第54回 超


 それでも敢えて今更ながらに「超」についてである。
「超何々」という流行語にはやはり引っ掛かりを感じてしまうのだが、ではいったい何故なのだろう。そもそも「超」という接頭語は名詞にしかつかないものではないか。
「超能力」「超音波」「超音速」「超巨星」「超新星」「超合金」「超高層建築」「超自我」「超伝導」。
 ところが、流行語としての「超」は形容詞や形容詞的な語に用いられることが多いのだ。
「超やばい」「超むかつく」「超すごい」「超眠い」「超ベリーバッド」。
 そうなのだ。これが奇異に感じる原因であったのだ。
 本来付けるべきところに付かずに、付けるべきでないところに付いている。これが奇妙さの原因なのである。考えても見たまえ。コンドームを陰茎に装着せずに頭に被っているようなものではないか。鼻の穴に煙草を挿入しているようなものではないか。
 もちろん、物事を敢えて不適切に使用するというのは、若者のエネルギーの象徴である。パンクムーブメントである。安全ピンを頬に刺したり、鼻や乳首にピアスをつけたりするのもあるいは常識的なものに対するアンチテーゼであるのだろう。
 それにしても、と私は思うのだ。昨今の流行というものはどうにもこうにも一斉に右へならえ的になっているきらいがある。対抗文化として新しい物を産み出す筈の若者が、何というか非常に事大主義的になってしまっているのではないのか。誰かが「超」プラス形容詞を使用すると皆が「超」プラス形容詞を真似る。そこには生産がない。あるのは空疎な消費のみである。
 こんなことを言うと若者は「うるさい」あるいは「うっさい」と「超むかつく」かも知れぬ。おじさんの小言に過ぎぬのかも知れぬ。それでもおじさんは考えるのだよ。せっかくの対抗文化、対抗言語としての「超」ではないか。もっともっと過激な用法があるのではないか。
 たとえば、である。形容詞だけではなくいろいろな品詞に応用してみるのは如何であろう。
 たとえば動詞につけてみるのだ。
「超走る」
 これはちょっと凄い。なにしろ超走っているのだ。
 マラソンなどに使えるだろう。
「一着でのゴールインおめでとうございます。いやあ。超走りましたねえ。今のお気持ちは」
「はあ。はあ。自分を超褒めてあげたいっす」
 あるいは、
「汝新婦は新郎を健康なるときも病めるときも、死が二人を別つまで夫とすることを誓いますか」
「超誓います」
 さらには、
「苦節十年、ここにようやく花開きました。さあ、超歌っていただきましょう」
 というように、動詞に使ってみるのはかなりのものではないか。
「超食べる」「超寝る」「超生まれる」「超死ぬ」「超よがる」「超髭を剃る」「超見る」「煙草を超吸う」「超鼻血出る」。どれもこれも魅力的な用法である。
 間投詞、独立語に用いるのもいいかもしれない。
「プルルルル」
「超もしもし」
 とか、
「ドロドロドロドロ。うーらーめーしーやー」
「超きゃあっ」
 それに、
「今日の晩ご飯はカレーよ」
「超やっほうっ」
 なかなかよさそうである。「超おらおらおらっ」「超こらっ」「超どっこいしょ」「超うええん」「超はっくしょん」。
 原義に戻って名詞に使うにしても、さまざまな可能性は残されている。
「超公衆便所」「超モルモン教」「超マイケル・ジャクソン」「超邪馬台国」「超細腕繁盛記」「超トガリネズミ」「超間違い電話」「超毛抜き」。
 もうこうなってくると何がなんだかさっぱり判らない。
 そんなわけで、本日はこれにて超終わり。


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1998/01/16
文責:keith中村
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