第308回 貴種流離


 下手な素人バンドをずっと続けているのだけど、この名前が「The Catch 22 Cakewalk」と、甚だ長い。ジョセフ・ヘラーの小説の題名と、ダンスのスタイルをくっつけているのだが、まあ「ちぐはぐな踊り」くらいの意味を込めている。もっともこれは後づけで、もともとは何となく面白そうな語感だからそうしただけである。はじめはもっと簡単な「トリケラトプス」という名称であった。公式には、といっても何が公式なんだかわからないが、Triceratops と英語で表記していた。
 その頃、というのは六七年ほど前だが、ウェブサイトを検索すると同名のアマチュア・バンドのサイトがひとつだけ引っ掛かってきた。同じ名のバンドがあるのだなあ、と思っているうち、そちらはどんどん有名になり、とうとうプロになってしまった。後で知ったが、こっちは「トライセラトップス」と英語読みさせているようだ。
 とにかく、そっちが有名になるに従って、このやや加勢大周的状況も如何なものか、という声がメンバーからあがって、最初に書いた長々しい名称に変更したのである。
 さて、私の所属するこの素人バンドのボーカルは二人の子持ちなのだが、そのうちのひとり三歳児であるところの長男がすごい。何がすごいといって、この三歳児タクマはローリング・ストーンズのナンバーを唄い踊るのである。
 タクマのお気に入りは「ブラウン・シュガー」である。キース・リチャーズが弾くところのオープンGのカッティングが始まると、彼は嬉しそうにひょこらひょこらとステップを踏みはじめ、「ゴーコースレーシバンホコンンフィー」などと耳で聞いたなりの歌詞を唄いだすのであった。ちなみに、本来の歌詞は「Gold coast slave ship bound for cotton field」であるから、かなりいい線をいっていると言える。彼はこの調子で「ブラウン・シュガー」を熱唱し、あまつさえ最後の「イエーイエー、ホウ」というところなどミック・ジャガーよろしくとび跳ねるのであった。
「ブラウン・シュガー」は、黒人女を夜通しひいひい言わせるぜ、などという内容の歌であり、三歳児が唄うにはかなり不適切ではあるが、それにしても特技と呼んで差し支えない技能であるのも確かであり、タクマのこの特技は父親であるところのリョータローが子守歌がわりにストーンズを聞かせていたことに由来する。
 私はこの歌って踊れる三歳児を見ては思うのだが、父親がロックの人というのはいったいどういう心地のものなのであろう。今は無邪気に踊っている彼も、齢を重ねるにつれて何ごとか脳裡に去来するものがあるのかもしれない。だが、それがどういう種類の感情であるのか、私にはさっぱり想像もできない。たとえば、「父親が米粒に写経する名人」であったりしたら、それはそこはかとなく恥ずかしい気持ちであろうなあ、と推測することもできるし、「家族の中で父親だけ何故かイスラム教徒」であるならば、かなり困った事態と言わざるを得んなあ、と惻隠の情を喚起されたりもするのだが、「父親がロックの人」となるとこりゃもうお手上げである。
 もっとも、昭和一桁であるところの私の父親が唐突にロックの人となり、「しぇきら、べいべ」などと叫ぶことはまさかあるまいだろうから、タクマの行く末を案じても私の人生の糧にはならぬ。だが、そう思って油断していると、新たにロックな父親ができる可能性もなくはないので、注意が必要だ。つまり婿養子に行った先がロックな父であるかもしれないのだ。世の中にはそんな例もある。そうなると母親は樹木希林の人ということになるわけで、こっちはこっちで「おばけのロックンロール」だからなお始末におえない。モッくん、頑張れ。
 子供の頃、自分はこの家の子ではなく、どこかに本当の両親がいるのではないか、と夢想した経験のある人は多いかと思うが、本当の両親というのが本当にいて、それがロックな両親だったりしたら、これはこれで困ると思う。いつの日か迎えにくるのだ。ピンクのキャデラックか何かで。
 学生の頃、知人と無駄話をしていると、しばしば誰が父親であったら嬉しいか、という話になった。有名人の誰が父親だったらいいか、というのである。そういう時、理想の父親像として挙がるのはたいていものをたくさん知っている人であった。
 たとえば丸谷才一が父親だったら、いろんなことを教えてくれそうでいいなあ、とか。もっとも、迂闊に「食べれる」などと言おうものなら、「間違ひだ。食べられるぢやないか」と叱られそうである。パロールなのに旧仮名で。
 あるいは、淀川長治が父親であったなら、夜中にふと俳優や映画監督の名前を胴忘れして、気になって眠れないときに重宝する、という意見もあった。しかしこれにはすかさず、父親がホモというのも如何なものか、という重大な問題提起がなされ、ちょっといかんなあということになるのである。では和田誠ならどうだ、と代替案が出される。なるほど、和田誠か。それはいい。かくして、満場一致で理想の父親像は和田誠に決定されるのであった。
 しかしそれならば母親はいつでもどこでも歌う人だからうるさくてかなわんぞ、という発言をする者もいたが、父がジョン・レノンである引き換えにもれなくオノ・ヨーコがついてくることよりは随分いいだろうと言われて納得するのであった。
 じっさい和田誠が父親であるというのは、とても素晴らしいことであろう。けだし花丸パパである。ヤッくん、頑張れ。
 さて、つい先日知ったことがある。最初に書いた「トライセラトップス」のリーダーは和田唱という青年らしいのだが、彼は和田誠と平野レミの息子であるのだそうだ。
 いいなあ。
 きっと夜中に「マルクス四兄弟は、ええと、グルーチョにハーポにチコに、ええと。ええと。ええと」と気になって眠れないようなことはないんだろうなあ。
 ところで、モッくんと、ヤッくんと、ええと。ええと。


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2000/02/08
文責:keith中村
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