第360回 資格とは


 ひと昔前の評論家たちは、「日本は学歴社会だが、欧米はすでに資格社会となっている。個人の実力を適切に測れるのはどんな学校を出たかではなく、どんな資格を持っているかだ」などとよく言っていたように記憶しているが、今や我が国でも資格が流行しつつある。テレビでは各種の資格に関するコマーシャルの声がかまびすしいし、雑誌を開けばさまざまな資格の広告が賑やかだ。国も資格取得にかかる費用について八十パーセントだか三十万円だかを補助する施策を打ち出している。
 しかし、資格というのは曖昧な概念である。資格とよく似たものに免許があるが、この両者を辞書にあたってみよう。

 資格「一定のことを行うために必要とされる条件や能力」
 免許「一般には禁止または制限されている行為を、行政官庁が特定の場合に特定の人だけに許すこと」

 読み比べると免許のほうがよほど厳密に定義された言葉であることが判る。ただし、この定義では「一般には」がどこにかかるのかがやや不鮮明だ。「許すこと」にかかるならば「免許とは一般にこういうものだよ」ということで構わないのだが、「禁止または制限されている行為」にかかるならば、この定義は間違っていることになる。何故なら、免許によって許されている禁止制限事項は、あくまでも法によって禁止制限されたものであり、「一般に」禁止制限されている事項すなわち常識慣習慣行不文律暗黙の了解によって禁止制限されているものごとに対する免許はないのだから。
「葬式の場で突然笑いだす」
 これは法ではなく常識としての禁止制限事項であるから、逆にこれを許可する「葬式で笑っていいとも免許」というものは存在しない。同様に、大晦日から鏡餅を飾り始めてはいけないからといって「一夜飾り免許」があるわけではないし、「口に食べ物を含んだまま喋る免許」も「頭にネクタイ巻いて千鳥足で出社する免許」もないわけだ。
 話が逸れたが、とにかく免許という概念ははっきりとしている。譬えば自動車の運転。これはまず「運転してはいけない」という既定値があり、運転免許取得によってこの制限が取り除かれるわけである。文字どおり「免じて許す」のが免許なのである。医師免許がなければ薬を投与したり手術をしたりという医療行為をおこなってはいけないし、無線免許がなければ一定出力以上の電波を発してはいけないのである。
 その片方で、資格の曖昧さはどうだろう。
 上記の辞書にある「一定」とは、水準・段階的にある種の「程度」が達成されている状態のことであろうが、譬えば「一定のこと」というのを「カレーを三杯平らげること」と仮定して考えてみよう。カレーを三杯平らげるのは何らかの意味で「程度」を超えていることに間違いはないのだから、この喩えは適切であろう。では、カレーを三杯食べるために必要とされる条件というと何が相当するだろうか。おそらくはこうだ。
「お腹がとても空いていること」
 あるいはこうだ。
「お腹と背中がくっつくぞー」
 突然大声で歌い出したので驚かれたかもしれないが、もちろんこれはカレーを三杯食べるための条件だ。しかし、これをもって「カレーを三杯食べる資格」とは呼べないだろう。
 今度は「能力」の方も別の例を挙げて考察してみよう。
「マッチ棒を組み合わせて金閣寺を作る」
 これをおこなうのに必要な能力は何だろう。こうだろうか。
「指先が器用なこと」
 またはこう言い換えてもよい。
「この指パパ、ふとっちょパパ」
 またしても出し抜けに大声を張り上げて申し訳ない。しかも、いい気分で歌ってみたもののよく考えると今度はあんまり関係がなかった。
 いずれにせよ、これもまたマッチ棒の金閣寺を作る資格とは言わないだろう。
 このように、資格というのは免許に比べてあまりにもよく判らないものなのである。
 実は私がこのように資格というものに意識的になったのには理由がある。昨年の秋に受けた「上級システムアドミニストレータ資格」の合格通知が先ごろ届いたのである。
 せっかくだからこれを最大限活用せぬ手はない。私は家の者を呼び付けて言った。
「この試験はとっても難しいものだったのだよ」
「はあ」
「ほれ、このサイトをご覧。合格者は全国でたったの三百九十六名とある。判るかね」
「はい」
「このような資格を入手した私であるから、何らかの報酬系があってもよいのではないかと考えるが、そこんところはどうだろうかねえ」
「わかりました。じゃあ本日はカレーにいたしましょうね」
「わーい、カレーだ、いえーい、いえーいって、ばばば馬鹿者」反射的に両手を挙げて踊り回ってしまった私は、すぐ我に返った。「カレーは嬉しいが、いや、この資格はもっと凄い報酬に値するのだよ」
「はあ。譬えばどういったことでございましょう」
「そうだねえ」私はきっと眼を光らせた。「それは最新型のiBookにiPodをつけ足したくらいのものなのだ。判るかね」
「はあ」
 こうして私は、まんまとiBookとiPodを購入する口約をとりつけ、家の者の気が変わらぬ内にとさっそく翌日貯金をおろして店へと出掛けたのであった。
「いやあ、iBookだよー。マックOSテンは格好いいなあ。iPodも嬉しいなあ」
 炬燵に入り、買ってきたばかりのパソコンで遊んでいると、家の者がやってきてぽつりと言った。
「ところであなた。上級シスアド資格があると、何かよいことがあるのでございますか」
「へ」
「給料が増えるとか」
「いや、それは」
「手当てが出るとか」
「ええと、だなあ」
「生活は楽になるのでしょうね」
「ええい」矢継ぎ早にぽんぽんとまくしたてられていた私は、ようやく持ち直した。「先ほどから聞いておれば卑俗な次元の話ばかりしおって。上級シスアドの資格というのはもっと高尚なものなのだ」
「では、一体どういったことができるようになるのでございますか」
「それはだなあ」私は答えに窮してしまった。「ええと、あれだよ、あれ。そう。譬えば終了処理をせずにコンピュータの電源をいきなり落とす奴がいるだろ」
「はい」
「上級シスアドはそいつのおでこに『でこぴん』かましてもいいことになっているんだ」
「ほう」
「それからだなあ、会社のマシンに勝手にソフトをインストールする奴にはチョップしてもいいことになっている」
「ほうほう」
「あとは、あれだ。仕事中に遊びでウェブサイト徘徊してる奴の腕をこう、ぎゅうーと捻って『ぞうきん』って」

 私はここで擱筆することにする。実は私の必死の言い訳が何の功も奏さず、後日それでは私も好きなものを買わせていただきますと言い出した家の者に毛皮のコートやら靴やらを買ってやる羽目になり、結局預金通帳の残高がごっそりと減っただけという家の恥を書こうかと思った。しかし、そう書くことは少し情けないので、その手前で擱くことにした。
 嗚呼、小僧の神様。


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2002/02/04
文責:keith中村
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