第325回 メーアイ・ヘルピュ


 道具というのは人類の専売特許であって、ここが我々が他の動物と比較して優れている点である。もちろん道具の定義を拡大すれば専売特許というのは誤りであって、たとえばある種の鳥は樹木の隙間の虫を掻きだすためにシャボテンの棘を利用することが知られているし、また別の鳥は空中から飛礫を落下させて他の動物の卵を割りそれをちるちると食したりもする。だが、人類の道具が一線を劃しているのはそれがシャボテンやら飛礫やらという無為自然のものを流用するにとどまらず、自然界の物質を人工的に加工してあることで、原初の人類はたとえば石を劈開し鋭角の部分をつくって鏃などとしたわけである。その後も人類は、石庖丁土偶前方後円墳三角縁神獣鏡洗剤歯ブラシ鼻毛切りノーランズのアルバムなどさまざまな道具を作ってきた。
 さて、人類が鏃を作っていた頃を考えると、おそらくこれはほとんど誰でも作れるものであったに違いないことが想像される。石に石をぶつけて割る。簡単な工程である。小学生にもできるし、猿でもできる。いや、この場合の猿は比喩であり、猿にできぬことゆえ道具は人類の専売特許なのであるが、まあつまり猿のように馬鹿的の人にでもできるのだ。だが、道具はその仕組みが次第に複雑となるにつれて誰にでも作れるものではなくなってきた。そこで専従的な職能集団が形成される。土器をつくる土師部、衣類布類を担当する服部などがそうである。鼻毛切りやノーランズのアルバムもそれぞれ「部」と呼ばれる職能集団によって生産された。誰にでも作れるものではないのだ。
 やがてもっと社会が発達すると、店というものが形成されてくる。腕、技術で生産された物品をひろく民へ鬻ぐ場である。人びとは自らの手で生産できぬ物品を店で購うようになる。まあそのような時代であっても縄やら草鞋やらは自分で作る人も多かったろうが、しかし黄楊の櫛かわらけ蹄鉄繻子の帯でんでん太鼓それに「サタデー・ナイト・フィーバー」でトラボルタが着ていたスーツなどはそういうわけにもいかぬ、というので人びとは店へ趣いたわけである。
 店の語源は見世棚すなわち品物を陳列した棚であり、そこには、高級な毛皮に気前良く札束を切る金持ちの姿や、ウィンドウに飾られたトランペットに指を咥える黒人少年の姿などがある。
 ところで私は店というものが苦手である。
 店の何が苦手かといえばこれが店員である。
 店員が店に入って来た客に声を発する性質を有していることは比較的よく知られた事実である。だがこれがいかん。
 多くの店員は「いらっしゃい」「いらっしゃいませ」ないしはこれに類する音声を発する。これらの語の意味は「来なさい」「来てください」であるが、考えてみればこれほどおかしなことはない。客はすでに店にやってきている。きているのに更に「来なさい」とはどういう了見だ。これ以上私に何を望むつもりなんだ。更にこれを英語に置き換えれば「カモーン」ということになるが、「カモーン」は場合によっては「ほれ。ほれ。どうした」とか「殴ってみろ。ほら。殴れよ」あるいは「ボディーにしときな」という意味にもなる。どうして客に喧嘩を売るのだ、彼ら彼女らは。私にはこれが怖い。苦手だ。
 ところで、不思議なことは店員にはどうしたわけか発音が不明瞭な者が多い。「いらっしゃい」と言っているのだろうけれど、そうは聞えない場合が屡屡あるのだ。
「わっしょい」
「ライシャワー」
「夜来香」
 そんな言い方をする者がかなりの確率で存在する。
 特に板前と呼ばれる種類の店員にこの傾向は顕著であり、一文字目を落として「らっしゃい」に近い言い方をする。しかも何故かこの場合アクセントの位置が後ろにずれて、「ヤフー」とか「どっひゃあ」とか言うときのようなイントネーションになる。
 衣服や宝飾を扱う店では店員が女性であることが多いが、これらの店員もかなり特徴的な発音だ。ほとんどの場合これらの店では「いらっしゃい」より叮嚀な「いらっしゃいませ」が使用されるが、尋常ならぬ発声方法でもって発音される。ややきどった声というのか、地声とファルセットのぎりぎりの境目あたり。清水ミチコが「楠田枝里子でございまーす」という時の声と言えばわかりやすいだろう。楠田枝里子が「楠田枝里子でございまーす」という時の声と言えばもっとわかりやすいかもしれない。これで「いらっしゃいませーえ」とやるわけだ。「せーえ」の部分は尻上がりとなっており、これがギターでいうところのチョーキングの効果になっている。なるな、なるな。
 無愛想な店員もいる。店に入っても何の声も発せぬのだ。質の悪い食堂の給仕に多いように思うがあれはどういうことだろう。まさにダムウェイター。黙って水の入ったコップをこつんとテーブルの上に置き、ぽつりと「何しましょう」。食堂に入るのは腹が減っている時である。腹が減っている時、人がどちらかといえば機嫌が悪くなりやすい。こんなときに、無口な店員にあたってしまうと、ついかっとなって怒鳴りつけたい衝動にかられるが、それはいけない。なんとなれば食堂では相手が絶対的に有利だ。怒鳴るのはたやすいが、それで相手を怒らせると何をされるかわからないではないか。
 運ばれてきた料理に怪しげなものを混入されるかもしれない。
 こっそりと耳垢鼻糞唾液そんなものを入れられたら。これは恐ろしい。まず気付くことなく食べてしまうだろう。ぐえ。
 だが、もっと恐ろしいものがある。といってもゴキブリの死骸なんかではない。それなら逆に「おらおら。この店はいったいどないなっとるねん。何やこれは。ゴキブリやないけ。こんなラーメンが喰えるか」と苦情を言うことができる。恐ろしいのはこういうものを混入された場合だ。
「ノーランズのデビューアルバム」
 これでは文句も言えない。「おらおら。この店はいったいどないなっとるねん。何やこれは。ノーランズのデビューアルバムやないけ。こんなラーメンが喰えるか」
 店員は表向き済まなさそうにぺこぺこ頭を下げてラーメンを取り替えるだろう。しかし、安心してはいけない。
 奥の厨房から運ばれてきたラーメンには、今度はアバのラストアルバムが混入されているのであった。 


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2000/06/07
文責:keith中村
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