第356回 省略への希求


 言葉というものは、浸透すればするほど省略される傾向にある。そしてひとたび省略形が定着すれば今度は本来の形のほうが違和感を抱かせるもののようで、携帯電話を示す「ケータイ」や「コンビニエンスストア」の略であるところの「コンビニ」などは、すでに引き返せないところまで来てしまった。引き返す必要があるかどうかは別にしても。
 さて、こういった省略形は、何らかの思惑のもとに流行らせようと考えてもなかなか思い通りになるものではなく、自然に省略されて自然に人口に膾炙してゆくのを待つしかないもののようであり、たとえば一部で「インタネ」という言い方がされつつあるのだが、「インタネ」というのは、ご想像の通り「インド人の種田山頭火」の略である。と書くと納得なさる方もあろうが、騙されてはいけない。これは先ほど天啓の如く閃いたとても素晴らしい冗談である。本当は「インターネット」の略なのであり、そしてこの言葉はちっとも定着していない。
 同様に「エンタメ」というのもある。「エンターテインメント」の略である。エンタツアチャコではない。以前、あるプロバイダの人から私の勤務する会社の持っているコンテンツを自社のサイトに載せたいという申し出があり、プレゼンテーションを受けたことがある。そのプロバイダは日本最大のパソコン通信を運営していることで有名であり、プレゼンテーションではパソコン通信の各種「フォーラム」へ入る目次ページが示された。あるカテゴリに私の勤務する会社のコンテンツを掲載したいということであった。プレゼンテーションを終えたプロバイダの人は言った。
「何か質問はございませんか」
 私は、今回の話とはまったく関係がないと知りながらどうしても質問せずには居られないほど気になることがあって、目次ページの資料を指差して訊いてみた。
「この、エンタメというカテゴリはいったいどういう意味ですか」
 プロバイダの人は、照れたような笑いを浮かべて言った。
「いや。はは。これは、エンターテインメントのつもりでして。はは。ちょっと強引なんですが、いや、その」
「確かに強引ですね」
 私はついつい随分厭味な口調で同意してしまったが、これがエンタメという省略形の聞き始めであった。その後、時折エンタメという表現を眼にすることはあったが、やはり定着するには到っていないようである。
 先ほど確認のため覗いてみたのだが、当該ページには既に「エンタメ」という言葉はなく「エンターテインメント」になっていた。やはりプロバイダの人々は思ったのだろう。
「エンタメはないよな、エンタメは」
 しかし、その一方でさまざまな言葉の省略形が多数生産されているのも紛れもない事実である。
 特にテレビに接続して遊ぶいわゆるビデオゲーム機は、名称が省略されてようやく一人前と認められるような状況である。「ファミコン」はファミリーコンピュータの省略形というよりは正式な商標であったが、その後のゲーム機も「スーファミ」「ドリキャス」「プレステ」などと略されていった。最近気になっているのが任天堂が満を持して発表した「ゲームキューブ」である。これの省略形はいったいどうなっているのだろう。慣例に従えば、それぞれの単語の頭のほうだけ取り出して繋げる形になるわけだが、それでいくと、
「ゲーキュー」
 ということになってしまう。
 これはこれでいいのだろうか。随分奇異な響きに聞こえるが、それもはじめのうちだけで慣れてしまえば大丈夫なのだろうか。かといって、
「ゲムキュ」
「ゲキュブ」
 では、もっと変だし、意表を突いて中央付近だけ取り出してみると、もう何がなんだか判らない。
「ムキュー」
 圧し潰されていそうなことになってしまうのであった。あるいは、藤子不二雄マルエー我孫子素雄漫画の登場人物が怒るときに発する声のようでもある。ムキュー。
 さらには、そろそろ発表されるであろうマイクロソフト社の「エックスボックス」なんかは一体どう略すればいいのだろうか。
「エッボッ」
 ひたすら発音しにくいのであった。
「エックボック」
 これはなかなか可愛い響きでいいかもしれない。どことなく「樫の木モック」を連想させる。させるからどうなんだということもないけれど。難点は、あんまり短くなっていないことだ。
「エクボ」
 決まった。可愛く、かつ短い。しかし、なんで私はマイクロソフト製品の略称をこんなに必死に考えているのだ。
 さて、このような「省略の希求」「省略への意思」が存在するためか、人類は冗長性というものを排除する方向へ進化してきた。
 かつてある総合電気メーカーがこのような名称を広めようとしたことがあった。
「CDロムロム」
 この名称は、ただのCD−ROMではない何かの付加価値なり追加機能なりを意味していたような気もするが、なにぶん古い話で記憶が定かではない。とにかくそのメーカーではCDロムロムという呼称を用いていたのであった。
 私にはこの呼称が随分恐ろしかった。というのも、こういう状況を想像してしまったからだ。
 学校の先生でも会社の上司でもよいが、とにかく強制力を持った人間からある日突然こう告げられるのである。
「君きみ。今日から君はCD−ROMのことを必ずCDロムロムと呼ぶように。いいね。CD−ROMって言っちゃ駄目だよ」
 かくして私はCDロムロムという呼称を強制せらるるのであった。そして、例えばCD−ROM改めCDロムロムを買いにゆかねばならなくなったとしよう。ところが何としたことか、その店ではメディア類を手が届かぬような高い棚の上に陳列して売っているのだった。
 私は店員をつかまえる。「すみません」
「なんですか」
「ほら、あそこのあれ、欲しいんですが」
「どれですか」
「ほら、それそれ」
「ああ、このフロッピーですね」
「いえ、それじゃなくって」
「MOですか」
「じゃなくって、隣の」
「ZIPですね」
 このあたりから店員は明らかに不機嫌になる。
「あのですね、だからこっちの」
 店員はついに怒った口調になるのであった。「どれですか。はっきり言ってください」
「だから、その。……CDロムロムです」
 これほどの屈辱があろうか。いい歳こいた大人が、何が悲しうてCDロムロムだ。
 CDロムロムというものが定着せずに消え去ってくれたのは僥倖であった。冗長性の敗北、省略の勝利である。
 だが、とも私は考える。CDロムロムという冗長性はある有用なニュアンスを醸成していた。大人には屈辱とすら言える羞恥を感じさせるその語感は、確かにこの感触を内包していたのである。
「かわいさ」
 そりゃあ、大人は可愛くてはいかんのである。大のおとなが若い女性から「かわいー」とか何とか言われて鼻の下を延ばしていてはいかんのである。大人に似合うのは、たとえば「強さ」である。たとえば「忍耐」である。間違っても「キティちゃん」や「プーさん」ではない。
 大人に似合うのは「唐獅子牡丹」であって、「パンジー」ではない。
 大人に似合うのは「業務日誌」であって、「交換日記」ではない。
 大人に似合うのは「津軽海峡の吹雪」であって、「上高地のパウダースノー」ではないのである。
 だが、女子供に対しては、確かに「可愛さ」という訴求はたいへん有効である。そこで、CDロムロム的呼称を巧く活用すれば、可愛くないものを可愛くできるというものではなかろうか。女子供に親しみやすくさせることができるのではなかろうか。
 例えば薬は子供が苦手なものの代表である。不味いといっちゃあ駄々を捏ね、苦いといっちゃあ泣き喚く。そこで薬をこう言い換えるのだ。
「クスリスリ」
 これでどうだ。
「さあ、坊や。クスリスリだよ。あーん」
「わーい。クスリスリだじょー。うれしーじょー。はい、あーん」
 まあ、「だじょー」などと喋る餓鬼は跳び蹴りかチョップに値するが、それはそれでまた別の話。これで苦い薬も難なく飲めるというものだ。
 あるいは、哲学。難解な学問である。だがこれが「テツガクガク」だったらどうだ。
「私って、現象学で実存主義の人だからあ、フッサルサルとかサルトルトルとかがタイプーみたいなー。蓮實シゲヒコヒコって背が高くって素敵ーみたいな」
 少しでも多くの人が哲学に触れる契機にならぬだろうか。
 しかしだからといって、CDロムロムはやっぱりいかんと思うし、そんな言い方を強制する奴がいたら断固突っぱねるしかないのであった。
 えい。ムキュー。


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2001/10/15
文責:keith中村
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