第321回 詰めています


 親もとから大学へ出てきたとき以来四度目の引越しということになる。
 最初の引越しは気楽なものであった。田舎から持ってきたものといえば本やら小さなステレオやらわずかな洋服やらで、家具什器の類は大学生協で注文して下宿先へ配達してもらった。それだけだ。
 やや不便な場所にあったこの下宿は一年で引き払い、もう少し大学に近いところへ引越した。このときは引越し先まで徒歩十分という距離だったので毎日せっせと荷物を歩いて運び、大きなものだけ半日借りた軽トラックで動かした。せっかく大学に近いところに越したというのに授業にはちっとも出ず、結局この新しい下宿では六年も過ごして主と言われるまでになってしまった。
 就職で大阪へ出てきたときにはこの六七年間に増えた書籍やらCDやら何やらがあったので、荷物はひとり暮しにしてはかなり多くなっており、赤帽のトラック二台で運搬してもらった。
 とはいえここまではたかだか学生の引越しである。多寡が知れている。だが、今回は働きだしてから初めての引越しである。初めての引越しというのはたとえていうなら初めてのおつかいみたいなものである。あまりたとえになっていないかもしれない。とにかく、働きだして可処分所得が増えてから随分持ち物が増えた。もともと少なくはなかった書籍やCDは倍以上に増殖し、何よりも学生のころ欲しくてもなかなか買えなかったギターやらコンピュータやらを馬鹿の如くに所有している。
 今回ばかりは大変な引越しとなるのである。
 そんなわけで、ここのところこつこつと引越し荷物をまとめている。手始めは書籍だ。
 本棚からとり出しては段ボール箱に詰める。はじめて実感したことだが、本棚というやつは偉大だ。本棚の機能というのは本を収納することである。単純明快である。だが本棚は偉大だ。本棚からとり出した書籍は決して乱雑に段ボール箱に抛りこんでいるわけではない。むしろきちんと詰めている。しかし、どうしたことか詰めても詰めても本棚は空にならないのだ。五十センチ四方の段ボール箱いっぱいに詰めても本棚はせいぜい一列半ほどしか空っぽになってくれないのだ。八十センチ掛ける百八十センチのスチール製本棚は段ボール五箱を消費してやっと空っぽになった。まったくこんなにたくさんの本がどこに入っていたのだ。本棚だ。だから私は思うのだ。本棚は偉大だな。
 もし世の中に本棚という発明がなかったら我々はどこに書籍類を収納すればよかったのだろう。冷蔵庫か。箪笥か。まさかベッドの下に敷きつめるわけにもいくまい。それじゃエロ本だ。
 だから、私は本棚の素晴らしさにあらためて感謝している。ありがとうございます、本棚。
 書籍を段ボール箱に詰めていると、何十冊かに一冊くらい奇妙な本に出喰わす。そいつは入りきらないものだから二列に並べていた棚の奥の列などからひょいと現われるのだ。
「私の人形はよい人形」
「私の人形はよい人形」
 出た。こんなもの持ってたのか、私というやつは。漫画である。恐い漫画だ。そりゃもうべらぼうに恐い。恐いからこのように奥にしまっていたのだ。だが、何故二冊もあるのだ。一冊でも恐い恐いこの本をどうして私は二冊も持っているのだ。
「座敷女」
 また出た。これも恐い恐い漫画だ。どうやら私は恐い本を奥に封印しておく癖があったようだ。
 かと思えばこんな本もある。
「十八歳、悶える蕾」
 なんなんだ、これは。誰ですか、こんなものを私の本棚にしまっておいたのは。私です。
 ついついページを繰ってしまった。
 内容はアメリカの田舎町に育った純朴なジェシカが町の不届きものに誑かされて性の遍歴を体験するというものだ。純真なジェシカがどんどん快楽に眼醒めていってしまうのだ。何ということだ。お父さんは許しませんよ。とうとう二人の男と同時にナニをするのです。何をするつもりだ。ナニだ。3Pだ。みなさん、3Pですよ。しかもジェシカは「私のカント」などと口走っている。カント。やはりこれは「実践理性批判」というやつだろうか。物語は不道徳がばれて田舎に居づらくなったジェシカが身も心もぼろぼろに傷ついて旅立つところで終わっている。何ということだ。ついつい最後まで読んでしまったではないか。恐ろしい。
「ネコの繁殖と育児百科」
 何だこれ。いったいいつこんなもの買ったのだろう。確かに学生時代はこっそり猫を飼っていたが、それにしても繁殖させようとかトップブリーダーになろうとか思ったことはない。ぱらぱらページをめくってみる。
「どんな相手ネコをさがせばよいか」
「いよいよ出産」
「生れた赤ちゃんネコの管理」
 不思議な本だ。何だろうな、これ。
「交配」という章を読んでみる。
「交配に先だってまずお見合いが必要です。親(飼い主)がしかるべき家柄のおムコさんをさがしてあげなければならないのです。親兄弟やあまり血縁の近いものは避けなければいけません。こういった初歩的なミスをさけるためには、ネコの協会やクラブに相談するとよいでしょう。ネコのクラブの人なら不適合だけでなく、短所を補い、長所を伸ばすような相手をさがしてくれるでしょう」
 この短い文章から学ぶべきことは多い。たとえば飼い主は「親」と呼ばれること。血族結婚は避けるべきこと。しかし何よりも学ぶべきことはこれだ。
「ネコのクラブの人は何だかすごい」
 何しろ短所を補い長所を伸ばしてくれるのだ。素晴らしい才能だ。その才能に比べて彼らの肩書きはいかにも控え目だ。
「ネコのクラブの人」
 そう書いてじっと眺めていると眩暈のようなものも感じる。ネコのクラブの人。かなり大雑把な呼称だ。ネコなのか。人なのか。人なのだろうけれど、もっと何かなかったのか。きっとご近所でもこう言われているのだろう。
「やあ、あの人いつも猫の面倒みてますね」
「ええ。何しろあの人はネコのクラブの人ですから」
「なるほど。ネコのクラブの人なんですね」
「ネコのクラブの人なんですよ」
 想像すると何だかちょっと可哀想になってくる。ネコのクラブの人。
 これが、
「ネコのクラゲの人」
 だったらもっとわからないことになってくるし、
「マングースのラクダのネコ」
 ならなぞなぞになってしまう。
 いけない。そんなことを考えている場合ではない。私は書籍を段ボール箱に詰めている最中だったのだ。
 本棚はあと二つもある。


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2000/04/07
文責:keith中村
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