第348回 怪談と流行


 先日「ネットスリラー」という触れ込みで封切られた「回路」を観てきた。話は「こちら側に侵入する異界の存在」やら「結界」やらを扱った土着的な怪談が都市部で展開されるというなかなか面白い題材で、映像的にも特撮を使ったリアルな飛び降り自殺や人っ子ひとりいない大都会などかなりよくできていたのだが、どうも売り文句である「ネットスリラー」という部分だけがいただけなかった。
 この惹句はインターネットが「あちらの世界」と「こちらの世界」の通路になっているという設定から来ているのだが、私はこの部分をばっさり切ってしまってもっと単純な物語にした方がずっと怖かったろうに、とちょっと勿体なく感じたのである。
 まあしかし売り手にしてみれば、流行のインターネットと怪談を絡めるというのは興行的にちょっと期待できそうなものだろうし、どうしても外せない部分だったのだろう。それに考えてみれば怪談や都市伝説は、もともと最新鋭のものごとを貪欲に取り込んで生き長らえる生命力が強いものではある。都市伝説研究で有名なブルンヴァンによれば、「ヒッチハイカーが消える(日本ではタクシーの乗客が消える話として伝播しているほうが有名だが)」怪談は、西部開拓時代に「駅馬車の客が消える話」として語られていたものが、自動車の時代になってからも「器」だけ変えてそのまま生き残ったものであるらしい。怪談や都市伝説を作るのは人間なのだから、これは結局のところ人間が環境適応能力に優れた「新しいもの好き」であることの証拠なのかもしれない。
 古くは神社仏閣墓地などごく直截的で土着的なメディアから、「心霊写真」や「死者からの電話」のように匿名性が高く都市的な新しいメディアに遷移してきた霊界と現世の界面が、今度はインターネットになるというのは都市伝説の形成過程としては極めて自然な流れなのだろう。
 映画を観た私はこのようにつらつらと考えていたのだが、もしかしら製作者の意図はもっと単純に、インターネットが新しくて流行っているから使ってみようというだけの発想だったのかもしれない。もしそうなら、これはかなり注意しなければならないことである。なんとなれば新しいもの流行っているものを無批判に取り込むのはかなり危険な行為なのだ。
 たとえばテレビ番組の制作会議。
「今度の特集番組だけどさ、なんか斬新な怪談ないかな」
「幽霊の出るトンネルなんてどうでしょう」
「ありきたり過ぎるよ」
「じゃあ、必ず金縛りにあう旅館とか」
「駄目だめ。これまでにやり尽くされてるでしょ」
「えーと、ナタ・デ・ココってのはどうですか」
「何それ」
「『恐怖! ナタ・デ・ココを投げつける幽霊』」
「おっ。それ何となくいいね。」
「『無念! ベルギー・ワッフルを食べ損ねた自縛霊』」
「いい線いってるね」
 この会話には明らかな誤解がふたつある。ひとつには、新しいものが必ずしもいいとは限らないのを理解していないこと。もうひとつは、ナタ・デ・ココやベルギー・ワッフルが新しいと思っていることである。
 あるいはこういうのもいただけない。
「マウスのローラーにごみを付着させて滑りを悪くする悪霊」
「排気のでない掃除機に吸い込まれっぱなしの幽霊」
「DVDの上でくるくる眼をまわしている亡霊」
「冥界への連絡口となっている体脂肪計」
 このように、怪談と流行はよく考えてから結び付けないと、ちょっとどうかと思う内容になってしまうのであった。


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2001/02/21
文責:keith中村
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