第352回 イレギュラー・エクスプレッション


 変わっている人というのはどこにでもいるものだろうけれど、コンピュータ業界には特に多いように思われる。たとえば、新しい言葉を聞いて「頭の中に単語登録しておきます」と言ったり、頼んだ出前がなかなか来ないと「ルーティングおかしいんじゃないか」と呟いたり、捜し物が見つからず「404だ」と叫んだりと、日常会話にコンピュータ用語を持ち込む人は結構いる。まあしかし、この程度ならどのような業種でもあることかもしれない。
 だが、正木氏はそんなもんではない。
 正木氏は取引先のエンジニアで、はじめて会ったのはある打ちあわせの席である。かなり大人数での打ちあわせだったし、その時はほとんど喋らなかったので、私は彼の「変わっている具合」に全く気付かなかった。ちょっと変だなと思ったのは、仕事でメールをやりとりするようになってからである。
 正木氏のメールにこのような部分があったのだ。
「とりあえずサーバー?に/testディレクトリを作って、その下に置いておきましたので、よろしくご査収ください」
 サーバーが疑問形になっている。黙読していた私の脳裡に、若い人が好んで使う半疑問文の語調が響いた。
「サーバー? みたいな。ご査収ください? って感じ」
 無骨な正木氏がそのように話しているイメージを思い浮かべ、私は端末の前で思わずくすりと笑った。まあ、実際のところは、サーバーといっても本稼動用とは別のテスト環境だったので、そのニュアンスを出すための疑問符なのだろうけれど、と納得しながら。
 ところが、次のメールで疑問符の謎が解けた。そういうことではなかったのだ。
「(ばた){2}しておりまして、対応が遅れましたことをお詫びいたします」
 あ、正規表現だ、と私は思った。
 正規表現とは、コンピュータで文字列を処理するとき、より柔軟に表現するための手段である。たとえば「ウィンドウズ」という語を検索したいのだが、もしかしたら対象文書の中では「Windows」と表現してあるかもしれない、という場合「(ウィンドウズ|Windows)」という正規表現で検索すればどちらでもマッチしてくれる。
 そして、正規表現では{n}は直前表現のn回繰り返しを表わす。正木氏は「ばたばたしておりまして」を正規表現で書いていたのである。
 ここにおいて、ようやく「サーバー?」の意図が判ったのである。つまりこれも正規表現だったのだ。?は直前表現、この場合は長音符号「ー」、が「あってもなくてもよい状態」を作る。すなわち、「サーバ」でも「サーバー」でもよい、という意味だったのである。
 理系の人間は、外来語の最後の長音を省いて表記することが多い。コンピューターではなくコンピュータ、プリンターではなくプリンタ、そう表記するのである。しかし、音節が少ない単語でこれをやるとちょっと不自然になってしまう。コーヒーをコーヒとやったり、クーラーをクーラとやったりするのがおかしいのは誰にでもわかるだろう。私はコンピュータとは表記するが、サーバという表記にはちょっと違和感を感じているのであるが、おそらく正木氏も同じ感覚の持ち主であり、しかしサーバーと伸ばすのがよいという確信もなかったので、曖昧に「サーバー?」とやったのだろう。
「なるほど」私は、深深と肯いて感心しつつ、驚嘆した。「変わった人だなあ」
 ところが正木氏の変人ぶりは、この程度ではなかった。
 しばらくして、また彼と打ちあわせに同席することとなったのだが、仕様について説明していた正木氏の口から飛び出した言葉に私はのけぞった。
「ですから、ここでパラメーハテナターハテナにWを指定して起動すると」
 パラメーハテナターハテナ。なんじゃそれは。はてな。
 私はペンを持ちなおすとレジュメの余白にその言葉を書き落としてみた。
「パラメー?ター?」
 ふうむ。
 パラメーターとは媒介変数のことだが、コンピュータではプログラムや関数に与える引数の意味で使われる。ところで日本工業規格の表記では長音符号は随分省かれるからこれは「パラメタ」となる。英語のparameterはむしろ「パラーミター」に近い発音だから「パラメタ」はやりすぎだと私は常々思っていたのだが、正木氏もそうだったのだろう。好きな方で解釈してください、というつもりの発言なのだった。それにしても、なんとまあ、彼は口頭でも正規表現を使う人であったのだ。
 愕然としていた私に気付いたのか、隣に座っていた正木氏の部下が、にやりと笑って耳打ちした。
「彼、変わっているでしょう。いつもああなんですよ」
 彼が小声で教えてくれたところ、どういう信念のもとにや、正木氏は正規表現の信奉者であるらしいのだ。今の会社にエンジニアとして中途入社してきたときには既にそうだったようで、いかなる原因が彼をそうせしめたかは謎に包まれているらしいのだが、とにかく正木氏は日常生活においても正規表現を使のであった。
 たとえば、NT系列でないほうのウィンドウズを総称するとき、私は面倒臭いので「ウィンドウズ95系の」などと言う。だが、正木氏は、
「Windows(9[58](SE)?|Me)」
 と表記し、口頭でも
「ウィンドウズ括弧キュー鍵括弧ゴーパー鍵括弧閉じ括弧エスイー括弧閉じハテナ縦棒エムイー括弧閉じ」
 などと言うらしいのだ。これでは「ウィンドウズ95SE」などという存在しないOSにもなってしまいそうなものだが、正木氏に言わせると「存在しないんだからマッチしないので大丈夫」なのだそうだ。細かい性格なのか大雑把なのか、よく判らない人である。
 それにしても、話すときにまでこれをやられると、理解しにくくって堪ったものではなかろうと思うが、正木氏は仕事ができる人なので少々の奇行にはみんな目をつぶっているのだそうだ。

 正木氏は外国の人名をナカグロで区切る一般表記と「=」で区切る教科書表記のどちらがよいか決めかねているらしく、「スティー[ブヴ][・=]ジョブズ」などと書く。
 極め付きは何かの折り三銃士の話題になったとき、
「((ア(ト|ラミ))|ポルト)ス」
 とやったのだそうだ。そんなの正規表現考えるよりは、普通に書いた方がはやいと思うのだが。
「す、凄い人ですねえ」
 私はやや引き攣りながら言った。
 と、その時、身振り手振りを交えて喋っていた正木氏が、勢い余ってがつんと会議机の角に掌をぶちつけて、叫んだ。
「痛プラス」
 +は直前表現の1回以上無制限の繰り返しを意味する。
「いた+」、すなわち「いたたたた……」である。こんな事態にすら正規表現を使うとは。
「うむ{3}、正木氏は本物だ」
 私はついつられて正規表現で感心してしまった。


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2001/06/18
文責:keith中村
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