第309回 スーパーカー的なものの呪縛


 しかし、「キャッチ22」という名のバンドだって他に存在しているぞ、というご指摘をいただいた。
 前回の文章に関してだ。つまり、我々はバンドの名称を「トライセラトップス」というバンドとかち合わないよう「トリケラトプス」から「キャッチ22・ケークウォーク」へと変えたわけだが、にもかかわらず、そっちの名前だってすでに使われているというご指摘をいただいたのである。「キャッチ22」というバンドはふたつもあるらしい。
 もちろん、名前が同じであっても一向に構わないという考え方もできる。そもそも我々のバンドは素人であるので、プロフェッショナルの先方さんと名前を混同されてややこしい事態を招来することもなかろう。それに、思えば世の中には有名人同士で同じ名前の例だっていくつもある。「ナカヤマミホ」は歌手の名であると同時に吉本興行の芸人の名でもある。「ドイマサル」も料理の人と司会の人をそれぞれ示す。女優とキッスの人にそれぞれ「ジーン・シモンズ」がいる。俳優の人とものすごく走る人はどちらも「ベン・ジョンソン」だ。
 そうだ。名前が一緒であっても構わないのだ。もし、「よそと絶対重ならない名称をつける」などと自分を律してしまったら、同名のバンドの存在が発覚するたびに変更しなければならなくなる。私たちはボラか。我々はブリか。嫌だいやだ。うんざりだ、まったく。バンドの名称は「キャッチ22・ケークウォーク」のままとしよう。もう面倒くさいし。
 ところで、この「キャッチ22・ケークウォーク」という名について今回こうして意識的になってみて、ひとつの事実を発見した。それはこういうことだ。
「我々の世代はスーパーカー的なものに呪縛されている」
 これがどういうことか説明する前に、まずスーパーカーについてふり返ってみたい。
 あれはインベーダー・ゲームの流行や、口裂け女の都市伝説が巷を席捲したのと前後してのことだったと思うが、スーパーカー・ブームというのが到来したことがあった。
 何だったのだろう。
 当時、世間には「スーパーカー」と呼ばれる範疇に属する自動車があった。そうしたスーパーカーをたとえば百貨店の屋上やなんかに集めて、展示会だのショーだのというものが頻繁に催されたのである。そして、私たち子供はカメラを握りしめてはその会場に群がった。今思えば何が楽しかったのだろう。そこにあるのは「ポルシェ」であり「ランボルギーニ」であり「フェラーリ」であった。有り体に言ってつまりは自動車だ。現在のモーターショーと違い、水着姿のお姉さんがいるわけでもない。ひたすら無機的なその会場で我々は必死にシャッターを切った。
 そして、帰りがけには親にねだって「スーパーカーのブロマイド」や「スーパーカーのポスター」や「スーパーカーのシール」を買って貰い満足して家路を辿ったのであった。そんなものがどうして欲しかったのか不思議だが、それでも「スーパーカー饅頭」や「スーパーカーのお弁当箱」でなかったのは不幸中の幸いだ。
 実のところ、「スーパーカー」と「外車」の違いが私には未だによく判らない。一応次のような漠たる概念を自分なりの定義として持っている程度だ。
「未来の車のような意匠を持っていること」
「赤や黄色などけばけばしい原色で塗装されていること。メタリックも可」
「最高時速は少なくとも三百キロはあること」
「千万円とか億円とかの無茶苦茶な価格設定がされていること」
「生産台数が極端に少ないこと」
「場合によってはドアが上に向って開くこと。さもなければ、ライトがせり出してくること」
 これらを総合すると、次の結論に辿りつく。
「なんだか相当凄い車」
 これを象徴するものとして当時の子供たちがみんな知っていた事実がこれだ。
「ランボルギーニ・イオタは世界に三台しかなく、見た人はほとんどいない」
 まるで、ツチノコかビッグフットである。オゴポゴであり、ヒバゴンである。だがそれくらいにすごいスーパーカーだが、何といってもスーパーカーのスーパーカーたるいちばんの点は、その名前である。
 スーパーカー・ブーム以前私が知っていた自動車の名前は「すばる」であり「サニー」であり「ミゼット」であった。ところがスーパーカーは違うぞ。そんなものじゃない。
「ランボルギーニ・カウンタックLP500S」
「フェラーリ365GT4ベルリネッタ・ボクサー」
「ポルシェ935ターボ」
 これらの名前に共通することは、「片仮名と数字の組み合わせによって喚起される得体の知れない説得力」である。場合によっては「説得力」を「高級感」や「恰好よさ」あるいは「強そうな感じ」と言い換えてもよい。
 そして、我々がバンドの名称を決定するとき、単に「キャッチ22」とはせず後ろに「ケークウォーク」とつけ足したのは、スーパーカー的命名に他ならなかったのだ。我々は無意識にスーパーカー的なものに呪縛されていたのであった。
 スーパーカーの説得力を他のものにあてはめて、確認してみよう。
 ナポレオンという人がいた。すごい人である。だが、ナポレオンがもしこういう名前だったらどうだろう。
「ナポレオン1815ボナパルト・エディション」
 ただでさえすごいナポレオンだが、こうなるともう相当すごいという他はないくらいの事態になってしまうのである。
 こういった命名をうまく使っているのは、コンピュータ業界である。
「ニンテンドー64」
「ポストペット2001バージョン2」
 あろうことか、「ウィンドウズNT4.0サービスパック5」などというものまで、相当すごいと感じてしまうのだ。そんなものないに越したことはないのに。
 そうなると、もうこういうものがあってもよい気がしてくる。
「わらじRX200リミテッド」
「ハイパー風呂敷1800GTカスタム」
 これはちょっと間違っていると思う。もしかしたら私が気づいていないだけで、ちょっとどころか大変間違っているのかもしれない。だが、ここにはその間違いを見過ごしてしまう説得力がある。
「なんたってリミテッドだもんな。こりゃ、もう絶対『買い』だろ」
 それが「わらじ」であるという本質はかなり薄れている。そんなことを気にしていたら負けである。
 もちろん、中にはそんな説得力には騙されないぞという聡明な人間もいるだろう。
 だが、ふと訪れた店先にこういう札があったらどうだ。
「本日入荷 わらじRX200リミテッド」
「わらじRX300ビンテージ 予約受付中」
 先程は騙されなかったあなたも、頬に掌をあててしばし考えこんだのち、こう呟くだろう。
「折角だから、予約しとこうかしら」
 何が折角なのかさっぱり判らないが、あなたはそうやって予約を入れてしまうのであった。
 もちろんここで我々は「商店の貼り札」や「折角だから」の危険性にも注目すべきなのだろうが、それはまた別の話である。まずはスーパーカーに騙されないようにしなくてはならないのだから。


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2000/02/14
文責:keith中村
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