第35回 逆に言えば


 とうとうストーブがぶっこわれてしまった。冬の夜、私にささやかな暖かさを提供し続けてくれたストーブがついに昇天してしまったのだ。振り返れば実に十一年も使っていたことになる。大学に入学したとき、いろいろな家財道具と一緒に大学生協で購入した電気ストーブである。名前は「東芝電気温風ストーブSF−812H」である。モニタに向かって文章を書いていたのだが、何やら寒いなと思い振り返るとすでにストーブはこときれていた。電熱線を使用した電気ストーブであるから、文字どおりこときれてしまったのだ。八百ワットと四百ワットの切り換え式なのだが、買ってから四年目くらいで下の電熱線が切れ、どちらにスイッチを捻っても四百ワット分しか点かなくなってしまった。しかし、隻眼になってからもこいつはよく尽くしてくれた。阪神大震災の時には落ちてきたスピーカーの直撃を受け、左がわにあるスチーム用の水タンクの覆いが取れ、全体の形状もぐにゃりと歪んでしまった。満身創痍になった彼はそれでもくじけず、この部屋に暖かみを産み続けてくれた。今こうして見ると前面の金網はぐにゃぐにゃだし、温風の出口は煤けて真っ黒である。できることなら埋葬するなりして手厚く葬ってやりたいが、近所に土などどこにもない。あったとしても、埋めるところを見つかればゴミの不法投棄だ。やはり粗大ゴミの日に出すしかない。だが、神よ。私は粗大ゴミの日を知らないのです。
 うっ。ぶるぶる。馬鹿なことを書いていると、むちゃくちゃ寒くなってきた。とりあえず暖をとらねば。だが、暖房器具は他になにもないのだ。炬燵があるがコンセントに接続するコードがない。毎年そうだ。使おうとするとコードが見当たらない。たいてい見つかるのは春先になってからだ。押入れの隅とか、ベッドと壁の隙間とか、CDの棚の裏側とかから不意に出てくる。もう炬燵がいらぬほど気温がぬるんできた頃、いつも向かっているパソコンラックの横に吊るしてあるのを発見したこともある。毎日見ている筈の場所なのに冬中気づかなかったのだ。いちばん見つかりにくいのはいちばん目立つ場所だという探偵小説の王道パターンだ。誰だよ、そういうとこに置いたのは。俺か。しかも学習機能がないので、毎年同じような愚行を犯してしまう。というわけでここ何年か炬燵が炬燵として機能したことはないのだった。今年はどこからコードが発見されるのかな。
 うう。ぶるぶるぶる。書いている暇になんとかしろよ。ああ、そうだ。ガス焜炉があった。猛烈に煙草が吸いたいのにライターが不思議とひとつも見つからないということがある。「うおお。煙草が吸いたい。吸いたい。なのに火がない。焦眉の大事件だ」こういうとき、ライター代わりにガス焜炉に煙草を咥えた顔を近づけて、眉を焦がしたという経験は誰しもあるだろうが、ガス焜炉は暖房にも使えるではないか。ぱちん。んん、何となくあったかいかな。台所とのしきりのカーテンも開けておこう。
 さて、そんなことはどうでもいいのです。
「逆に言えば」という言い回しがある。最近よく耳にする言い回しであるが、何か使い方がおかしい。
「ええ。ですから私としましては、この結果につきましては、開発部側と販売側の意見の摺り合わせを周到にしておかないといけないと思うのです。逆に言えば、活発な意見交換が必要ではないかということですね」
 ちっとも逆に言ってないのである。
 しかも恐ろしいことに「逆に言えば」は伝染する。私もつい言いかけて、「ア。コレハ、ゼンゼン、ギャクニ、イッテイナイ」と気付き、ぐっと言葉を飲み込んだりする。が、先日とうとう言ってしまった。
 仕事場である件について吉田くんから質問されたのだが、私は回付されてきた指示書を示して「ここに書いてあるとおり、これこれなんだよ」と答えた。しこうして後、ちと補足したいことを思い付き、その瞬間「逆に言えば」と思わず口にしてしまった。口にしてから焦った。やばい。これから俺が言おうとしていることは、ぜんぜん逆に言うものではない。どうしよう。
 そこで、私はすかさず頓智で切り抜けた。指示書をくるっと百八十度回転させ、「とこの付回スクッァフでま部務総階三部本。ふうむ、逆に言うのって難しいなあ」と言ったのだ。
「このオヤジ、また下らないことやってやがんな」などという顔で去っていった吉田くんよ。君には解らぬだろうが、私の機転が無益な「逆に言えば」を回避したのだ。「逆に言えば」撲滅草の根運動だ。
 話は変わって谷本剛くんという知友がいた。高校の頃である。彼は「逆に言う」の権威、「逆に言う」の権化であった。私は三年間彼と同じ学級だったのだが、彼のこの特筆すべき才能に気づいたのは卒業も間近に迫った三年生の冬であった。
 受験の息抜きということか、担任はホームルームの時間を我々に解放してくれた。教室内でおこなうイベントなら何をやってもいいというのだ。そこで、委員長は「一人一芸のコーナー」などという企画を立てた。我と思わぬ者は前に出て何かしろというのだ。空手部もと主将の北島君は空手の型をやった。ESSの山本さんは英語でスピーチした。それなりに盛り上がり「次、誰か出ませんか」という委員長の言葉に谷本君は手を挙げた。彼は普段は物静かな生徒で、成績もそこそこいい。鉛筆画のデッサンがものすごく上手い奴だった。谷本君は教壇に立つと、口を開いた。
「僕は人に見せるような芸はもっていませんが、逆にいいます」
 一呼吸置いて彼は続けた。
「すまいいにくやぎ、がんせまいてつも、はいげなうよるせみ、にとひはくぼ」
 何が起こったのか解らなかった我々は、きょとんと顔を見合わせた。
 谷本君は続けた。「僕は谷本剛です。すでしよつともにたはくぼ」
 愚昧な我々はここに到ってようやく理解した。彼は文字どおり逆に言っていたのだ。轟とどよめく生徒たち。
「誰でもいいから何か文を言ってください。逆さに言いますから」
「はい」「どうぞ堀井君」
「私という存在は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」宮澤賢治である。堀井は文学趣味の奴であった。
 谷本君はしばらく考えてから、口を開いた。「すでいめうよしいおあ、のつとひのうとんでうゆりうこきうゆ、たれさいてか、はいざんそういとしたわ」
 クラス中の惜しみない拍手と歓声を受け普段おとなしい谷本君は照れたように笑った。
 さて。部屋もだいぶあったかくなってきた。ふあ。なんだか、頭がぼうとしている。あれえ。なんでかなあ。もしかしたら酸欠かなあ。それとも一酸化炭素中毒なのかなあ。いかん。やばいぞう。はやくガスを切らなきゃあ。ガスを切ら


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1997/12/06
文責:keith中村
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