第32回 猫だったんだ


 それにしてもよりによって、それはないだろう。そりゃ、うっかり忘れていたのは俺なんだけどね。
 仕事場になぜか、キティちゃんのシャープペンシルがあったのです。軸の部分がファンシーなピンク色をしており、その先端、つまりノックする尻の部分にキティちゃんが鎮座しておるという代物。キティちゃんは軸よりもやや濃いピンクの衣装をまとい、さらに同色のリボンでコーディネイトしている、そういったお洒落さんなのですよ。しかも正面を向いて左手を「ハーイ」てな塩梅に挙げておるお茶目さんでもあるわけです。私はひがな一日片時もそれを離さず、持ち歩いておったのです。なぜということはないのですが。
 私は南海電車という私鉄と大阪市営地下鉄とを乗り継いで通勤しておるわけですが、難波の駅で帰りの地下鉄を待っていたのです。ふと下を見やるとスーツの胸ポケットから何やらはみでている。なんだろうなあ、と思いそれを引っこ抜いたのですが、現れたのが「ハーイ」てな塩梅で左手を挙げているキティちゃんではありませんか。その瞬間に発見したのですが、キティちゃんてば、猫だったんですね。ずうっと兎だと思っていました。よくよく見るとなあんだ猫じゃないか。ひげ、だって生えています。女の子なのにね。で、しげしげと見入ってしまったのですが、しばらくしてはっと気がついた。これはいただけない行為ではないのかと。
 世の中には二種類のものしかありません。駅のホームで持っていいものと、持ってはいけないものです。
 煙草。これはよろしいでしょう。もっとも最近の駅はすっかり禁煙なのですが、火を点さなければ問題なかろうと思います。
 箸。これはいけない。駅のホームで箸を握り締めている。電車の代わりに素麺でも流れてきそうです。
 扇子。これは天候気候季節にもよるが、まあ、よしとしましょう。傘だっていいのですから。もっとも、傘と大きく違うところは「見立て」てはいけないということでしょうか。傘をゴルフクラブに見立ててスウィングしておる人はよく見掛けますが、さて、扇子は何に見立てられるかというとまずは箸でしょう。しかし先ほども申し上げたように箸はいけない。間違っても蕎麦をすするなんていう振りをしてはいけません。本物の箸は無論のこと、見立ての箸だって駄目なのです。煙管に見立てて、コン、なんて叩くのもいけません。たとえあなたが噺家であってもです。
 すりこぎ。ああ。よくないなあ、すりこぎ。根元の方をもって、燭台のように地面に垂直にして胸の前に持つ。そんなことはまっとうな社会人なら絶対にするべきではありません。よろしいか。
 十手、なんていうのは問題外でしょう。
 期間限定特別認可物というものもありましょう。十日戎の頃なら熊手や笹は大丈夫です。しかし、これがクリスマスなら話は別です。クリスマスに熊手を持つ。ああ。まずいなあ。それはまずい。なんという不心得ものでしょう。国賊です。昔だったら切腹です。しかも、きっと熊手には笑い顔の恵比須さんやら金紙で作った大判小判なんかが誂えてあったりするのですから。うわあ。あちゃあ。そりゃいけません。
 笏。いけませんねえ。聖徳太子じゃないんですから。そもそも入手経路が不鮮明です。高島屋なんば店にも売っていないと思われます。もしかしたら闇の販売ルートがあるのかもしれませんが。だったらなおのことそんな怪しげなものは持つべきではありません。
 ひこひこ。本当は「ブロアー」というのでしょうか。カメラのレンズについた埃を吹き飛ばす、あのイチジク浣腸の親方みたいな器物です。自分で勝手に「ひこひこ」と呼んでおるのですが。あれをちょうど出刃庖丁を逆手に持つような具合に握りしめて、「ひこひこひこひこひこ」なんてやった日にゃあ。しかも、あの「ひこひこ」、あろうことか、あらぬことか、いちど「ひこ」と握るとゴムによる弾力で「しゅう」と戻ってくるのですから始末におえません。
 さて、ここで僕はキティちゃんが鎮座ましますシャープペンシルについて顧みるのですが、いかがなものでしょう、駅のホームでキティちゃんシャープペンシルをやにわに胸ポケットから取り出し、呆然と眺めている男というものは。猫だったんだ、と思いながら。
 ううむ。解りません。自分ではさっぱりわからないのです。熊手よりはずっとましなようにも思いますが、箸よりはまずいようにも思う。
 そういえば歴史のテストで「次の事柄を年代順に並びかえよ」なんて問題をやらされた記憶こそありますが、「次の物を駅のホームで持ってはまずいものから順に並びかえよ」なんていう演習は学校ではやってくれませんでしたから。学校教育というものは、この目くるめく現代社会においては無力なのでしょうか。
 どうでしょう。やはり、あまり良くはないのでしょうか、キティちゃん。どこがいけないのでしょうか、キティちゃん。
 ううむ。帰ってきてからずうっと考えて、何となく糸口が見えてきた。
 キティちゃん。
「ちゃん」のあたりが味噌であると見た。


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1997/12/03
文責:keith中村
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