第29回 立喰い蕎麦


 私の職場は基本的に昼から出勤というところなので、朝は遅い。出勤前に、駅の立喰い蕎麦屋で烏賊天蕎麦に稲荷というのが私の朝食兼昼食である。時分どきの立喰い蕎麦屋というのは戦場である。
 すべては券売機で食券を買うことから始まる。たいていの場合はすでに行列になっている最後尾に並んで待つことになるのだが、見ていると自分の番になっているのに券売機の前に凝然と立ち尽くす人もいる。電車の時間もあるのでなかなか苛々するのであるが、だからといって咳払いなどという大人気ない行為などは流石の私でもせぬ。せいぜい、握り締めた硬貨をちゃらちゃら鳴らして急かす程度である。だいたい、自分の番になってから悠然と財布を取り出すというのが許せん。場を弁えてほしいものである。その点、私などは小銭がなければ、事前に駅前の書店で本を買って、蕎麦代を用意するという周到さである。まさに立喰い蕎麦の鑑というべきであろう。言って欲しくはない。言うなよ。言うな。
 烏賊天蕎麦は三百六十円である。私は流麗な手つきで五百円硬貨一枚と十円硬貨一枚を投入する。これで、百五十円のお釣りとなりめでたく稲荷百五十円也の金額に合致するという手筈である。しかし、こともあろうにこの券売機は人が親切にも十円余計に投下しているにもかかわらず、百円玉一枚と十円玉五枚をじゃらじゃらと吐き出すことがある。もうそんな日にゃ、出端をくじかれた思いで一日仕事に身が入らない。ま、そうじゃなくても身が入らないのだけれど。
 カウンターに並ぶまでがまた厄介である。蕎麦やうどんを啜っている人の背後にぴたりと付くわけであるが、いちばん早く食べ終わりそうなのはどいつだ、ということをカウンターに一瞥をくれただけですかさず判断してその後ろに立たねばならない。初心者のために言っておくと、ここでは決して「いま現在の減り具合」などという目先のことに囚われてはいけない。なんとなれば、僅か四、五本残したうどんを名残惜しげに愛おしむように見つめなかなか食べようとしない不届きものや、残った汁を時間をたっぷり掛けて飲み干すような痴れものも存在するからである。
 たとえ丼に半分がた残していても、その威勢の良い食べっぷりによって着実に先発組みを追いあげ「ごっそさん」と去ってゆく粋な兄ちゃんもいるのだ。そういう粋人を見極める眼を養うことが立喰いそば屋では必要とされるのである。私などは、すでに背中を見ただけで食べるのがはやいか遅いかを判断することができる域まで達している。まさに立喰い蕎麦の権威というべきであろう。言って欲しくはないが。言うなよ。言うなったら。
 立喰い蕎麦に並んでいると、世の中には実にいろいろな人がいるということが発見できる。
 だいたいにおいて、二十代前半の若者は丼を持たぬ。丼に顔を突っ込んで所謂犬喰いという奴をやるのだが、このみっともなさを本人も自覚しているのか、ポーズを付けて喰っている。カウンターに左肘を突いて、斜めに体を持たせかけるようにして喰うのだ。所詮蕎麦を喰っているだけだろうに、犬喰いしている人間の十人に九人までが決まってそうやっている。しかし、注意されたい。だいたいにおいて立喰い蕎麦のカウンターというのは汚いものなのだ。汁やら蕎麦の切れ端やら御飯粒などが散乱しているものなのだ。肘を突いたはいいが、それら食べかすを袖に付着させて途方にくれている図を私は数限りなく目の当たりにしている。
 隣りの人やその丼をじっと見つめながら喰うという人もいる。これをやられたら、なかなか落ち着いて食べることもままならない。箸の上げ下ろしまで見られているような気分になるのだが、ほんとうに箸の上げ下ろしまで見られているのだ。あれはいったい何なのだろう。思うに、自分の食べている狐うどんに加えて、隣りの烏賊天蕎麦を視覚的に味わうことによって「一粒で二度おいしい」効果を狙っているのだろう。ほんとかな。
 蕎麦屋は男の戦場である。間違っても女子供の立ち入る場所でない。だのに。二十年前は女子の人であった筈のおばちゃんなどが時々入ってくる。それらの人々は傍若無人にも自分に流れる時間に従って行動し、場を乱す。いや。女子供は立ち入るなという意見は差別的かもしれぬから撤回しよう。ただ、お願いだから、その紙バッグをカウンターの上におくことだけはやめていただけないだろうか。
 蕎麦屋は戦場だから、男はみんな傷を負った戦士、なのである。戦場で被弾することがあるのと同様、蕎麦屋もやはり被弾の危険に満ちている。「かっ込む」という表現があるように、立喰い蕎麦というのは時間がない人びとが急いで食事をする場所である。中には急ぐあまり別の穴に蕎麦を入れてしまい、ごふごふとむせる者もいる。いや、むせるだけなら許そう。げほ、などという音とともにあたり一帯に蕎麦を飛散させる危険人物もいるのだ。これを隣でやられたらたまったものではない。私などもう何度やられたか解らぬ。「無礼もの。そこへ直れ」などと恫喝したくなることもあるが、ちら、と横目で見ると、眼尻に涙を溜めて鼻から一筋のうどんを垂らしている五十男だったりするので、気の毒になって何も言えぬ。この憐憫が戦場では命取りなのかもしれぬ。命取りってなんだ。
 蕎麦屋で遭遇するはこういった散弾銃による攻撃だけではない。予想外の伏兵もいるのだ。
 いつもと違う時間に入ったためか、蕎麦屋には私のほか客はいなかった。
 カウンターの中にはパートらしきおばちゃん三人が、いつもの時分どきとは違いゆったりと丼を洗っている。私もゆったりと蕎麦を食べていた。
 と、いきなりずびび、とシャワーを浴びた。びっくりして顔をあげると洗い場の蛇口につけられたホースが半ば外れかけて水を撒き散らしておるではないか。「あらあらあらあら」などと言いながらおばちゃんは水を止めた。私はかなり近い位置にいたので、頭から水浸しである。眼鏡には水滴が付着し、前髪からも雫が滴り落ちている。あまりのことに丼を持ったまま呆然と立ち尽くしてしまった。
 おばちゃんたちは慌てた様子で布巾を手にそこいら中を拭きまわっている。ふとこちらに顔を向けたひとりのおばちゃんと眼があった。私は濡れ鼠である。彼女が口を開いた。「あら、まああ」
 私は当然なんらかの謝罪があるものと考えたのだが、続いて彼女の口から発せられたのは予想外の言葉だった。
「田中さん、山田さん。ちょっと、見て。この兄ちゃん、水浸しやがな」
 その声で田中山田両名のおばちゃんが私を見た。
「ああらあ」
「あれ、まあ」
 それから田中山田並びに氏姓不明の三人は「えらいことになってんなあ」とけらけら笑い始めた。
 ちょっと。ちょっと待ってくれ。その対応、いささか間違っているような気がするのだよ、私は。
 だが、思い返せばいちばんいまいましいのは、己が身よ。
 依然前髪から水滴を垂らしながら、片手を頭の後ろにもってゆき、きょろきょろしながら「いやあ、ははは。まいったなあ」などという行動に出てしまったのである。
 あまりに古典的な挙動ではないか。しかももう片手には丼握り締めてるし。とほほ。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1997/11/28
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com