第306回 教えてガリレオ


 人がおもしろいと感じるものは、年齢と共に変化してゆき、一般にそれは笑いの感覚の進化だということになっているんだろうけど、たとえば三歳くらいの子供に「うんこぶちゅぶちゅ」なんて言ってあげるとそりゃもう大笑いしていつまでも「うんこぶちゅぶちゅ」なんて繰り返しながらそこいらじゅう走り回って大喜びするわけで、しかしたとえば私くらいの年齢の人間が「わーい。うんこぶちゅぶちゅ」なんて両手を頭の上でひらひらさせたりなんかするのは世間的にはかなりまずいこととされていて、むしろ新聞の片隅に載っている諷刺漫画みたいなものをちらと一瞥して「ほほう。ふふん」などとしたり顔で笑うのが大人だ、なんていうふしがあるんじゃないかと考える。でも、これは感覚の進化なんていうものではなくて、単に笑いを喚起される対象物の質的な変化に過ぎないんじゃないかという気もしていて、またこれを恐怖に置き換えて考えると、幽霊が恐いとか地獄に墮ちるのが恐いとかいう教育や学習による恐怖がある一方で、暗闇が恐いとか火が恐いとかいう、原初的なというのがいいかどうかわからないけどとにかくそういう理屈抜きの恐怖もあるように、笑いにも諷刺漫画に「ほほう。ふふん」と笑うような教育学習によるものとは別に、大人だろうが子供だろうがともかく理屈抜きに面白いと感じる笑いだってあると思う。私はつねづね「ガリレオ・ガリレイ」という名前なんかはそういう理屈抜きに老若男女が楽しめる珍妙な名前だと確信していて、この名前の前では吉田義男もクリス・クリストファーソンも敵わないなあと思っているのだけれど、社会的な抑制のため多くの局面で大人が「暗闇が恐い」とおおっぴらに言えないのと同様に、たいていの人は「ガリレオ・ガリレイ」の面白さに蓋をして生きているんじゃないだろうか。学生の頃、アルバイトで学習塾の講師をやっていたのだけど、理科の授業で小学生に「ガリレオ・ガリレイ」というと「うひー、変な名前だい」と大騒ぎになって必ず授業が滞ったもので、でも人はだんだんと成長してくると固有名詞はそれがいくら面白い響きを有していても笑っちゃいけないものだという感覚が芽生えてきて、これは差別感情とか結構微妙な問題も含んでいるのだろうけれど、いずれにせよ奇妙な固有名詞に出会ってもその奇妙さをぐぐっと押さえつけようとするようになる。
 塾といえば、私はこの塾で電話を取るときに「はい、もしもし」とやって、塾長に「きちんと塾名を名乗るように」と何度も注意されたんだけど、どうしても躊躇してしまってなかなか名乗れなかった。というのも、この塾の名前が「にこにこ友だちゼミ」といういささか困ったものだったからで、いい大人がどんな顔でどんな口調で「にこにこ友だちゼミ」なんて言えばいいのかさっぱり判らなかったし、もちろん今考えてもやっぱり判らない。嘘だと思ったら、試しに受話器を握りしめて「はい。にこにこ友だちゼミでございます」と喋ってみたらいい。鏡を見ながらやってみたら尚いい。当時五十前の禿頭の塾長はそれこそ本当ににこにこしながら「はいはい。にこにこ友だちゼミでございます」なんてやっていて、私は傍らで「ああ、なんてこった」なんて思っていたんだけれど、「ガリレオ・ガリレイ」の伝でいけば彼はまったく大人であり、一方、「にこにこ」もどうかと思うけど「友だち」もこれはこれでいいのだろうか、なんてくよくよしていた私はまだまだ子供だったのかもしれない。
 私の友人に「フジチュー」という会社に勤めている人間がいて、この「フジチュー」は漢字で書くと「富士中」となり「富士中央印刷株式会社」という一応上場もしている中堅企業の略称なんだけれど、「フジチュー」なんて言われるとどうしてもあの「富士通」のことを赤ちゃんが言っているような妙ちきりんな感覚に陥ってしまい、でもそう言っていられる私は気楽なもので、本人にとってはなかなか深刻な問題らしい。
 といっても「にこにこ友だちゼミ」みたいに電話で名乗るときが深刻だということではなくって、彼に言わせるとほとんどの電話は取引先やら何やらで、とにかく「フジチュー」を知っている相手ばかりだからちっとも恥ずかしくもなんともないんだそうだ。それよりも問題は買いものをして領収書を切って貰うときで、初めて訪れた店で「お名前は」という質問に「フジチュー」と答えるとまず間違いなく尻上がりの「はい」という疑問形が返ってくるという。仕方がないから再び「フジチューです」なんて繰り返すと、そこから先の反応が大きく二通りあって、ひとつはなんとも訝しげな表情、ひとつはいかにも笑いだしそうな表情、もちろんいずれの反応も客に対しては失礼なものだから相手は必死に隠そうとするのだけれど、彼に言わせるとどっちも「店員の眉がクラーク・ゲイブルやジュディ・ガーランドみたいに片っぽだけ吊り上がる」から判るんだそうだ。たいていはここで「どんな字ですか」と訊かれるのだけれど、ときには彼が冗談を言ってると判断したり、自分の聞き間違いだと思ったりして、「ああ。富士通ですね」なんて勝手に解釈されることもあるようで、そうなると更に「いえ、富士通じゃなくフジチューです」なんて繰り返さなければならないわけで、就職したての若い頃には動転してしまい「いえ、フジチューでちゅ」とやらかして店員ばかりか支払い待ちの客までも笑わせてしまったこともあったらしい。じゃあ領収書を「上様」で切ってもらったらいいんじゃないのかと問えば、きちんと社名を書いてもらわない「上様」の領収書は会社が受け付けてくれないのだそうだ。世の中なかなかままならない。
 私が会社へゆく途中に、最近はやりの有機栽培野菜だか何だかを扱っている店があるんだけど、この店の名前もやっぱりちょっと困ったことになっていて、「キャベツ坊や」という。通りがかるといつも髪を金色に染めた青年がそれでも真面目そうに、「それでも」なんて書くのは偏見かもしれないけれど、とにかく段ボール箱を運搬したり台車を押したり一生懸命働いていて、道すがら私はついつい彼の親御さんに思いを馳せてしまう。きっと彼の親御さんなんかも近所付き合いのなかで「お宅の息子さん、どちらにお勤め」なんて質問されちゃったりするはずで、やっぱりそういう時お母さんは「ええ。それが『キャベツ坊や』なの」なんて曖昧な笑顔で答えたりするんだろうか。
 そういうことを想像して、ちょっと笑いかけてしまうんだけど、くだんの金髪の青年が買いものにやってきた主婦に「毎度お」なんて快活に挨拶してるのを見ると、何だか自分だけがいつまでたっても子供に思えてこれは如何なものかなあ、なんて何となく足ばやになってしまうのであった。


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2000/01/28
文責:keith中村
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