第296回 らくらく設定ビデオ


 それほど家庭にコンピュータが普及していなかった時代(といってもほんの昨日のはずだが)には、メーカーは「誰でも簡単に使える」という惹句でもって無責任に消費者に購買をすすめ業績を伸ばした。だが、ある程度家庭に普及した現在では、知人のひとりやふたりは既にコンピュータを持っているという情況になっているため、まったくの初心者はまずそういう人間に相談を持ち掛ける。
「あのさ、コンピュータ買おうと思うんだけど、どういうのがいいかな」
 もっと普及率が低かった頃は、「既にコンピュータを持っている人間」はこういう相談に、したり顔であれこれ応じてやったものだ。もちろん、「新規ソフトのインストール」や「ダイヤルアップ設定」、「メーラーのアカウント設定」などで自分と同じ苦渋を相手に舐めさせて溜飲を下げるためである。「簡単簡単と騙されて買ったものの、まさかこんなに難しいものとは思わなかった。この辛い境遇にひとりでも多くの人間を巻き込んでやる」そういう思惑のもとに「既にコンピュータを持っている人間」は無辜の人間を不幸に追いやったのだ。
 だが、現在は少し様子が異なっている。
「あのさ、コンピュータ買おうと思うんだけど」
 この相談を受けた人間はまずまっさきに考える。「こんな奴にコンピュータ買わせたら、サポートは全部俺のところにくるに違いない」とりあえず、自分のコンピュータでの「ダイヤルアップ設定」や「メーラーのアカウント設定」は完了しているものの、あれは二十回くらいやってるうちに何となくできてしまったものだ。こいつの設定を任された場合、同じ僥倖に恵まれる保証はない。
 そこで、彼は買わせないのが最善の策と判断して、「やめとけって。あんな難しいもの。俺だって酷い目に遭ったんだ」と正直に自分の敗北をさらけ出すのであった。
 そこで、近ごろではコンピュータやその周辺機器を購入すると「らくらく設定ビデオ」などというものが付いてくることも多くなった。このビデオの解説を見れば簡単に設定をすませることができますよ、というのが売りになっているわけだ。
 私も何本か持っている。機械を買うと勝手に付いてくるのだ。だが、見たことはない。何しろマニュアルですら目を通さぬことが多いのだから、わざわざビデオをデッキにセットして観る、などという辛気臭いことができるわけがない。実は先日、とうとうISDN回線へ切り替える気になってダイヤルアップ・ルーターを買ってきたのだが、やはりそれにもビデオが付いていた。見ないでいうのも何だが、NAT+やIPマスカレードの設定が、まさかビデオを観たくらいでらくらくとできるわけがないと思うのだが、どうなのだろう。
 しかし、見ないというのは見たくなる魅力に欠けるということでもあろう。企業の思惑としては、ビデオを観て自力で解決できる人が増えればサポートの手間が省けるという利点もあるわけだから、それならもっと見たい気持ちを喚起する工夫をしてもよいように思う。
 たとえば、著名な映画監督を招聘して撮ってもらうなどというのも、そろそろどこかの会社がやってもいいのではないだろうか。
 そういえば、アップル社はアイマックのコマーシャルにジェフ・ゴールドブルーム(最近ではゴールドブラムと表記するのかな)を起用しているのだから、彼を再びクローネンバーグ監督と組ませればよろしい。かつてリドリー・スコットを起用した会社である。クローネンバーグも喜んで引き受けてくれるだろう。

 フェードイン。
 ジェフ・ゴールドブラムがビデオカメラに向って話しかけている。
「最近、どこでも誰でも訊いてくるよね。Eメールアドレスは、Eメールアドレスは、って。僕はアイマックを使っているんだけど、これなら設定も簡単だから安心だよ」
 カメラはアイマックにとまっている蠅に近づく。気づかずに話し続けているジェフ。
「さあ。じゃあ、実際にメールを送信してみよう」
 その刹那、蠅がディスプレイにとまる。はっと息を飲むジェフ。しかし、「送信」ボタンはすでにクリックされたあとである。
 ぶわぶわぶわ。怪しげな音を立てはじめるアイマック。ぼむ。爆音ともうもうたる煙。
 煙の中から現れるは、巨大な蠅男。「じゅるじゅる」

 駄目だ。これではちっとも「らくらく設定」ではない。だいいち、意図するところが不明だ。クローネンバーグなどに頼んだのが間違いだった。だいたい、クローネンバーグが撮ってるから観てやろうなどと考える奴にろくな人間はいない。もっと万人に好まれる監督を使うべきだろう。
 大林宣彦あたりはどうか。彼には熱狂的なファンも多いし、その映像には定評もある。
 マイクロソフトのワードの使い方なんかを彼に撮らせてみよう。

 黒地に白で「A」。ひきつづき黒地に白で「Tutorial」。
 尾道の風景。往来をゆく学生たち。
 放課後。
 理科室に残った芳山和子(原田知世)がワードで一生懸命文書を作成している。
「かた」
 何やら物音。顔をあげる和子。理科準備室へ声をかける。「深町くん」
 割れる試験管。ラベンダーの香り。和子は気を失う。
 翌日。再び、理科室でワード文書を開く和子。
「ない。ないわ」焦る。
 昨日あれほど打った文書が忽然と消え、保存前の状態に戻っている。
 そこへ現れる深町。「芳山くん。君はタイムトラベラーになったんだ」
「タイムトラベラー……」
「そう。今日はほんとうは今日ではなく、昨日なんだ」
「えっ」
「だから、君が作った文書も昨日の状態に戻ってるんだ」
「ほう。なるほど。そう来たか」和子、猜疑の眼になる。「ほんとはワードのバグの癖に」

 これもいかん。文書が消えるバグを時間遡行のせいにしてはいけないのだ。深町め、うまいこと胡麻化しやがって。マイクロソフトの回し者に違いない。
 仕方がない。ここはひとつ御大に登場願おう。アルフレッド・ヒッチコックだ。もう死んでいるが心配はいらない。イタコを頼むとか、「新ヒッチコック劇場」のようにCGを使うとか、いくらでも解決策はあるのだから。

 横顔のイラスト。流れる曲はグノーの「あやつり人形の葬送行進曲」。
 ヒッチコック(声:熊倉一雄)、「みなさん、こんばんは。今日はとても恐い目にあった女性のお話です。最後まで目をそらさないでください。ではまた、後ほど」
 フェードアウト。フェードイン。
 コンピュータに向うマリオン。背後から忍び寄るノーマン・ベイツ。母親のノーマ・ベイツに変装しているため、「いじわる婆さん」の青島幸男に見える。
 ベイツ、やにわにコンピュータの筐体をこじあけ、ハードディスクにナイフをかざす。
 マリオンの顔が恐怖に歪む。ナイフ。劇伴「きゅいんきゅいん」。マリオン叫ぶ。ナイフ。「きゅいんきゅいん」。ナイフ。ナイフ。マリオン。ナイフ。「きゅいんきゅいん」。マリオン。ナイフ。「きゅいんきゅいん」。ナイフ。マリオン。
 ベイツ、逃げるように立ち去る。
 マリオン、慌ててハードディスクをチェックする。ディスプレイにダイアログ。
「ドライブは100%断片化しています」

 む。やっぱり駄目か。ヒッチコックですら無理なのか。
 つまり、まあ、このように、「らくらく設定ビデオ」はちっともらくらくではないのであった。


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1999/12/15
文責:keith中村
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