第58回 困惑させる人


 僕の得意な物真似に、鼻をつまんでおいて、
「こんばんはあ、桜田門外の変でえす」
「こんばんはあ、サグラダファミリアでえす」
 というのがある。残念ことにこれはちっともウケないのだが、さてその桜田さんと同じ宗教にかつて姉が入信した。なにやら怪し気な合宿にぷいと家を飛び出して何ヵ月も行方不明になっていたり、かと思うと戻ってきては「あのねえ。今度の救世主さまはこの日本の国からお生まれになるのよ。だからだから、ちゃあんとその準備をしてお迎えをしなきゃいけないの。わかる」などと家族を折伏したりと、それはもう家中大騒ぎであった。
 姉はとても飽きっぽい性格であり、結局二年ほど経つと憑き物が落ちたように冷めてしまった。ちょうどその頃に縁談の話があり、さっさと片付いてしまったのだが、恐らくいまだ旦那にはそのことを告げていないのではなかろうか。お義兄さん、実はそんなことがあったんですよ。
 ところで、世の中には馬鹿ポエムというものが存在する。詩でも何でもないものをノートにつらつら書き連ねて悦に入っている人種がいるのだ。
 七十年代、それらの人々は表紙に「ポエムの音」と色鉛筆で書かれたコクヨノートに詩もどきを書き溜めた。
 八十年代、それらの人々はワープロという、よりヴァーチャル・リアルな形で作品を作成できる道具を得て、ますます肥大した自我を養うようになった。
 九十年代、とうとうそれらの人々はネットワークを手中にし、風呂でこいていた屁を世界に向けてぶっ放すまでになってしまったのだ。
 げに恐ろしきは馬鹿ポエムである。僕だって、ダメ雑文なんてものをやっている手前大きなことを言えた義理ではないが、それにしてもあちらさんは格が違う。

公園に 雨ざらしの 三輪車
声も出さずに 泣いている
冬の雨は 冷たいけれど
でも あの人の心ほどじゃないわ
だから 三輪車さん がんばってね
わたしも きっと が・ん・ば・る・わ

 などというものを二十も三十も書き散らしているのだ。ちなみにこれはたった今でっちあげたものだが、それなりに「その手の人」のものに見えてしまうところが自分でも恐ろしい。
 この手の人に共通して見られる傾向は「勉強しない/自分しか見えない」ということである。詩というものを小学校の国語の時間に書かされた経験は誰しもおありだろうが、彼らはその際、担任から作品を褒めあげられいい気になってその道に入ってしまうのだ。そしてまったく自分の感覚だけを頼りに言葉を並べてゆく。詩や文学の理論をちっとも知ることもなく、それどころか本物の詩人の作品だってほとんど読むことなく、だらだらと寝言を書き連ねてゆくのだ。
 姉がこの種の人間であった。僕は幼い頃から彼女が書いた詩でも何でもないものをたびたび朗読して聞かされたものだ。なんということだ。もしかしたらそれに感化されて「そういう人」になっていたかもしれぬではないか。危ないところだった。
 さてさて、件の宗教から脱会し結婚した姉は、こんどは小説なるものを書き始めた。僕だって文学賞に応募したという過去を持っているので、この辺りはなかなか微妙なところではあるのだが、しかし僕にはあちらさんの書いているものが「小説」だとはどうしても思えないのだ。かつて僕がある文学賞の一次銓衡に残ったということを聞きつけて以来、何度も何度も自分で書いた「小説」を送り付けてくる。
 そもそも文章がどうにも下手くそで、非常に読みづらい。しかも流行歌にありそうな紋切り型の言い回しを「洒落た表現」と誤解している節があり、多用する。ずっと黙殺していたのだが、あんまり執拗に感想を言えといってくるので仕方なしに返事を書いた。
「音階を出鱈目に並べても音楽にはならぬのと同様、言葉を並べるだけでは小説にはなりません。作曲の場合にはコード進行をはじめ、ある程度理論を学習しないとできるものではないことはお解りでしょう。だが、小説の場合、なまじ『言葉』という誰でも使用するものを用いるだけに、その点が見落とされてしまうのが困ったものです」
 我ながらかなり失礼な手紙だと思うが、仕方がない。本当にそう思ったのだ。
 案の定、姉は怒り狂った。
「たいそうなご高説ありがとうございました。非常に興味深く拝読しました。ただし、私はあなたの仰っしゃるような高尚な『文学』を目指しているのではありません。そんな高級なものではなく、もっと庶民のための小説を書いているのですから、あまり参考にならずに残念です」
 と厭味たっぷりの返事を寄越した。庶民のための小説って何だ。
 それきり音信不通であったが、先日久しぶりに姉が分厚い封筒を寄越した。開封してみると、ワープロで打ち出した原稿が入っていた。なんでも、ある新人賞に入選したから読んでくれ、という、なんのことはない、自慢であった。
「二日ほどでササーッと書きあげたもので、たいした中身でもないけど、私は自分の中で『ああ、そうか』なんて、何かが理解った(ママ)作品と思います。それでストーリーよりも文体や日本語自体のキレイさみたいなのを意識して作ったのですが……。文章自体を味わえるような……。まあ、そちらから見れば稚拙なもんでしょうが」
 屈折してるなあ。屈折した自慢である。
「今回の発表分が本(冊子)になるので、そちらへも送ります。私なんかが入いる(ママ)くらいだから、そっちから見ればたいした集まりではないと思いますが」
 二日ほどでササーッと書いたものが、本になるのよ、ほほほほほ、ていうあれなのだろうな。
 ところでその新人賞というのが初めて聞くものだったので、検索エンジンで調べてみた。敢えて名前は秘すが、あるわあるわ、その新人賞の名を冠して「○○○○文学新人賞受賞の○○がお送りする詩と小説のページ」なんていうのがごろごろ引っ掛かる。さらに調べると、この賞の主催が自費出版専用の出版社だとわかった。受賞者が作ったページというのに幾つか行ってみたが、これがなんとことごとく馬鹿ポエム的香りを発しておるのであった。まったく、何をかいわんや、である。
 それにしてもその新人賞、姉が自慢気に同封していた受賞作品リストを見ると、百二十六篇の応募作品中受賞が三十六篇である。実に三割近くが受賞しているのだ。文学賞に送られてくる作品の九割近くは箸にも棒にもかからぬものである、という話があるが、三割が受賞というのはどういうことだろう。レベルが高いのやら、はたまた無理矢理箸や棒にかけているのやら。しかも、受賞者の半分近くが怪しげな筆名あるいは筆名らしき名である。
 鮫島かいる。不知火景。ゆいたくま。桜木紫乃。憂木カノン。茜まこと。何人だ、君たちは。
 我が愚姉どのは「楓」となっておった。どこがカエデやねん、あんた。
 今回は不機嫌な内容となってしまい、皆様にはお詫び申し上げます。
 でも、いちばん不機嫌なのは「血は争えぬ」ということなのです。
 最近知ったことなのだが、我が祖父は山荘に籠って素人小説を書いていたという。アル中だったが、そこで山荘もろとも焼け死んだ。とほほ。
 母はずうっと童話の同人誌をやっていた。とほほ。
 姉がこれだ。とほほ。
 そしてタロウがここに居る、という奴だ。とほほほ。


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1998/01/26
文責:keith中村
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