第48回 人間の証明


 職場の川田君は実家が餅屋なので、我々全員に餅をひとパックずつくれた。さすが、餅は餅屋である。あ、これは前に使ったな。
 正月に食べてくれということであろうが、なんということだ、そこに居合わせた者のうち、生粋の泉州人四名がいきなりその場で封を切ったかと思うとだしぬけに貪り喰らいはじめたのだ。生の餅である。あんころ餅でもきな粉餅でもない、ただの餅である。呆気にとられて見ていると、「やあ。やっぱり旨いッスねえ」などと言う。
 これはちょっとどういうことであろう。
 一般に餅というものは、焼いたうえに砂糖醤油をつけるとか、海苔で巻いて醤油に浸すとか、そういった正当な手続きを踏んでから喰うものではないのか。その場で貪婪を極めて食するようなものではない筈ではないか。
 いけません。いけませんったらいけません。大人のする行為ではありません。決してありません。断じてありません。
 しかも、口のまわりには白い粉をいっぱいに付着させてるし。
 もしかしたら、泉州には貰った食物はその場で食べるのが礼儀であるとか、餅は生に限るとか、そういうあれでもあるのだろうか。
 まあそれはそれとして、今回は人間の証明について考えてみたい。
 いったい、私が私であるということはどうすれば証明できるのであろうか。
 英語には「鯨が魚でないのと同様に私は馬ではない」という諺があると、高校で習ったように思う。私が馬でないのは証明しやすい。これには背理法を併用した三段論法がよろしい。
 馬が走るとパカランパカランと音がする。
 私が走ってもパカランパカランと音がしない。
 よって私は馬ではない。
 これを利用すると「私は鉄腕アトムではない」「私はフグタサザエの息子ではない」も証明できよう。
 しかし私が私であることを証明するのは容易ではない。一般に、ノットAであることの証明は簡単でも、Aであることを証明することは困難であることが多いのだ。火星に生物が存在しないことが判ったからといって宇宙人が存在しないとは限らないということである。
 そういえば中学数学では、簡単な証明を学習するが、
「二辺とその間の角がそれぞれ等しいので私は私である」
「斜辺とひとつの鋭角が等しいので私は直角三角形である」
「対角線が各々の中点を共有するので私は平行四辺形である」
などと証明できればこれほど楽なことはないだろう。
 ところで、中学校の歴史の時間にオーストラロピテクスとかシナントロプスなんかを学習した。つい最近まで知らなかったがこやつらは我々の直接の先祖ではないらしい。ただ、そういう奴が過去にいただけで、先祖ではないらしいのだ。
 もしかしたら、そんな当たり前のことを今更言うなという人もいらっしゃろうが、何しろ知らなかったのだ。馬鹿でごめん。
 我々の直系の先祖はクロマニョン人であるらしい。だから、我々は分類上クロマニョン人である。もしかしたらちょっと違うかも知れぬが、でも二億年くらい先の知的生命体は学校で「クロマニョン人は高度な文明を持つまでに発達しました」などと習うのかもしれない。鏃もピラミッドもコンピュータも十把ひとからげだ。
 ネアンデルタール人というのもいた。実はこれがどうなったのかは、判らぬらしい。一説によると、現在の人類の中にはクロマニョン人系のものとネアンデルタール人系のものが混在しているという話もあるようだ。ことによると「2001年宇宙の旅」でモノリスに触らなかったほうの、ぼこぼこにしばかれていた猿がネアンデルタール人かもしれない。
 しかし、仮にネアンデルタール人とクロマニョン人が混在しているとして、それを判別する方法はないようで、私は私が私であるのか以前に私がネアンデルタール人なのかクロマニョン人なのかに頭を煩わせねばならない。
 餅を生で喰うのがネアンデルタール人とか。そういうのではないのかな。
 風呂に入っているときに、いい気分で歌を唄う方がクロマニョン人とかね。
 なにが、「とかね」だよ。


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1997/12/31
文責:keith中村
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