割合はどうか、というとこれがさっぱり判らない。判らないでは進まぬので、取り敢えず想像で書く。やはり金額の高さに反比例して比率が下がるだろうし、五十円は先程書いた理由によって少ないだろうから、十人あたりで、十円、十円、百円、十円、十円、十円、五十円、百円、百円、十円、といったところか。合計四百十円である。ということは期待値は一人あたり四十一円となる。
 一時間あたりおよそ十七人が募金に協力してくれれば六百九十七円となり、時給七百円のアルバイトにほぼ匹敵する金額となる。一時間に十七人である。なんとかなりそうな気もするが、忘れてはいけない。我々は六人で募金活動をおこなう場合を想定しているのだ。ということは六人めいめいのあの四角い募金箱にこれだけの金額を獲得せねばならない。十七掛ける六は百二である。なんと一時間あたり実に百二人もの人間の協力がなければ時給七百円のアルバイトに相当する金額にはならないのである。一分あたりでは一.七人である。
 一分に一.七人。どうだろう。じっくりと観察したことはないので判らぬのだが、これだけの人間が募金協力してくれるのだろうか。ちょっとかなりの数字である。一分に一.七人である。しかも五時間立て続けにである。これはもう、募金の入れ喰い状態である。有り得るだろうか。
 募金活動がいちばんおこなわれているのは駅前であろう。電車の到着と同時に大量のどっと人が降りてくるけれど、全員が募金協力をするわけでもない。募金に協力的積極的な人であっても、募金するためにその人波の中に立ち止まることはちょっと躊躇するのではないだろうか。むしろ、駅にやってくる側の人間が主な標的であろうが、それにしても一分一.七人である。三百分のべつ幕なしに、である。
 やはり、これは不可能であろう。
 ということは、募金活動の代わりにアルバイトなり何なりの労働をする方が確実にして高額なる金銭を得ることができるのだ。
 であるからして、募金活動をおこなっている人びとよ。箱を捨てよ、「an」を読もう。


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1998/01/28
文責:keith中村
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