第287回 並べる


 プログラマにとって、ソートというのは基本中の基本のアルゴリズムである。ソートというのは、並べかえのことであり、コンピュータを扱う際にはさまざまな局面でデータを並べかえる必要が発生するのだ。近ごろでは、開発ツールに標準でソート機能が備わっていることも多いため、プログラマがわざわざソートのコードを記述しなくともよくなってきた。何ならソート機能を持ったリストボックスなどを非表示でフォームへ貼りつけておき、そこへデータをがんがん流し込むなどという荒っぽい方法でもソートは可能なのである。だが、昔のプログラマは、ソートを自分で書いたものである。ソートにはバブルソート、クイックソート、ビンソート、クレオソートなどさまざまな手法があるが、今ではそんなものひとつも知らないというプログラマも相当いるのではなかろうか。
 それはそうと、並べかえというのは何もプログラマにとってのみの問題ではない。日常のいろいろな場面で我々はものを並べかえる必要に迫られるのである。
 よく議論されることに、如何に蔵書を並べかえるべきかという命題がある。
 いちばんよく用いられるのは著作者氏名の五十音順に並べかえる方法である。この方法は検索が容易であるのが利点だ。ただし、難点としては赤川次郎と芥川龍之介と阿仏尼がかなり近接してしまい節操のない本棚になってしまうことだ。三毛猫ホームズと「河童」と「十六夜日記」が並んでしまうかも知れないのだから、これは問題である。そもそもそういう節操のない買い方をするのが悪いというべきかもしれないけれど。
 書店で文庫を売る場合には、この著作者順のひとつ上に「出版社別」という括りを入れて、新潮角川講談社集英社など出版社ごとに棚をわけた上で、それぞれを著者名五十音順としていることがほとんどである。ときおり、出版社の区別なく、著者名のみで並べかえている書店がある。司馬遼太郎なら司馬遼太郎だけを出版社にかかわらずまるごと並べているのだ。不思議なもので、そのほうが検索しやすいし、自分ちの本棚だってそうやっていても、書店でこの並びを見るとやけに見栄えが悪く落ちつかない。
 私の知人で、書店でかけてくれるカバーをつけたまま書棚に文庫本を並べている人間がいる。それも、すべて同じ書店のカバーである。つまり、まったく同じ背中の本がずらりと並んでいるわけだ。見栄えという点ではこれほど整ったものはないだろうけれど、いったいどうやって目的の本を探せばよいのだろう。ところが奇妙なことに、この知人はそれら同じ見た目の本の中からきっとあやまたず必要な本を探し出すのだ。
「坊っちゃん、持ってたっけ」
「うん。ここにある」
「ナポレオン狂は」
「ええと。あ、これ」
 書店のカバーをつけたまま並べる人はたまにいるし、そういう人の多くは背表紙に鉛筆でうすく題名を書き入れていたりするのだが、この知人の本にはそれがない。透視しているかのように、目的の本を見つけるのだ。これはかなりすごい能力だと思う。だが、ものすごく無駄な「すごい能力」であろう。
 書籍と同様、CDも演奏者の名前順に並べるのはもっとも妥当なもので、だからこれらは店でも大抵そのように並べてある。
 だが、映画だけはそういう具合にはいかない。だいたい映画の場合には、誰を「作者」と看做すのか判断が難しい。仮に監督が作者だとして、では監督の氏名順に並べるとよいかと言えば、そもそもある程度映画通でもなければ、監督が誰それだと意識して映画を観ないものだから、監督名が判らず探せないことも多くなる。では主演者別に並びかえればどうだろう。この方がまだ探しやすいように思うが、では「真昼の決闘」はゲイリー・クーパーで探せばよいか、グレース・ケリーで探せばよいか、迷うことになるし、「ダイ・ハード」のアラン・リックマンみたいに主演がジョン・ウェインだと勘違いしておれば探せなくなってしまう。そんなわけで、貸しビデオ屋では「戦争もの」「SFもの」「ラブ・ストーリー」などと大雑把にジャンル分けしておいて、その中を題名の五十音順に並べてあることが多い。時には、「戦争もの」の棚で「ジョニーは戦場へ行った」を探していたら、実は「社会もの」の棚にあった、ということも起こるだろうけれど、しかし、この並べ方はまずまず妥当なものだろう。
 私は学生時代、映画のビデオを二千本あまり持っていたのだが、この時は題名の五十音順で並べていた。検索効率の面ではこれは便利なのだが、秩序の面はちょっと困ったものであった。
「エイリアン」と「エイリアン2」が並ぶ。これはよい。「カサブランカ」と「ガス燈」が並ぶ。これも時代や雰囲気が何となく似ているので構わない。
 だが、
「エクソシスト」
「エデンの東」
「エノケンのちゃっきり金太」
 これはいけない。
 たしかに、それぞれに名画である。だが、この無秩序さは何だ。
「麻雀放浪記」
「マイ・フェア・レディ」
「マタンゴ」
 かなりいけない。
「獄門島」
「腰抜け二挺拳銃」
「ゴジラ」
 なぞなぞかしら。
「死霊のえじき」
「死霊のはらわた」
「死霊の盆踊り」
 これは、私が物好きなだけか。
 ともかく、五十音順というのはそのように、有無をいわさぬ力を持っているのであった。
 これらのビデオはよく私を訪れた人間が借りてかえったのだが、あるとき映画に疎いひとりの友人が「や。こういうのも持ってたんだね」と、やけににやにやしながら以下の作品を持っていった。
「制服の処女」
「二十四時間の情事」
「ロリータ」
「処女の泉」
 返しに来たときの顔は、うって変わって残念そうだった。そりゃそうだろうなあ。


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1999/12/01
文責:keith中村
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