第40回 科学技術


 科学技術センターとはたいそうな名前である。科学である。おまけに技術だ。あまつさえセンターである。いったい何をするところなんだ。何やら庶民感覚や庶民感情から著しく乖離した非人道的な研究でもやっておるのじゃないか、と勘繰りたくなってしまう。たとえば超伝導であるとか常温核融合であるとか、そういう字面からしていかめしいものを弄んでおったりするのか。複雑系などというそれはそれは複雑なものを研究しておったりするのか。はたまたDNAとかクローンとかゾンビとかレオポンだとか、そういう悪魔の実験をしておるのか。もしや、「えれきてる」などという伴天連の妖術でも訓練しておるのではあるまいな。その辺のことはどうなっておるのだ。ええい、責任者出てこい。などと古典的な叫びをあげたくもなるが、実のところこの科学技術センターなる建造物はただの貸会議室である。一階にはお子様向けの展示コーナーがあり、確かにそこいらはやや科学技術であったりする。だが、フランケンシュタイン博士がモンスターを製造するときに使いそうな、透明のガラス球の中に電気がびこびこ走るやつがあったり、「げんぱつについてべんきょうしよう」などというパネルがあったりで、結構胡散臭い。そして二階から最上部の八階までは全て会議室とホールである。
 私の勤務する会社は営業所が各地に散らばっているので、上層部は指示系統の乱れが不安なのであろうか、しばしば「意思統一」と称して会議を持つ。会議といっても、壇上の管理職の話をひたすら聞くだけのものなのである。そしてその会議のほとんどはこの科学技術センターを借りておこなわれるのであった。
 ありがたいことに私は科学技術センターの近くに住んでいるのでそういう日は出勤が楽である。科学技術センターは靫公園という公園の東端に位置しているのだが、私の住むマンションはその西端にほど近いところにあるので、公園の中を歩いてゆけばすぐだ。大きな公園ではあるがそれでも徒歩で十五分くらいか。だが、こんな冬の寒い日には歩いてゆくのも億劫なのでタクシーを利用することになる。ま、春がきても夏がきても秋がきてもタクシーを利用しているのだが。ダーリン。
 科学技術センターまでは初乗り運賃で行ける。私は市内の移動にはたいていタクシーを利用する。贅沢だなどと言われることもあるが、自動車も運転免許も持っていないし、だいいち自動車の購入費用や維持費や税金を考えれば、タクシーを利用する方が長期的に見て遥かに安いのだ。
 しかし、この科学技術センターは私にとって鬼門である。というのも、実はタクシーでちゃんと行き先が言えないのだ。
「かあくぎっすせんたーまでお願いします」
「どこですか」
「かがっぎっちゅせんたーです」
「え、どこ」
「だから、その、科学」
「はい」
「技術」
「はい」
「センター」
「ああ。科学技術センターですね。かしこまりました」
 これまで何十回となく言っているのだが、満足に発音できたためしがない。どういうことだ。三十年近く生きてきて「科学技術」すらきちんと言えぬとは、我ながら情けない。
 最近ではタクシーを拾うまでの間、口の中でもごもごと「科学技術科学技術」と呟いて練習しておるのだが、これがいけない。きちんと言わなきゃ、と余計にあせってしまい、
「毎度ありがとうございます。どちらまで」
「うええ、くああぎいすせんたー」
 などとやってしまうのだ。いったい何語だ。
 タクシーを降りるときがまた大変である。二百人くらいの社員がわらわらと蝟集している科学技術センターのまん前にタクシーで乗り付けるなどということをしてみなさい、あいつはヒラのくせに毎度毎度タクシーで乗り付けている、いったいどういうことだ、陰で悪いことでもやってんじゃねえのか、ヤクの売人だって話だぜ、いやいやどこかの国のスパイだってよ、などと噂が立つ。それもちと何である。
 そんなわけで、少し手前のあたりで、「あ、このへんでいいっす」と降りるようにしている。
 まったく会議ひとつ出るにもこれだけ気苦労をしているのだから、疲れてしまう。疲れてしまうから、会議中に眠ってしまうのも無理からぬことではないか。今日も会議だったのだが、早く終わらないかなと時計をちらと見るうち、うつらうつら眠り込んでしまった。眼を醒まして再び時計を見るとたった五分しか経っていない。あれ、五分うたたねしただけなのに、なんだがものすごくすっきりしたなあ、と思い時計をよく見ると一時間五分経っていた。その間一度も眼醒めなかったのだから我ながら大したものだ。
 一年ほど前、会社に初めて大がかりなネットワークシステムが導入されることになったとき、ここで開発元のソフト会社の人間がプレゼンをやった。照明が落とされ、OHPの巨大なスクリーンに白い卵型の物体が映し出された。開発元のエンジニアは誇らしげにこう言った。
「みなさん。これがマウスというものです」
 私はのけぞった。たぶん百人くらいが心の中で一斉に「わかっとるわい」と突っ込んだ筈だ。
 ああ。科学技術とは何だ。


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1997/12/13
文責:keith中村
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