第320回 車輪の下


 ヘッセの「車輪の下」を読んで感銘を受けた男、読了後に「こんないい話なら『車輪』の(上)から読みはじめればよかった」と呟いたとかいう話があるが、今回は上下二本立てである。
 前回は、私が北海道旅行中、突然熊に襲われ車輪の下にもぐりこんだところで終わったので、その続きから始めよう。まだ読んでいない良い子のみんなはまず前回から読んでね。
 四月馬鹿万愚節エイプリルフールまあ何と呼んでもよいが、とにかく本日は嘘をついてよい日ということになっている。誰が決めたか知らないが、そういうことになっているのだ。
 と書いて、誰が決めたのか気になったので調べてみた。
 四月馬鹿の起源には諸説あっていったいどれが正しい起源なのかはっきりわかっていないらしいが、インドから始まったとされる説が有力だ。古来インドでは悟りの修行を春分の日からおこなわれる習慣だった。それで修行に励むのだが、すぐ数日後の四月一日になるとすでに迷いが生じてしまう人が多く、この日を「揶揄節」と呼んでこれをからかったことから来ているという。
 別の説もある。
 一五六四年にフランスで始まったというのだ。こっちはやけに具体的に年代が特定できているのだが、これは暦の改訂と関連があるらしい。それ以前は春分の日をもって新年とし、そこから四月一日までが祭の期間だったのだが、この年シャルル九世が一月一日をもって新年とする方針を打ち出した。だが、人々はそれに反撥し四月一日を「嘘の新年」としてどんちゃん騒ぎをやらかした。これが四月馬鹿だというのだ。
 まあ、本日このようなことを書いてもどうせ私のつくった嘘だろうと思われるだけだ。話を変えよう。
 結婚に必要なものは愛か計算かという言い方をされることがある。私の意見をはっきりさせておこう。
「結婚に必要なものは計算である」
 間違いない。
 そもそも核家族化が進行するこの社会においては、結婚するといっても大家族の構成要員になるのではなく、夫婦であたらしい住処を見つけて住む場合も多い。私などもそうだ。もともと大学の頃から親許を離れて生活していたわけだが、いざ結婚するにしても、この狭いアパートに二人して暮らすわけにはいかない。最初のうちはいいだろうが、遅かれ早かれ嫁になる女子の人が、
「きい。何よ、このパソコンだらけの狭い部屋は」
 などとヒステリーを起こして実家に帰ってしまうかもしれない。嫁の女子の人に逃げられるのはいかな駄目人間といえどちょっと情けなさ過ぎる。だから、新しい部屋を借りることになるのだが、ただ借りればよいというものでもない。家具什器の類も必要となるのだ。現在私は箪笥も何も持っていない。持っている家具といえば、せいぜいパソコンラックだ。あるいはパソコンラックを買ったときについていたくるくる回る椅子だ。そんなものが結婚の役に立とうもんか。そこで、新たにさまざまな家具什器も購入することになるわけだが、ここが問題だ。あれがいいね、これも買おうよ、などと無分別にひょいひょい買うわけにはいかない。たとえば、ベッドを買うとする。
「まあ、せっかくだからダブルベッドにしよう」
 何がせっかくなんだか判らないが、とにかくそう提案してダブルベッドを買ったとしよう。ベッドというのはでかい。ましてやダブルベッドだ。持ちかえるわけにもいかず、配達してもらうことになる。翌週デパートの配送係が運んでくるのだ。
「毎度。お届けに参りました」
 そう言いながら配達係はやや自信なさげに新居の玄関扉を眺めるのである。そして、彼はポケットから巻き尺をとり出すと、縦に横に扉の寸法を測定し、ちょっと首を傾げて再び測り、やがて確信を持って私に告げるのだ。
「お客さん。この扉じゃ入りませんよ」
 これではまるで荒井注ではないか。
 せっかく買ったベッドをどうすればよいのだ。玄関の前に設置するのか。そんなところで手をつないで眠るのか。ご近所さんから丸見えの場所で房事に励めというのか。お上は無慈悲ぢや。
 そのような失敗をせぬようには、充分な準備が必要だ。そう。だから私は言うのだ。
「結婚に必要なものは計算である」
 測るのである。やがて新居となるべきマンションの寸法を計測するのである。用意するものは不動産屋からもらった間取り図を拡大コピーしたものと、巻き尺である。
 私は巻き尺係だ。嫁になる女子の人は記録係である。
「玄関扉。横寸、八〇センチ」
「了解」
「同、縦寸、一九二センチ」
「了解」
 我々は測る。そりゃもう、測る測る。あやまたず的確な寸法の家具を購入すべく、新居のあらゆる部位の長さを計測するのだ。
「階段幅、八八センチ」
「了解」
 はたして、あなたは自分ちの便所の寸法を知っているだろうか。私は知っているぞ。幅九五センチ並びに奥行き一一二センチだ。寝室のクローゼットは一六〇×七〇センチだ。扉の下の隙間は一.五ミリだ。ぎりぎり平型イーサケーブルを通せるぞ。リビングの窓は横幅二九二センチだ。縦寸はサンルーフ部を除いて一六〇センチだ。参ったか。
 地球の半径は六千四百キロだ。太陽から地球までの距離は約一億五千万キロだ。身長五七メートル体重五五〇トン。だが、それに何の意味があろう。ワッツ・ザ・ユーズ。我々にとって目下必要なのは洗濯機置き場の面積が一〇三×八〇センチだという事実だ。
 テレビを置く部屋の短辺は二八八センチだ。テレビが七二センチ幅だから、二一五センチ以内のローボードなら隣に置けるのだ。靴箱は幅六四センチ以内のものを購入すればよろしい。
 そんなわけで、私は綿密な計算のすえ結婚するのである。本日四月一日仏滅降水確率二〇パーセント、我々は区役所へ婚姻届を提出にゆくつもりである。とりあえず籍を入れておいて、注文しておいた家具什器類が届られたのち新居へ引越す。全国百万人の女子の人のファンの人には申し訳ないが、そんなわけで俺のことは諦めてくれ。
 ひとつだけ問題がある。あれほど綿密に測ったはずなのに、台所流し台の横寸及び縦寸を計測し忘れていたのである。迂闊であった。そこで私と嫁の女子の人は区役所を出た足で新居となるマンションへ向う予定である。
 結婚後、ふたりの初めての共同作業。それは測ることだ。


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2000/04/01
文責:keith中村
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