第316回 スモーク・オン・ザ・ウォーター


 喫煙者にとって現代は住みにくい時代である。
 というのも、現代ほど喫煙ならびに喫煙者が迫害を受けている時代はかつてなかったと感じるからだ。堂々と喫煙できる場所は年々減っており、嫌煙権とやらを振りかざす聖者たちが喫煙者を脅かす。これはどうやら世界的な風潮らしい。
 昔はこんなことはなかった筈だ。調べてみると、十五世紀以前、当時世界の中心地であったヨーロッパで喫煙者が差別されていた事実はない。驚くべきことに皆無なのである。重度の喫煙者である私には、羨ましい限りだ。できることならその時代へ戻って暮らしたい。電気もガスもなかった時代だがそれほど困ることはなかろう。たったひとつ不自由なのは、その時代のヨーロッパに煙草がないことだ。
 ご承知のように煙草はコロンブスによってヨーロッパへ持ち込まれた。サン・サルバドル島へ上陸したコロンブス一行は現地のアラワック族が乾燥させた葉を燃やして吸っているのをみた。これが西洋文明と煙草の出会いである。このとき、アラワック族がトバゴという管を用いて煙草を吸っていたので、それ以後この植物はタバコと呼ばれるようになった。トバゴだからタバコである。このことから判るのは、コロンブスは相当耳が悪かったという事実である。ちなみにトリニダード・トバゴのトバゴ島もこのトバゴである。
 植物としての煙草は英語でもタバコだが、喫煙者が吸う紙巻き煙草はシガレットである。葉巻の「シガー」に「小さいもの」を意味する -ette (これを指小辞という)をつけてシガレットである。つまり葉巻の簡易版が煙草であるわけで、キッチンの小さい奴をキチネットと呼んだり、小さい葉っぱをリーフレットと呼ぶのと同じである。同様に、ロケットは岩の小さいもの即ち石であり、小規模なガソリン切れをガスケットと言う。
 さて、喫煙者に厳しい現代の世情を私は大いに憂う。今や「禁煙」の札は至る所で眼にすることができる。駅舎の中、地下街、官公庁などは言うまでもなく、甚しきは学校や花火工場までもが禁煙となっているのだ。もちろん、場合によってはさまざまな場所に喫煙コーナーなどと称する一劃が設けてあり、そこでなら人目をはばからずに喫煙することができる。だが、これは歴とした差別ではあるまいか。ゲットーや「犬と中国人入るべからず」の立て札と同じ差別ではないのか。ことに私が悲しいのは駅のプラットフォームである。駅の喫煙可能場所というのはたいていフォームの端っこに設けてある。そういう場所は寒い季節には吹きさらしである。これは喫煙者には過酷である。だいたい喫煙者というのはそうではない人間に比べて体が弱い。何しろ煙草を吸っているのだ。そういう虚弱な喫煙者を寒い寒い北風の中へ押しやるなど、暖かい血の通った人間にできる所業ではない。鬼の仕打ちである。喫煙コーナーの設置者の心には夜叉が棲んでいるに違いない。また、そうやって寒さを堪え忍んで煙草を吸っているときに限って列車というのは唐突にやってくる。本当はきちんと事前に到着のアナウンスがあるのだろうけれど、何しろこっちはぴうぴう鳴り響く木枯らしの中にいるので聞えぬのだ。気がつくと列車の扉は将に閉まらんとしているではないか。慌てて煙草をもみ消し列車めがけて駈け出すのだが、これが辛い。なんとなれば、先に書いたように喫煙場所は列車から遠く離れたフォームの端っこなのだ。しかもこっちはさいぜんまで喫煙していたわけで、血管が収縮している。そんな体調でいかで走らりょか。ただでさえ体が弱い喫煙者なのだ。お上はわしらに死ねというとるのか。お上の心には魔物が棲んどるのぢゃ。魔物ぢゃ。そうなのぢゃ。
 喫煙者は高額納税者である。専売制である煙草の価格の半分は税金なのである。人より余分に納税しているのに、ひどい扱いをされるとはいったいどういう了見か。私などは二百五十円の煙草を一日に約二箱ずつ消費しているわけだから、年間では九万円以上余計に税金を納めていることになる。なんということだ。それだけの金銭があればあと三百六十箱も煙草が購えるではないか。煙草の税は地方税らしいのだが、それなら常に近所で煙草を購入している私は優良市民ではないか。喫煙者に対する優遇措置を地方自治体はどうして採らぬ。たとえば区役所に赤い絨毯を敷いた喫煙者専用窓口くらい作ってくれてもよいのではないか。高価なソファーを置いた喫煙場所を作ってくれても罰はあたらないではないか。こないだ区役所に行ったが、やはりじめじめ暗い喫煙場所があって、しかも灰皿に積った吸い殻がくすぶり煙がもくもくしていたので、お鼻がくしゅくしゅしてしまったじゃないか。
 そんなこんなで、最近の喫煙者に対する風当たりの強さにすっかり打ちひシガレットいる私なのであった。


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2000/03/18
文責:keith中村
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