第322回 それゆけ運搬マン


 先日来なんとも不毛な作業を黙々と続けている。引越しの準備である。
 引越しの準備がどれだけ不毛な作業かは、引越しを一度でもやったことのある人なら判るだろうし、私ってこう見えても引越ししたことない人なんです、けらけらけら、もしくは、俺っち引越ししたことないっすー、へらへらへら、というような人でも何となく想像はつくと思う。つかん奴はそこへ直れ。
 引越しの準備というのは要するにあれである。ものを箱に詰めるのである。
 前回私は書籍を箱に詰めているという私の状況を書いた。では何のために書籍を箱詰めにするかというと、もちろんマクロ的の表現をすれば引越しのためであるが、これをミクロ的に言えば再び本棚に並べるためなのである。せっかく本棚に並んでいる書物をわざわざ箱に詰め、書籍どもが何だなんだいったい俺たちはどうなるのだ、旦那何ごとですかい、などと動揺しているうちにこやつらを車輌へと載せ、うっひゃあ俺たちゃどうなるんだ、これはもしやドナドナか、そうだドナドナに違いない、何だやっぱりドナドナかよ参ったねこいつは、てな具合に騒いでいる書籍どもをおもむろに再び箱からとり出して新しい家の本棚へ並べなおすのである。
 エントロピーの増大と減少。
 引越しはきたる日曜日に盛大にとりおこなう予定であるが、部屋中に段ボール箱を山積みにしておくのも何となく気が落ちつかないので、私はここのところ夜ごと知人を呼びつけては彼の自動車にてこつこつと荷物を新居へと移動させていたのである。これも新居が現在の住処よりたいそう近いところにあるお陰ではあった。ところがこれにはやや失敗があった。せっせと車で運んだ箱詰めの書籍を私は新居の玄関からいちばん近い部屋へ取り敢えず抛りこんでいったのである。ところで私と私の嫁の人が暮らす予定の新居は、マンションの最上階にあり、ええっとーペントハウスっていうの、サンルーフが付いててえ、そんでもってえ、メゾネット、みたいなー、ふたつの階にまたがってるーって感じのー、の如き物件なのである。確かに聞こえはよい。聞こえはよいが私は書籍をその新居の上の方の階へ格納するつもりでいたのだ。この上の階というのが曲者で、通常の一戸建の住宅、地に足のついた人肌のぬくもりのある住宅、そういうものなれば上の階などという持って回った言い方をせずとも、「ねえ、あなたん、二階へ行きましょうよん」と言えばよい。だが、私の契約したのはマンションの八階なのである。つまり通常の感覚で「一階二階」というべきところが「八階九階」ということになるのである。これが問題だ。もし私が嫁の人に「おい、君、ちよつと二階へ行つて目薬を持つてきてくれやしないか」と依頼したとする。もちろん私は正確に言えば九階となる我が家の上の階のつもりで二階と言うのだ。だが、嫁の人は私の命じたとおりに愚直にも二階へ行ってしまうのだ。もし折あしくそのとき二階で暴れ馬が駆け回っていたらどうなる。ぱからっぱからっぱからっ、おーい危ねえぞ、暴れ馬でい、逃げろ逃げろ、きゃあ、ひい、ぱからっぱからっ、ひひひひん。私は私の口から発した無配慮な言葉によって嫁の人をむざむざ危険に晒してしまうことになる。原因は私の自己中心さであった。私は八階にいたにもかかわらずそこを一階とみなしてひとつ上の階を二階と表現してしまったのだ。なんと利己的な相対発想だったろう。自分が世界の中心だと思っていたのだ。地球のみなさんすみません。嫁の人もすみません。それなら、かかる不幸を忌避するには謙譲の美徳。へりくだりの精神。あなたも私も宇宙船地球号の乗組員です。さあ、鳥さん。豚さん。菜の花さんに筍さん。みんなで手を取り合ってゆきましょう。船長、出発進行。アイアイサー。そういう謙虚な態度で、「自分のいるところは世界の片隅大阪のとあるマンションの八階である」と絶対的の認識をし、「おい、君、ちよつと九階へ行つて目薬を持つてきてくれやしないか」と発言せねばならないのだ。
 これは如何にも面倒くさい。そんなわけで、相対的なれどさほど世界のみなさんからみてもさほど利己的ではないはずの「上の階」「下の階」なる言い回しを使おうということを、私と私の嫁の人はこのマンションの賃貸借契約を締結した当日に固く誓いあったのである。
 やや話が長くなったが、とにかく上の階へ格納するはずの書籍をそのまま下の階へぽいぽい抛りこんでいったのが私の失敗なのである。
 すでに家具屋に注文しておいた新たなる書架は到着し、上の階にて出動のときを今や遅しと待ち構えている。私はその書架に再び書籍を詰めなければならぬのだ。エントロピーの減少。
 だが、書籍は下の階に乱雑に放置してある。エントロピーの増大。
 そこで私は千冊はあろう書籍を小分けにしては上の階へせっせせっせと運搬せねばならぬわけだ。最初の数往復は屁でもない。鼻歌だって出ようものだ。だが、段々と辛くなってきた。階段の途中で野垂れ死ぬのではないかと思ったこともあった。鼻歌も出ない。それどころか逆立ちしたって鼻血も出ねえよ、おっさん。ロン。九連宝燈。
 シジュフォスの神話などという言葉を頭の中に響かせながらそれでも私は何とか書籍をすべて上の階へ運搬することに成功した。だが、まだ本棚には並べていない。床の上に無造作に積んでいるだけだ。位置エネルギーは階ひとつ分増えたもののエントロピーは依然変わらない。というのもただ並べるだけでは藝がない。エントロピーが増大した書籍をそのまま並べれば、イタロ・カルヴィーノの隣に山本周五郎が並び、さらにその両隣にはひさうちみちおと中島らもが鎮座するという事態になりかねない。書架の無政府状態だ。何があろうとひさうちみちおと中島らもに挟まれるのだけは誰だって厭だろう。周五郎さんも浮かばれない。そこで、一定の規則に従って書籍を並べなおそうと私は目論んでいたのだ。だが、以前に書いたことがあるように書籍を並べる規則はいろいろあって凝りはじめるときりがない。無難に作者名の五十音順ということにするのがよろしい。
 これにも問題がないではない。赤川次郎と新井素子とアルチュール・ランボーが並んでしまうという困った事態を招来してしまうのだ。赤川次郎。新井素子。いったいなぜそんなものを持っているのだ、私は。ええい。
 さらに、そんな並べ方をしてしまった日には、やってきた知人に私が三毛猫ホームズやら「星へ行く船」シリーズの大ファンだと誤解されて、
「この人、実はかなり頭悪い」
 ということが露見してしまうのである。
 さらには、
「アルチュール・ランボーは『ら』の場所に並べるのが正しいだろ」
 と指摘されてしまい、
「この人、ますます頭悪い」
 と思われてしまうのだ。
 だから私は書籍を並べることにも踏みきれず、階段の上でよよよと泣き崩れてしまうのである。
 引越しはまことに大変だ。


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2000/04/21
文責:keith中村
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