第343回 兇器の沙汰


 我々の遠い祖先がモノリスに触ったからかどうかは知らないが、人類は道具を発見発明することで進化してきた。「2001年宇宙の旅」では人類の最初の道具は兇器として利用されている。殴るための骨である。あの映画で猿人は骨を振り回しているうちに武器になることを発見する。「気づき」である。
 さて、金属バットで人を撲殺するという事件が、近年しばしば起きている。かなり乱暴で兇悪かつ衝撃的な事件ではあるが、それでもこの種の事件で我々が受ける衝撃は、かつて少年が眠っている両親を金属バットで殴り殺したという有名な事件のそれよりは数段少なくなっているように感じる。金属バットでの殴打という事件を初めて耳にしたとき、我々が感じた衝撃の大きな部分には、その残酷さよりはむしろ、そういう器物が兇器たりえるという事実への「気づき」があったのではなかろうか。金槌で殴るというような犯罪も時おり発生しているが、この類の報道でもやはり私は残忍さよりも「金槌というものは実はかなりな兇器になるのだなあ」という感慨をより大きく感じる。
 あるいは、サスペンスもののドラマを考えてみよう。登場人物が咄嗟の正当防衛もしくは衝動的暴力を行使するために使用する器物の代表は何といっても部屋にたまたま置いてあった大きな花瓶だろう。あるいは部屋にたまたま置いてあった大理石の灰皿だ。これら手垢にまみれた設定に我々は余りにも慣れ親しんでいるため、通常我々は何ら不審を抱かずにそういう場面を観ているが、意識的になってみると灰皿を兇器にするというのはかなりものすごいことではないかと思う。私の言う「ものすごいこと」というのが判りにくければ次のようなものを想像してみればよい。
「部屋にたまたま置いてあった民芸こけし」
 民芸こけしはああ見えてあれはあれでものすごく硬い。殴られるとかなり痛い痛いことになってしまう。だが、だからといって民芸こけしで殴るのはちょっとどうかと思う。それが兇器になるという「気づき」はちょっといただけないのではないだろうか。
 ある朝新聞に眼を通し、次のような見出しを見つけたとしたらどうだろう。
「また少年犯罪。民芸こけしで三十人を連続殴打」
 この事件をいったいどのように受け止めればよいのだろう。だが、民芸こけしならまだ良い。これならどうだ。
「またまた少年犯罪。自宅から持ち出したオシラサマで四十人を連続殴打」
 祟りがあるぞ。何で家にそんなものがあるのだ。
 あまりのことに、突っこみの言葉もなかなか決まらないのである。
 柳田國男か、おまえは。いや、駄目だな。これも今ひとつだ。まあいいや。
 突然話は変わるが、昔は一揆というものがあった。だが昔は刀狩り令やなんかがあったからこれも大変である。百姓はとりあえず手近にあるもので、武器になりそうなものを取って蜂起した。
 鋤。鍬。鎌。鉈。
 支配者階級は、ちょうど我々が初めて金属バット事件に触れたときと同じことを感じたことだろう。
「あっ。こんなものも兇器になるんだ」
 もしかしたら、百姓たち自身が振り回してみて初めて武器になることに気付いたのかもしれない。
「鍬はなかなかええだべ」
「鉈はかなりなものだべ」
 中には、こんなものを持って立ちあがった奴もいるだろう。
「竹箒」
 振り回してみて気付くのだ。
「竹箒はあんまりよくねえだ」
 隣の百姓に残念そうに呟くと、そいつも頷いて言う。
「んだな。おらのぶん廻している草鞋もあんまり役に立たねえだ」
「んだんだ」
 それでも百姓はまだ良い。漁師たちだってやっぱり搾取に耐えかねて蜂起したはずだが、私にはいったい彼らが何を武器に立ちあがったのか、さっぱり想像がつかないのだ。
「タモ網」
「釣竿」
「てぐす」
 何だかどれもこれも武器としてはかなり駄目だと思う。
 漁民の道具で武器になるのはせいぜい櫂ぐらいだろうか。櫂以外はちっとも役にたたない。
 考えてみればそれもそのはず。オール・オア・ナッシングというではないか。


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2001/01/06
文責:keith中村
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