第39回 命令


 「命令形」というものについて考察したい。
 ご存知のように動詞には未然連用終止連体仮定命令という活用形があり、どんな動詞でも語形変化させれば命令形にできる。しかし、と私は考えるのだ。やはり命令形にしやすい動詞とそうでないものがあるのではないか。
「止まれ」
「動くな」
 これはいちばんありがちな命令である。犯罪者から警察官まで、さかんに口にする。典型的な命令である。
 この種の王道を往く命令には、目的語を伴うものも少なくない。
「手を挙げろ」
「金を出せ」
 だが、ここで注意したいのは目的語の選び方である。
「ぼんのくぼを挙げろ」
「ボーマン嚢を出せ」
 何のことやらさっぱり判らない。言われたほうだって戸惑ってしまうだろう。
 あるべき筈の目的語を伴わないのも困る。
 強盗が押し入ってきていきなり「回せ」と言われたらどうすればよいのだろう。
「な。何を回すのですか」
「うるさい。つべこべ言わずに回せばいいんだ。力の限りな」
「……あの。ですから」
「やかましい。回せと言っているだろう。正確に五回半だ」
 もし相手の言っているのが、皿を回すことや傘の上で茶瓶を回すことなど特殊技術を要するものであったらちょっと大変であるし、あるいは眼を回せなどという恣意的にできぬことの強要であっても随分困ってしまう。
「張り切れ」
「しゃくれ」
 やにわに言われても弱ってしまう。やはり動詞の命令形には向き不向きがあるようだ。
 ところで、命令形の語尾には「せよ」のようにオ段になるものと「やれ」のようにエ段になるものがあるが、くれぐれもこの使いわけを正しくしたい。オ段で受ける動詞を間違えてエ段で受けてしまったらどうだろう。これはもう、ちょっとどうしようもないくらい説得力を失ってしまうのである。やってみよう。
「おとなしく手を挙げれ」
 なんだ、それは。お前はどこの生まれだ。なんてことになってしまうのであった。
 いじめられっ子には「うええん。もう。やめれ。やめれ」などという者もいるが、そんな説得力のない言い方をしているのだから、いじめられてもむべなるかな、である。むべなるかな、って何か知らないけれど。
 やはり命令形の語尾は正しくあるべきだ。きちんと使えば、命令形というものは怒涛の説得力を持つことになるのだから。
 悩み相談を例にしてみよう。
「●相談●私は若い頃に夫に死に別れた主婦です。まだ小さかった息子と娘を女手ひとつで必死に育ててきました。当時は女性を満足に雇ってくれるところも少なく、ビルの清掃や便所掃除などもしました。死んだ夫は博打に現を抜かし多額の借金を残しました。私は死に物狂いで働いてそれをちょっとずつちょっとずつ返済し、ようやくあと四百万円にまで減らしました。息子は小さな頃は本当にいい子でした。でも中学にあがった頃から素行が悪くなりはじめ、妙な友達とお付き合いするようになったのです。免許もないのにバイクなど乗り回し、私が忠告すると、うるせえ糞婆あ、などと罵る始末。心配で心配でならなかったのですが、一年前の冬、とうとう電柱に激突してしまいました。一命はとりとめたものの植物人間になってしまいお医者さまは、もう意識が恢復する見込みはないとおっしゃいます。娘も小学校の頃は、親の私がいうのもなんですが、ご近所の人から、やあこれはどこのお姫さまだい、と言われるほど可愛くて素直だったのですが、息子の事故がショックだったのか素行が乱れ始め、中学生になったころからたびたび外泊を繰り返し、あやしげな男性からの電話もしばしば掛かってくるようになりました。私が仕事から帰ってくると見知らぬ男性と蒲団で寝ていたこともありました。私が諌めると、やかましい、はやいとこくたばりやがれ、などと火のついた煙草を投げつける有り様。もう私は疲れ果てました。この子を殺して一緒に死のうと思ったことも数知れません。でも眠っているときの昔どおりの本当に可愛い寝顔を見ては、思いとどまります。私はもう疲れ果てました。毎日泣いて暮らしています。どうすればいいのでしょう。先生、お教えください」
「●回答●悩むな」
 できれば宇津井健の声を想像して読んで欲しい。怒涛の説得力。説得力の権化である。
 命令形はかくの如く正しく使いたいものである。
 そういえば田舎のおばあちゃんは「まあ、遠いとこ、よう来たねえ。ま、これでも食べり」などと言う。
 なんだよ、その「り」というのは。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1997/12/12
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com