第45回 猫は九回生きる


 生物学にネオテニーという言葉があるらしい。邦訳は「幼形成熟」だったか。オオカミに育てられた人間の赤ん坊の例があるように、どんな生き物でも赤ん坊は可愛らしいものであるから、他の動物に襲われることを回避できる。だから、弱い生き物は成熟しても赤ん坊の外見を保つことで「ぼくちん、可愛いんでしゅ。だから食べちゃ駄目だよー」と自分を保護している、というの説だ。うろ覚えだから少し違うかもしれないけれど。アホロートルは山椒魚の幼形成熟であるらしく、人間も猿の幼形成熟だという説もあるようだ。
 猫という生物は、成長してからも仔猫の姿をかなりとどめており、これが身を護る術になっているかもしれない。
 それゆえ、一匹の猫の前に人は子供に還る。
「うわあ。猫ぴょんでしゅねえ。んんん、可愛いでしゅねえ」
「あらら、どうちたんでしゅかあ。お腹がすいたんでしゅかねえ」
「背伸びしてましゅねえ。ぎゅうう」
「ごろん。横になりまちたねえ。ううん、楽ちん楽ちん」
「おやあ。おひげがはえてましゅねえ。ひげひげー」
「びゅうーびゅうーびゅー。にゃにゃにゃんとー」
 傍で聞いていると、こいつはいったい何者なんだ、と思わせるくらい猫とふたりの世界に没入してしまっている。
「ねこ。ねこ。猫ダンスー。猫が踊るよ猫ダンスー」
 どこの歌だよ、というような歌を即興ででっちあげて猫の手を取って踊らせたりする。
「んー、踊り上手でちたねー」
 待て待て。おのれが勝手に踊らせていただけじゃないか。
 かと思うと、猫を膝の上に乗せ、猫の手をとり目隠しさせて、
「ありゃあ。真っ暗でしゅねえ。うーん、うーん、見えにゃあい。見えにゃあい。暗いでしゅよお」
 などと始める。
「ぱっ。おやおやあ。明るくなったでしゅねえ。明るくなった戦後の日本でしゅう」
 抛っておくと飽きることなくいつまでも猫と戯れている。
 こんなふうに人と猫とのコミュニケーションはちょっとどうかということにになってしまいがちである。冷静に考えてみればこれはかなり凄い状態である。
「猫を殺すと七生祟る」という言葉がある。犬にはこういった言葉はない。これもやはりネオテニーのせいではあるまいかと思う。すなわち、猫は可愛い。可愛いからこそ、殺してしまったときに人は大いなる罪悪感に苛まれる。そこでこんな言葉が生まれたのではないか。そういえば英語には 'A cat has nine lives'「猫は九回生きる」という言葉がある。この言葉の正確な意味は知らぬので、もしかしたら単に猫が長生きであるというだけのことなのかもしれないが、「七生祟る」と類似の意があるとも考えられる。
 それにしても猫の相手をすると人間の行動がいささか常軌を逸してしまうのはどういうわけか。もっと他の生き物に置き換えてみると、これはもういったいどうなっているのだということになってしまう。
 たとえば、カメレオン。
「うわわわ。カメレオンでしゅう。カーメレオンー。とっても可愛いでしゅねえ」
「うららー。蠅をとりましたねえ。上手でしゅねー」
「カッメレオンー、カッメレオンー、踊りを踊るよカッメレオンー」
 たとえば、トガリネズミ。
「うっひゃあ。トガリネズミちゃんでしゅう。かっわいいでしゅう」
「わあ。とがってましゅねえ。とがってましゅー。とんがりねずみでしゅー」
「あんよは上手にねずみしゃんー。ステップステップとんとんとんー」
 たとえば、お爺さん。
「ひゃあー。おじいちゃんでしゅー。とーっても可愛いっしゅー」
「おやおやあ。口をもぐもぐ動かちてましゅねえ。なんか食べてるんでしゅかねー」
「うーん。入れ歯でしゅねー。そう言えば総入れ歯。うひゃひゃひゃ。おもちろいでしゅねー」
「おじいちゃんー、おじいちゃんー。たらったらったらったお爺ちゃんー」
 どう考えてもかなりまずい。社会的に抹殺されても文句は言えないような行為である。
 関係ないが「007は二度死ぬ」という名言がある。丹波哲郎だった、と思うのだがもしかしたらニーチェかもしれぬ。意味は失念。


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1997/12/20
文責:keith中村
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