第359回 鍵の開け方


 最初に定義しておきたいのは鍵と錠という言葉である。いったいにこの両者は混同されやすいものであるが、ここでは原義のとおり扉などに埋め込まれている装置の側を錠、それを開閉するための器具を鍵と呼ぶことにする。つまり持ち運べる金属片乃至は金属棒状のものが鍵であり、固定されており移動できないものが錠である。南京錠のように持ち運べるものはここでは扱わない。また「現場に残された七福神が事件を解く鍵だ」という比喩的な意味も除外する。なお「鍵を開ける」という言い回しは正確には「鍵を使用して錠を開ける」であるが、これは「風呂に入れた水を沸かす」を「風呂を沸かす」というのと同様の慣用表現である。もっとも「風呂を沸かす」の場合には「沸かす」の部分が更に比喩表現乃至は誇張表現を含んでおり、実際に「沸く」という状態まで風呂を、いや水を沸かすことは、何らかの刑罰乃至は罰ゲーム以外、通常ではありえないことであるが、今は風呂のことに拘泥している場合ではないので話を進めたい。
 さて、鍵を開ける、より正確にして、錠を開けるためには鍵が必要である。もちろん更なる前提としては錠が必要であり、錠が掛かっている必要がある。錠がないところでは鍵は意味をなさないし、錠が掛かっていなければ鍵は必要でないのである。それでは何故錠を掛けるのかと言うと、これにはいくつかの理由がある。たとえば、「第三者に見られては困る」「第三者に侵入されては困る」「とっても錠を掛けたいっす」などである。逆に錠を開ける理由としては、「中を覗く必要がある」「中に入りたい」「めっちゃ錠を開きたいっすー」などが挙げられる。いずれにせよ、必要に際して錠を開くには鍵がなければならない。錠を開くための第一段階は鍵を取得することである。鍵の所在として最も可能性が高いのはポケット乃至は鞄の中であるが、財布の中という場合もありえる。以下、可能性の高い順に「足拭きマットの下」「植木鉢の下」「植え込みの石の下」「いつもの下駄箱の中」「きっと貴方はいつものことと」となる。もしここに挙げた場所から鍵を見つけることができなければ、錠前屋に連絡する、大家に泣き付く、「どうくつ」から戻って「おうじょ」に「はなす」コマンドを使う、などの方法を用いて鍵を入手すべきである。
 ここで間違ってはならないのは、取得できればどんな鍵でもいいということではない点である。必要なのは正しい鍵である。ここで正しい鍵というのは、目的の錠と対になる鍵というくらいの意味であって、決して「道徳・倫理・法律などにかなっている鍵」「真理・事実に合致している鍵」「標準・規準・規範・儀礼などに合致している鍵」ということではないから、当然、逆に間違った鍵と言っても、マリファナをキめていたり、学生服の裏に龍虎の刺繍をしていたり、カレーを十杯平気で平らげたりするわけではない。ただし、カレーを十杯平らげるのが間違っているかどうかは議論すべき問題であるが、今はカレーに拘泥している場合でもないので話を進めたい。
 正しい鍵が取得できたとする。次は錠を開ける段である。まず鍵を錠の穴に挿し込む。ここではあやまたず錠の穴に挿し込むべきである。間違っても鼻の穴や耳に挿し込んではいけない。ましてや猫の肛門に挿し込んではいけない。そんなことをすれば鍵がくさいくさいことになってしまう。もし正しく錠の穴に挿し込もうとしているのに鍵が入らないのであれば、鍵の天地が逆さになっているのである。その際は鍵を百八十度回転させて天地をひっくり返せばよい。注意しておくと、ここで言う百八十度とは円周を三百六十分割したひとつ分を一度とする意味での度であり、「お百度を踏む」の度すなわち回数の意味の度ではない。後者の意味で百八十度回転させても鍵の天地は依然変化せず、手がとても疲れるだけなのだから。もちろん相対的に考えて、鍵を百八十度回転させる代わりに自分が百八十度回転した状態になってもよい。これはたとえば逆立ちで実現できるし、他に穴吊りという手もある。穴吊りは沢野忠庵ことクリストヴァン・フェレイラが切支丹への拷問に使った古式ゆかしい手段であるが、死ぬほど苦しいし、場合によってはそのまま死んでしまうこともあるのであまりお勧めできるものではない。中浦ジュリアンをはじめこれで命を落とした先人は多いが、今は神の沈黙について議論している場ではないので話を進めたい。
 鍵が錠にささった。いよいよ「開ける」にもっとも即した行為をする時である。鍵をそのまま九十度ほど捻る。錠によっては百八十度の場合もあるが、その辺は錠に応じてあるいはお好みに応じて葱を加えていただくとなお一層おいしく召し上がっていただけたりする場合もあるから各自で工夫なさられたい。ここでもやはり九十度の意味を取り違えないように注意が必要である。この度は英語でディグリーとなる度、百八十度イコールパイラジアンの度であり、「二度と来るんじゃねえ」「おととい来やがれ」「このこんこんちき」「ところでこんこんちきって何だ」の度ではない。ついでに書き添えると直前の一文の冒頭は「この度はおめでたいお席にお招き預かり」の「この度」とは訓みが違うので誤読なきように注意されたい。もし回数の意味の「度」で鍵を九十度捻ると、鍵がちょっとこれはものすごいことになってしまい、超能力者か腕力自慢としてはひとかどの人物になれるかもしれないが、錠を開ける手段がなくなってしまうので、これはやめていただきたい。書き忘れたが、鍵を捻る方向は重要な問題である。やや力を込めたときに回り始める方向へ回せばよい、とも言えるが鍵を九十度ぐるんぐるん回すような力持ちさんなら左右どちらへでもたやすく回せてしまえるだろうからこの説明では曖昧かもしれない。しかしまあ、ここではそんな筋肉馬鹿は抛っておいて話を進めたい。
 さて、鍵を捻ると一定のあたりで「がちゃ」という音と共に錠が外れる。錠によっては「がちゃ」ではなく「かしゃ」かもしれないし「かしゃん」かもしれない。「ぽよーん」という場合だってあるかもしれないし「えっさほいさ」だの「ぶんじゃがぶんじゃが」だのということだってないことはない。「ひらいたナリヨー」や「あいたズラー」の可能性だって否定できない。「そんなのあるわけないじゃないか」と思っても、相手が子供だったら「作ったら、ある」などと訳の判らないことをいうかもしれないから用心が必要だ。また、典型的に「がちゃ」と開いたとしてもあなたが日本文化の中で育った人でなければ、まったく別の音に聞こえるだろう点も留意したい。たとえばワンワンは英語ではバウバウになるし、コケコッコーはクックドゥードゥルドゥーになる。アルプス一万尺はヤンキードゥードゥルになるし、源義経はジンギスカンになるのである。「がちゃ」という音も「バンビちゃーん」とか「座薬だ、ホイ」に聞こえるかもしれないが、いずれにしてもこれで錠を開ける手順は完了である。この後には「いかにして扉を開けるか」「靴を脱ぐ法」「初心者のための穴吊り」が続くのだが、紙面が尽きたので本日はここまでとする。


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2002/01/11
文責:keith中村
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