第305回 間諜最初の日


 まずはじめに意識しておかねばならないのは、誰もがスパイになれるわけではないということだ。
 現代社会は、人々に夢や希望という名の阿片を与え、幻覚を見せておいては、その傍らこっそりごっそり搾取する構造になっている。もちろんこんなことはスパイを志す賢明な諸君には、釈迦に説法だろう。だが、この構造に気づかぬ幸せ者や愚か者もいる。彼らは「信じていれば夢は叶う」という何の根拠もないたわごとを護符に馬齢を重ねる。他人の立身出世伝を見聞きしては「なにごとも頑張れば何とかなる」と書かれた宝くじを「次に当選するのは自分に違いない」と呟きながら握り締める。しかしながら、いやしくもスパイを志す人間なら、世の中はもっと冷酷で厳しいものであることをしっかりと認識しておくべきだろう。
 重ねて言おう。誰もがスパイになれるわけではない。それは、麻雀でテンパイした人間が必ず和了れるわけではないのと同様だ。女子の人がすべて大きなおっぱいを持っているわけではないのと同様だ。先輩だからといって必ずしも偉いわけではないのと同様だ。でも、だからといってすぐ諦めてしまうのも如何なものだろう。人間、失敗はつきものだ。だが、それで打ちのめされて困憊しているようではいけない。「あんなのは酸っぱい葡萄だ」と合理化してしまってはいけないのだ。スパイには逆境を克服する強靭な精神力が必要なのである。
 されど、スパイとて生身の人間である。まったく何の夢も希望もない世界ではやはり生きてゆけない。だからといって、愚鈍な大衆と同じように「明日になれば陽はまた昇るわ、トゥモロー、トゥモロー、アイラブヤ、トゥモロー」などと唄うわけにもいかない。スパイに明日はないのだ。では、スパイは如何にして毎日を生き抜くべきか。
 スパイに必要とされる能力は「よかった探し」である。諸君は「よかった探し」をご存じだろうか。そう、ポリアンナがお父さんから教えてもらった「よかった探し」である。
 つまり、明日などという無保証のものに期待を寄せるのではなく、すでに過ごした今日いちにちの幸せな瞬間を思い出し、心を癒すのである。
 何でもよい。
 たとえば、「今朝、閉まりかけたエレベータにぎりぎり間に合った。よかったね」でも構わないし、「駅の階段で前を歩いていた女子の人のぱんつがちらりと見えた。白だった。よかったね」でもいいだろう。「目薬が一発でうまく目に入った」とか「プロバイダに一発でつながった」でもよろしい。
「店で買い物をしたら、店員が間違えてお釣を十円余分にくれた。よかったね」
 そんな些細なことでも構わないのだ。中には、これを「よかったね」と取らず、「お客さん」と店員が追いかけてこないかどきどきする人間もいるだろうけれど、そんな小心者では駄目だ。スパイには偽造パスポートで入出国しなければならぬことだってあるのだから。十円くらいでびくびくするな。諸君の先輩のスパイには「店で買いものをしたら、金額の端数がちょうど財布に入っていた一円玉の数と一致した。おかげで財布の中がすっきりした。よかったね」と、笑顔で眠ることができる猛者もいるのだ。
「コマーシャルの間にテレビのチャンネルを変えたら、そっちでも同じコマーシャルをやっていて、何だか嬉しくなってぱちぱち切り替えて見比べた。よかったね」
 これは、なかなかポイントが高い。こういうことで幸せを感じることができるのはかなり高度な能力である。
「ラジオの曲に合わせて鼻歌を唄っていたら、トイレに行きたくなったので、ふんふふんと唄いながらトイレに行って用を済まし、またふんふふんと唄いながら帰ってきたら、半拍のずれもなくきっかりラジオと合ったままだった。よかったね」
 素晴らしい。こういう「よかった探し」ができるスパイなら、拷問にあっても笑って死ぬことができるだろう。
 どうだろう。スパイの過酷さを少しでも理解していただけたであろうか。
 ジェームス・ボンド、ナポレオン・ソロ、マタハリ、バンコラン。そういった華々しいスパイたちへの憧れなど棄ててしまえ。本来スパイというものは地味で辛い仕事なのだ。それがスパイの現実なのだ。
 ここまで読みすすめてきた諸君はあるいは、スパイに失望されたことだろう。がっかりされたことだろう。
 それも無理はない。なんとなれば、この文章は自動的に幻滅する。


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2000/01/24
文責:keith中村
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