第290回 親亀こけたら


 確かに数学というのは人間の文明に貢献してきたわけである。数学はあらゆる学問の根幹に位置する礎のひとつであり、我々は数学の恩恵によって農耕や建築をはじめありとあらゆる文化文明を発展させてきた。
 だが、だからといって何でもかんでも数学に頼るのは危険ではなかろうか。とりあえず計算すればよいと考えるのは軽率ではなかろうか。
 かつて、まだウィンドウズが3.1だった時代に、後輩がはじめて自分のコンピュータを購入したと聞いて私は彼に質問した。
「ハードディスクの容量はどれくらいあるの」
「130メガバイトです」
 それでも「大容量」と謳っていた時代である。
「で、メモリはどれくらい」
「はい。8メガバイトです。だから、合せて138メガバイトです」
 彼は何やら自慢げに答えたのだが、私はちょっと違うぞと考えていた。
 確かにどちらも「バイト」という単位で表されるものであるから、足し算することも何となく自然であるように思える。しかし、やっぱりこの計算はおかしいんじゃないだろうか。
 とはいえ、では何故この足し算がいけないのかと改めて問われれば、どうしたことか明瞭な回答にはつまってしまうのであった。現在の数値で考えて、たとえばハードディスクが10ギガバイトでメモリが128メガバイトだとする。足せば10.128ギガバイトである。だが、ハードディスクが10ギガバイトというときにはそもそも数十から場合によっては数百メガバイトも四捨五入しているわけだから、そこに128メガバイトというゴミのような数値を足すのがおかしいのは判る。そもそも「k」の単位をキロすなわち1000とするのかケーすなわち1024とするのかの違いが、ギガ級になるとものすごく大きな誤差になって影響しているという問題もある。だが、そういった誤差の問題以前にすでにしてこの足し算はかなり間違っているらしく思う。
 別の例を考えてみよう。新幹線は時速約200キロである。最近ではもっと速いだろうが、一応そういうことにしておく。そして、短距離走者のカール・ルイスは100メートルを九秒台で走る。計算しやすいように100メートルを十秒ちょうどで走るとすると、時速に換算して36キロである。両者を比較すると、こういうことが言える。
「新幹線はカール・ルイス六人分くらいの速さである」
 言えるけれども、である。言えるけれども、ではそれはいったいどういう意味だ。
 カール・ルイスが六人一斉に走ったら、新幹線と並走できるということか。
 走ってくるのだ。こっちへ向ってくるのだ。あちらから何やら砂埃をたてて近づいてくるものがあるなあ、と見ていると六人の黒人が並んで走り寄るのだ。時速200キロ超で。あっ。あれはもしや。そう。奴らだ。
「ルイス一号」
「ルイス二号」
「ルイス三号」
「ルイス四号」
「ルイス五号」
「ルイス六号よ」
 なるほど、道理でひとり内股走りだったわけだ。そして、もちろん三号はカレーが大好き。
 悪夢のような状況である。クローン技術は人類に禍いをもたらすのだろうか。
 先日、知人が中古自動車を購入した。彼は貧乏人なのかアイルランド人なのか、子だくさんなのであった。それで、七人乗りの大きなワゴンを買ったのだそうだ。数人で集まっているときにその話になり、知人が僅か七十万円でその車を手に入れたというのを聞いた一人が深々と頷いて呟いた。
「安いなあ。ひとりあたり十万円じゃん」
 これもやっぱり何かが間違っている。ケーキやピザみたいに分配するわけではないのだから、平均を出しても無意味だろう。
「ようし。パパは運転席を戴きだい」
「じゃあ、ママは助手席よ」
「あたしは後部座席の右側をゲットするわ」
 ばりばり。みしみし。あたかもハイエナの群れである。お前ら、車の使い方わかってるのか。
「ばぶう。タイヤとボンネットしか残らなかったでちゅう」
 ああっ、赤ちゃん。君まで何てことをっ。
 大学時代に、周囲のもの公認のカップルがいた。男は身長百八十五センチで、彼女であるところの女子の人は身長僅か百四十五センチ。極端なでこぼこコンビであった。初対面の人間がその身長差に驚くたびに、彼ら二人は仲良く声を揃えてこう言った。
「ふたりあわせて三メートル三十センチでえす」
 私はそれを聞いて思ったものだ。引けよ。足してどうするのだ。その数字に何の意味がある。
 だが、もしかしたらその数字にはそれなりの意味があったのかもしれない。
 ふたりで、人間ピラミッドとか組体操とかそういう練習していたとか。
 恐るべし、上海曲馬団。


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1999/12/07
文責:keith中村
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