第298回 無断の母


 俺はテレビ局のプロデューサーである。誰が何と言おうとテレビ局のプロデューサーである。俺がテレビ局のプロデューサーである証拠に今俺はテレビ局のディレクターと打ち合わせをしている。
 俺が担当しているのはお涙頂戴の人捜し番組である。三十五年前に生き別れになった兄弟だの、義父の死に際して教えられた本当の両親だのを依頼に応じて捜してきては、カメラの前で「涙の対面」というのをやらせる。あまり誇りにできる仕事だとは思っていないが、視聴率が稼げるのだから仕方がない。それに、馬鹿な視聴者という雛に娯楽という餌を与える親鳥のような心持ちになれるので、なかなか気分はよい。あるいは、供給者の立場にいることで、自分だけは馬鹿な大衆ではないつもりでいられるから気分がよいのかもしれないが、何しろ俺はテレビ局のプロデューサーという忙しい身体であるから、そんなややこしいことをあれこれ考えている暇はない。
 俺が担当しているこの番組の製作は楽だとも言えるし、苦しいとも言える。大衆というやつは貪婪であるから、手を替え品を替え次々と新しいものを与えてやらないとすぐに愛想をつかせる。だから、他の番組を担当している同僚のプロデューサーたちは毎日が必死である。ところが、俺の番組は十年一日のごとく同じ内容を繰り返していても決して飽きられることがない。先週とほとんど同じ境遇の依頼者がほとんど同じ筋書きで涙の対面をやっても視聴者は満足し、涙を流して愉しんでくれるのである。楽だというのはそういう理由だ。だが、何と言っても依頼どおりに失踪した母親なり生き別れになった息子なりを捜し出してカメラの前にひっぱってこないことには番組は成り立たない。ここが苦しいところだ。昔なら素人臭い大部屋俳優を引っ張ってきて、いわゆるヤラセで番組をもたせることもできたろうが、今ではそんなことをすれば隙あらば足を引っ張ってやろうと虎視耽々の同業他局にすっぱ抜かれて俺も番組もおしまいである。だから、俺たちは血眼になって依頼された人間を捜し出す。
 俺がディレクターと次の収録分の構成を打ち合わせていると、ADがやってきた。
「あの」
「なんだ」
 俺が太い声でそういうと、ADはあからさまに蒼ざめた。
 俺は妙におずおずしているこのADが嫌いだ。親に叱られることなく育ってきたのか、怒られることを極端に怖れてやがる。それでどうしても引っ込み思案になってしまい、すぐ体を動かすということができない。ADとしては致命的な欠点であり、この性格ではテレビ業界でやっていくのはちょっと難しいだろう。
 蒼ざめたまま呆然と立ち尽くしているADを、俺は続けて恫喝した。
「なんだ、と訊いている。用があるなら早く言え」
 ADは咽喉の奥で「ひい」とか細い声をあげた。今にも小便をちびらんばかりである。「そ、それがですね」それでも何とか話しだした。「先週の放送を観たという人が来ているのですが」
 番組では尋ね人公開捜査のコーナーもあり、ここでは依頼した本人がカメラに向って涙ながらに訴えかけるのだが、先週の放送では二十代の青年の、生後間もなく生き別れになった母親を捜して欲しいという依頼を放送した。この青年は困った男であった。母親の愛情を知らずに育ったせいかもしらんが、ちっとも感情の起伏がない。たいていの依頼者は抛っておいても勝手に盛り上がってわんわん泣いてくれるのだが、こいつはまるで他人事のように淡々と喋りやがったのだ。仕方がないから司会者やら出演者やらで無理矢理盛り上げるとようやく泣き出し、五回目のリテイクで何とかOKに持ち込めた。
 俺は来客を待たせてあるという第三会議室へ向かった。
「つまり、あなたが彼の母親だというのですか」俺は不審げに訊ねた。
「はい」
「しかし」俺はどちらかというと美しい部類に属するその痩せた女の、やや派手な洋服を見て言った。「彼は二十八歳だったと思うのですが、その」
「何でしょうか」
 女は首を傾げた。俺は、ちょっと言葉に迷いながら続けた。「ええと。あなたはどうみても、その、二十代にしか見えない。彼と同い年くらいだ」
 女はぼんやりと焦点の定まらぬ視線を俺の頭上数センチのところに漂わせ、たっぷり十数えられるくらいの間を置いてから言った。
「それがどうかいたしまして」
 その言葉に俺はやや不気味な響きを聞き分けた。俺は脇の下に厭な汗を感じながら、それでも慎重に諭すように言った。「ええと。つまり、あなたは彼の母親にしては若過ぎるように思うのです」
 女はだしぬけに笑いだした。ききき、と聞える笑い声であった。俺はぎくりとした。ディレクターを残してひとりで来たことを少し後悔した。女は口に手をあてて笑いながら言った。
「なんだ。そんなこと。よく言われるんですよ、年齢よりも若く見えるって」
「おいくつなんですか」
 おずおずとそう言った途端、女は、きっ、と俺を睨みつけた。「女性に歳を訊くもんじゃないわ」
 俺は吃驚して飛びあがり、ぴょこんと椅子に正座する恰好で着地した。女はテーブルに視線を落すと、やや穏やかな口調に戻って言った。「まあ、いいでしょう。私、二十五歳です」
「そ、それじゃ、やっぱり彼の母親であるはずがない」俺の足は尻の下でがくがくと顫えていた。
 女はまた険しい目つきになり、先程より高い声で叫んだ。「わかんない人ね。私が母親だと言っているんだから間違いないでしょう」
「いや、しかし」俺は顫えたまま言った。「そ、そうだ。母子手帳か何か、証拠になるものはお持ちでしょうか」
「証拠。ふん」女は嘲るように笑った。「証拠はこれよ」
 そういうと女は天井のあたりに視線を泳がせ、耳を澄ますような顔つきになった。俺がその様子を口をぽかんと開いて眺めていると、女はまた俺に視線を突き刺して言った。「わかった。聞こえたでしょう」
 俺は狼狽しながら答えた。「何が、ですか」
「テレビ局の人間の癖して、聞えないの」女はじれったそうに身をよじった。「さっきからずっとあの電波が繰り返しているでしょう。お前があの子の母親だ、って」
「ででで電波」予想はしていたが、それでも俺は卒倒しかけた。やっぱりそうだったのだ。こいつはただの既知外だ。そうと判ったらもう話を聞く必要はない。何とかしてこの場から逃げ出さねば。
「わわわ判りました。で、ではとりあえず担当者を連れて参ります」そう言って椅子から立ちあがろうとすると、女は俺を恫喝した。
「何言ってんの。担当者はあんたでしょう」
「ひい」俺はまたへなへなと椅子に崩れ落ちた。
 女は再び耳を澄ますような恰好になり、ふんふんと頷いた。「なるほど。そうなのね。あんたは私があの子に会うのを邪魔するつもりなのね」眼がだんだんと吊りあがってきた。「はじめっからそういうつもりだったんでしょう。そうなのね。悪い奴だわ」女は大音声で叫んだ。「この悪魔」
「ひいい」俺は完全に腰を抜かした。
 女はぶつぶつと呟きながら、膝の上のバッグをごそごそ引っ掻きまわした。「そうね。悪い奴は退治しないといけないわ。悪い奴は退治しないと」
 女はバッグから長い刃渡りの庖丁をとり出した。天井の蛍光灯が反射して、刃先がぎらりと光った。
「わ。わ。わ」俺は腰を抜かしたまま椅子から転げ落ち、わたわたと床を手で掻いた。「た、助けて」
「ふん」女は凶悪な笑顔で言った。「悪魔のくせに」
「わ。わ。わ」ズボンの前が温かかった。どうやら失禁してしまったらしい。
「さあ。さあ。退治しましょうね。退治しましょうねえ。わるい悪魔は退治、退治」女は奇妙な節まわしでそう歌いながら、ふらふらと庖丁を振り回し、踊るような足どりで俺に近づいてきた。
 くそ。あのADめ。よりによってこんな会議室なんかに通しやがって。どうしてこいつを人気の多いロビーで待たせておかなかったんだ。だいたい、あいつは。「わ」
 女の顔が俺の眼の前に大きく迫っていた。女は真っ赤な唇をにゅうと歪ませ、俺の瞳を覗き込んだまま、ものすごい顔で笑った。


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1999/12/22
文責:keith中村
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