第311回 脅し文句


 言葉は人に与えられた智の道具なのに、悲しいことにこれは人を傷つける武器にもなり得る。
 脅し文句というのがあって、これは文字通り人をおびやかす。
 ところで、大阪弁は他の地域に住む人に漫才ややくざを連想させる響きを持っているということがよく言われるが、その大阪弁にはいくつか独特な脅し文句がある。
「けつの穴から手え突っ込んで、奥歯がたがた言わせたろか」
「鼻の穴に割り箸突き挿して、下からカックンさせたろか」
 よく知られているこれらの脅し文句は他の地方で使われるものと比べて顕著に長い。読点を持ち出したほうが望ましい表記になる程にも長いのである。
 これらの脅し文句が長いのはそこに「手段」や「方法」が具体的に描写されているからである。一般の脅し文句ではこういった方法手段は滅多に語られない。たとえば、もっとも人口に膾炙している脅し文句のひとつに「殴るぞ」というのがあるが、この短い一文には方法手段が含まれていないのである。この場合、いったい何で殴るのかは不明瞭である。多くの場合、それは「拳」であろうけれど、もしかしたら「石」「棍棒」など原始的な手段かも知れないし、あるいは「金属バット」「ゲバルト棒」のように現代を象徴する道具が用いられるのかも知れない。周到な人間なら「釘をいっぱい植えつけた棒」など穏やかでないものを背後に隠している可能性もあるし、意表をついて「電動髭剃り」「猫」「片目だけ入れた達磨」「ビリー・ジョエルのCD」の可能性もないことはないのだ。だが、これらのすべての可能性は、ただ一言の「殴るぞ」に集約される。ここで我々は次のことに気づくべきだろう。
「脅し文句は短いほど効果的である」
 最初に挙げたふたつの脅し文句は、もっと短い脅し文句に比べて不利な点を持っている。それは、長すぎるために言い間違えたり途中でつっかえたりする危険性があることだ。
「手えの穴から奥歯突っ込んで、ええと、けつをがたがた言わせたろか」
 不思議ななぞなぞになってしまうのである。
 単純な「殴るぞ」なら、絶対にこういうことは起こらない。
「ぞぐなる」
 如何に怒りで理性を失っている際であろうと、そんなふうに言い間違える危険は万にひとつもないのである。また、短い脅し文句にはもうひとつ利点がある。さきほど書いたように、短い脅迫では具体的な描写が一切されないわけで、これは相手の想像力をかき立て、より一層恐怖せしめるのに効果的なのだ。
「血い見せたろか」
「片端にするぞ」
「死にたいようやな」
 寸鉄人を刺すという言葉もあるように、短い言葉ほど人に深い印象を与えるものなのである。
 だから、この点を押さえればどのような言葉でも脅し文句にすることができる。
「まわすぞ」というのは「輪姦すぞ」と漢字を宛てられることもある性的虐待の脅しであるが、これがちょっと変化してこうなったらどうだろう。
「まわるぞ」
 たとえば、女子の人が人気のない夜道を歩いていると、いきなり屈強な男三人に押さえつけられてしまうのだ。彼らはどすの効いた低い声で言うのであった。
「まわるぞ」
 これはこれでかなり恐いのではないか。大男が三人、回るのだ。夜道で。爪先立って。
「歌うぞ」
 これも人によると効果的である。「ぼえー」という奴だ。
「測量するぞ」
「揺れるぞ」
「頑張るぞ」
 こういうのであっても何となく不気味だし、更には、
「ぴろぴろするぞ」
 と言われても何だか判らないだけにいささか不安だ。
 さて、一口に「短い脅し文句」と言っても、いくつかの種類ないしは段階があるように思う。「殴る」という動詞を例に考えてみよう。まず、こういう言い回しがある。
「殴ったろか」
 こういう言葉が出てくる場合、相手は完全には怒っていない。まだ、こちらの出方をうかがうゆとりのようなものが感じられる。何故ならこれは「勧誘」の疑問形なのである。言うなれば「お茶をもう一杯いかがですか」「窓を開けましょうか」と同族の文型なのである。
 次に、こういう言い方がある。
「殴るぞ」
 こうなると、先程と比べてもかなりのものである。激怒していると言ってもよい。「ぞ」である。係り結びの法則である。昔なら、
「殴るぞなりにける」
 である。いや、きっと昔でもそんなことは言わなかったろうし、これはこれで何か間違えているのかもしれないが、しかし、この「ぞ」に先の疑問形と同じく、相手への確認の意味が込められているのは間違いない。言ってみれば、これでもちゃんと情報発信になっているのだ。だが、次のやつはもういけない。
「殴る」
 これはもう、伝達手段としての言語活動ではなくなっている。断定形である。こちらへ伝える気持ちなど微塵もなく、存在するのは一点の揺らぎもない確信的な決意のみである。怒り心頭に発するという状態だ。殴るったら殴るのである。ぽこぽこにするのである。ぼこすかにするのである。
 だが、もっと恐ろしいのがある。これだ。
「殴ります」
 殴るくせにどうしたことか何だか叮嚀なのであった。かつて、映画の題名から「死んでもらいます」が流行語となったが、これを慇懃無礼というのだろうか。
 こういうのを淡々とした口調で呟かれたらもういけない。三十六計逃げるに如かずである。
「ひょこひょこします」
 何だか知らないが、ひょこひょこだけはされたくないのだった。 


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2000/02/25
文責:keith中村
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