第285回 騾馬と源氏


 スタンフォード大学にクヌースといふ数学の先生がゐる。かつてこの先生が専門書を出版しやうとしたときのこと。数学の本なのでたくさん数式が入る。ところが、複雑な数式はなかなか思ふやうに版組ができないんですね。あがつてきたゲラ刷りをいくら校正してもちつとも満足がいかない。そこで、こんな面倒くさいことはコンピュータにでも押しつけてしまへばいいんぢやないか、と考へた。電子出版といふやつです。それで、あれこれ当つてみたが、納得のゆく版下を作つてくれるやうなソフトウェアが見つからない。
 ここからが、この人のすごいところなんだけれど、クヌース先生はそれぢやあと言つて、出版を先送りにし、自分で版組用のプログラムを書きはじめた。で、たうとう本当に作りあげてしまつたんです。そしたらこのプログラムが素晴らしい出来だと言ふんで、どんどん広まつて事実上の標準になつてしまつた。これが、有名なTexです。数学者だからコンピュータにも親しんでゐたんだらうけど、それでも専門家ぢやない。よくそこまでやつたね。私だつたら、出版を諦めちやうかも知れない。
 ソフトウェアにはバージョンといふ通し番号のやうなものがついてゐますが、Texのバージョンはとつても洒落てゐて、最初の版が3、次が3.1でその次は3.14といふ具合に上がつてゆくんです。これ、何だかおわかりですね。その通り、円周率です。今ではたしか3.14159になつてゐますが、さらに洒落てゐることに、クヌース先生が亡くなつたら最終版を「バージョンπ」として、その後は何人たりとも手を加えるべからずと言ふ約束になつてゐるんださうです。
 こんなに洗練された例は滅多にないけれど、他にも私が面白いと感じるのに開発コードがあります。開発コードといふのは、中華料理屋でラーメンのことを「ヤナギ」と言つたり餃子を「コーテイ」と言つたりするのと同じで、製品に付ける社内の符牒です。マイクロソフト社のは特に有名ですね。中にはジュピターやアステロイドなど天体から取つたものもあるけれど、圧倒的に多いのは地名です。デイトナ、シカゴ、ナッシュビル、メンフィス、それにカイロなんていふものあつた。
 このやうに地名が多い背景としては、古代以来の土地信仰に原因があるんぢやないかと私は勘繰つてゐる。土地信仰といふのは土地の霊をほめたたへて豊饒を願ふことで、和歌に土地を詠み込んだのが多い理由もこれです。
 インテル社のコードネームにも、アトランタ、ダコタ、クラマス、メンドシーノなんて地名がある。インテル社についてもつと興味深いのは、デシュート、カトマイ、マーセド、ウィラメット、カパーマインなんてのがあること。何だかおわかりでせうか。もう少し並べてみませう。マッキンレイ、モンブラン。さう。これらは、すべて山や川の名前なんです。昔から山河はとりわけ信仰の対象になりやすかつた。万葉集に、中大兄皇子、つまり天智天皇のかういふ歌があります。

 香具山と耳梨山とあひしとき立ちて見に来し印南国原

 私はかねがね、これを相撲のはじまりだと主張してゐるのですが、「新潮日本古典集成」以外にはなかなか援軍がゐなくて淋しい思ひをしてゐる。それはともかくとしても、壮大な山や川は、巨人信仰といふ要素も加はつて、人びとから信仰や畏敬の対象となりやすかつたのですね。だから、このインテル社の命名方法は歴史的文化的にみてかなりいい線をいつてゐるやうに思ふ。
 マイクロソフトに話を戻すと、ここのコードにはグリフォンだのヒドラだのタランチュラだのファルコン(「コードネームはファルコン」!)なんてのもあるけれど、あれは変にすごんだやうでいただけないね。魁輝や闘龍といふ醜名を聞くと不思議と空疎な気分になつてしまふのと同じで、これは私が徴兵にとられたときに随分ひどいめにあつたので、兵隊ぎらひ軍隊ぎらひになり、たうとう軍隊みたいにから元気だけのものを嫌ひになつちやつたせいだけれど。
 さて、日本のプログラムにもやはり開発コードはついてゐるやうで、秋田とか利根川とかいふのを聞いたことがある。でも、日本にはせつかく和歌といふ大いなる土地信仰の蓄積があるのだから、歌枕なんかをどしどし使つてみたらいいんぢやないかな。田子ノ浦とか高砂とか龍田川とか。相撲みたいになつてしまふけれど。
 ところが、実は日本文化を踏まへた風雅な開発コードは既にあるんですね。
 Gnu Emacsは斯界の才能、ストールマンが作つた文句なしの一級品ですが、このエディターを日本語化したものに、Nemacsがありました。これの3.2.0といふバージョンには針供養といふ名がついてゐた。十二月八日に公開されたから針供養なんですね。といふことは公開したときに初めてこの名を与へられたのだらうから正確には開発コードとは呼ばないのかも知れない。でも、これはなかなかいい名前だね。このバージョンは安定してゐなかつたやうで、このあと僅か二週間でばたばたと三つバージョンがあがつた。次の版は娘道成寺。ちやうど道成寺法要の時期だつたからです。さらに次の版は僅かな修正版だつたので、この名を引き継いで「娘道成寺+安珍」。その次も歌舞伎にちなみ、「明烏夢泡雪」から貰つて夢泡雪。
 いいでせう。何といつても季節感がある。この後もバージョンが上がるんだけど、三月三日に公開されたものが雛祭、六月に公開されたものはまた歌舞伎に戻つて藤娘。風情があるし、美しいし、素晴らしい名前だと思ひます。
 だけど、これくらいで感心してちやいけない。この後、Nemacsは日本語のみならず汎用性を高めた多国語対応エディターMuleとして生まれ変はるのですが、このMuleの初の正式公開版が「桐壺」なのです。その後「帚木」「空蝉」「夕顔」「若菜」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」と続きます。さう、この開発コードは源氏物語五十四帖の名を順に受け継いでゐるのです。
 これを思ひついた人の鋭さに私は感服します。考へてみると、源氏物語にはかういふやうに序数的な使ひ方もあるんですね。もちろん、さうは言つても「澪標」は頭から数へて何番目かなんて咄嗟にわかる人は少ない。そんな人はドナルド・キーンさんくらいぢやないかしら。それでも、「須磨」「明石」より後だから十四、五番目くらいかなと漠然と想像できる。
 投扇興では、扇がこれこれの形に落ちたら「桐壺」で何点、これこれならば「夢浮橋」で何点といふやうに五十四帖からとつた得点体系になつてゐるし、旅館なんかでもそれぞれの客部屋に「玉鬘」「胡蝶」なんて名前を付けてゐるところがある。我々日本人にとつて源氏物語はそれほどに密着した文学なのです。よその国でも、それぞれに国民的文学と呼ばれる財産はあるけれど、このやうに題名を他のものの名に転用するほどの愛され方はしてゐないはずだ。これを知つたらシェークスピアだつてプルーストだつてセルバンテスだつて、さぞや紫式部のことを羨むに違ひない。
 さて、Muleは次の版では「葵」の名を貰ふことになるのですが、「花宴」から「葵」の間は物語の時間で二年空いてゐるんですね。名前は貰つても、そんなところまでは真似しないやうに、この騾馬くんにはしつかりと歩いてほしい。素晴らしい名前とともにますます素晴らしいソフトウェアへ発展してほしいと思ふのです。


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1999/11/26
文責:keith中村
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