第330回 ケムール人


 私が吸っている煙草はサムタイム・ライトというやつで、以前はもっとタールやニコチン含有量の多いものを吸っていたのだが、あまり強いと口の中に脂がいつまでも残っているようなやや不快な感覚があるので、これに換えかれこれ十年ほどになる。弱い煙草に換えたつもりでいたのだが、昨今は軽い煙草が流行っているため、時々「強い煙草を吸っているなあ」と言われることがある。パッケージによると、サムタイム・ライトはタールを八ミリグラム、ニコチンを〇.八ミリグラム含んでいて、確かにタール一ミリグラムなどという最近の軟弱な煙草に比べればかなり強い。サムタイム・ライト一本で、タール一ミリグラムの煙草八本分ということになる。もし、私が一ミリグラムの低タール煙草に乗り換えたとして、サムタイム・ライト一本を吸うのに等しいタールを摂取するためには八本を吸わねばならないわけだが、これがなかなか一筋縄ではゆかない。
 というのも、煙草一本を吸うのに要する時間はタール含有量の多寡に拘わらずほぼ等しいのだから、従前のペースで吸っていたのであれば八倍の時間を必要とすることになる。これは勝ち負けで言うと負けである。いや、「である」などと断定する根拠は何もないのだが、きっと負けであるように思う。悔しい。そこで負けぬための工夫や発明が必要となる。で、どうすればよいかというと、単位時間あたりの煙草消費量を八倍にすればよいという結論に至る。積が一定、反比例の法則である。だから、同時に八本の煙草を銜えて吸えばよいのである。だが、ひと口に煙草八本分といっても、これはひと口では吸えぬ量である。やったことのない人には判らないだろうけれど、煙草を八本同時に銜えて吸うというのは、結構なものである。さっきやってみたから私には判る。
 まず、なかなか巧く銜えられない。円筒様のものを八本も口に入れるとちょっと唇に力を入れるたびにぎしぎしと擦れあってきちんとまとまらないのである。占い師が筮竹を握ってじゃりじゃりやっているが、ちょうどあれと同じ塩梅になるのだ。そこを辛抱してなるたけ口に力を入れすぎぬようにしておいて、ライターを取りいだす。これで煙草に火をつけるわけだが、ここもなかなか上手にできない。仏様に線香を供えたことがあれば判ると思うが、筒状を束ねて燃焼させんとする場合、どうしても外周に沿ったあたりに先に火がついてしまい、中心あたりがなかなか燃えてくれない。ライターの焔を中心部に近づけると、外周部の熱で手があついあついことになってしまう。苦心惨憺の末、何とかすべてに火をつけることに成功した。
 外周部はすでにかなり燃えてしまっており、中央との燃焼の程度に差ができてしまったが、とまれひとまずはこれでよい。だが、安心してはいけない。これは、始まりに過ぎぬのだから。
 ここからがいよいよ本番である。煙草を吸うという行為はここから開始されるのだ。慎重に口から息を吸い込んでみる。
 しゅるしゅる。
 何だ、しゅるしゅる、というのは。あ。そうか。
 先ほどから繰り返し書いておるように煙草というのは円筒形をしている。これを八本も束ねているわけだ。ところが、円筒というのは互いに密着するような構造はしていないのである。中学校で習ったかと思うが、円と円は僅かに一点のみで互いに接し、これを接点という。この部分を除いては、円と円はくっついているわけではないのだ。平たく言うと、すかすかなのである。円と円、すなわち二円ですらその体たらくなのだから、況や八本においてをや。円と円と円と円と円と円と円と円が接しているのだから、私がいくら上手に銜えたつもりでも、実は隙間だらけのすっかすかなのであった。しゅるしゅるというのは、その隙間から漏れ入る気流の音であったのだ。
 このままでは勝敗でいうと、敗である。そうに違いないのだ。これではいけない。
 そこで、私はまた一計を講じた。空気が邪魔をして私の喫煙を妨げようとするのであれば、吸う力をそれに負けぬだけ強めればよいのではないか。ゆくぞ。
 ひうう。
 咽せた。めいっぱい咽せた。
 死ぬかと思った。ああ、吃驚した。でももう大丈夫、良かったねえ。と独りごちながら床を見て私はのけぞった。
 さいぜん咽せた拍子に八本の煙草をすべて噴きだしてしまったのだが、そこは運の悪いことに絨毯であったのだ。
「あっ。絨毯がものすごいことになっています」
 私は今度は泡を喰いながらあたりを掃除した。買って間もない絨毯にいくつか焼け焦げを作ってしまったが、とりあえず座布団を敷いておいた。家の者には内緒にしておこう。
 八本同時に吸う作戦はどうやら失敗だったようだ。同時に八本も吸うなんて、どう考えても吸いすぎである。だが、これではあまりに口惜しい。敗北である。
 そこで、私はふたつめの発明をした。同時に八本が吸えぬのであれば、一本を吸うのにかかる時間を八分の一に短縮すればよいのである。八分の一の時間で立て続けに八本吸えば、同じ所要時間で八本を吸うことが可能となる。さっそくやってみた。
 よくアメリカの漫画なんかでは、ひと口で煙草を根元まで吸う場面があるが、あれは嘘である。いや、嘘であるかもしれないことくらいは昔からうっすらと判ってはいたけれど、このたびしっかりと確認ができた。煙草を思いっきり吸うと、たしかに通常の吸い方よりはかなり早く短くはなるが、先端の燃焼部分はちっとも灰にならず、いつまで経っても赤いままなのである。周辺部分はやや燃え落ちて先細りにはなるものの、赤い円錐状になり、まるで雄猫の陰茎のようだ。鏡で自分を見ると、雄猫の陰茎を口から飛び出させているような具合だ。これではまるで馬鹿の人ではないか。やっぱり負けである。これではいかん。私は尚もがんばってしうしうと吸い続けた。
 火傷してしまった。煙草を勢いよく吸うと、先っちょのあついあついのが、そのまま吸い口のところまでやってきてしまうのだ。これはあついあつい。やはりこれも吸いすぎであった。負けかも。
 ここで私はふと我に返った。なぜ、単位時間に同じ量のタールを摂取しなければならぬなどと考えてしまったのだろう。しかもよくよく考えれば私が実験に使用したのは低タール一ミリグラムの煙草ではなく、サムタイム・ライトそのものであったのだ。やっぱり馬鹿の人かも。
 そんなわけで、煙草の吸いすぎには注意しましょう。


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2000/08/08
文責:keith中村
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