第51回 新年の抱負


 そろそろ私も説得力を持たねばならぬ年齢である。いつまでも軽重浮薄な立ち振舞いばかりしてもおられぬ。
 そこで、大人の説得力というのはどういうものかを考えてみた。
 まず欠かせないものはなんといっても髭であろう。説得力の最大要因はどう考えても髭である。ただし注意せねばならぬのは髭にもいろいろあるということだ。
 たとえば無精髭。これはいただけない。説得力に著しく欠ける。だが、つらつら考えるに、無精髭よりももっと説得力を失う髭もある。たとえばサルバドール・ダリのような鯰髭。なんでも、あの髭を住所代わりに書いただけ郵便がきちんとダリのもとに届いたという逸話もあるようだが、そんな郵便配達夫のみに通じる説得力ではいけない。そういえば大泉滉も斯様な髭を生やしておるのだが、私にはサルバドール・ダリと大泉滉の区別が今ひとつつかぬ。太田胃酸のコマーシャルに出演していた方が多分ダリだったとは思うが、それにしては流暢に日本語を喋っていたようにも思う。いずれにしてもダリや大泉滉では説得力は生じぬ。大泉滉はロシア皇帝ニコライの末裔だと仄聞した気もするが、どう考えてもそんな筈はないようにも思う。
 マルクス髭。マルクス髭といっても二種類ある。「資本論」のマルクスが生やしていた髭と、マルクス兄弟のグルーチョが生やしていた髭である。グルーチョ・マルクスといっても知らぬ人が多いかもしれぬが、パーティ・グッズにある眼鏡と鼻と髭が一体化したアイテム、あのモデルがグルーチョである。あれを着用するだけであなたも即座にグルーチョに変身である。しかし、あんなものを着用していたらどう頑張っても説得力など持てそうにない。
 ではかつて世紀の二枚目といわれたクラーク・ゲイブルの髭はどうだ。「風と共に去りぬ」のレット・バトラーである。いやいや。駄目だ。私にはクラーク・ゲイブルが二枚目にはどうしても見えないのだ。それどころかクラーク・ゲイブルと谷村新二の区別だってままならぬのだった。なんてことだ。片や崩れパンダだ。「崩れパンダ」なんていっても若い人には判るまいが女性立ち入り禁止コーナーである。あまつさえ、谷村新二と黒鉄ヒロシだって判別不可能だ。どの道説得力からは程遠い。
 加藤茶のカトちゃん髭も駄目だ。ましてや、禿かつらなどつけるのはもっての他だ。
 バカボンパパはどうだ。いやいや。騙されてはいけないのだ。あれは髭ではなく鼻毛なのだ。
 なんということだ。髭があれば説得力が持てると思っていたのに、こうやって考察してみるとちっともそうじゃない。
 髭恐るべし。
 ということで髭はやめる。
 ではいかにして説得力を示現させるか。
 身分による説得力の多寡というものもあるのではないか。たとえばお公家さま。これはどうだ、説得力など微塵もないぞ。なにしろ、「麻呂は」だの「おじゃる」だのと喋るのだ。そんな言葉で大人を説得力できるなど思うのは大間違いだよ。しかもお公家さまは歩くときに必ず「ひんぷくひんぷく」ととなえるのだ。左足を出すときに「貧」、右足で「福」。建物に入るときにはきっと「福」の右足から入るのだ。しかもなぜ左足が「貧」かというと、単に「ひ」の音が共通しているからに過ぎぬというのだ。なんということだよ、お公家さま。
 それではお侍さまはどうか。うん。なかなかよろしい。なんといっても「拙者」である。へりくだっている。謙譲の美徳だ。「ござる」である。叮嚀ではないか。いまどき、こんな叮嚀な言葉遣いする人間、鉦と太鼓で探したってそうそういるものではない。その謙虚さの中から滲みでる説得力。これだ。クロサワ映画だ。仲代だ。ミフネだ。突然ですがご冥福をお祈りいたします。そうだよ。これが私の求めていた説得力だ。
 しかも先程考察して不適と看做した無精髭だって、お侍さまが生やしておれば、こりゃもう説得力が倍増するではないか。説得力補完計画ではないか。
 そんなわけで今年はお侍さまになろうと思うのでござる。


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1998/01/09
文責:keith中村
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