第283回 くるくるなのだ


 以前にビル・リッシュマンという、軽飛行機で渡り鳥を先導した人について書いたことがあるが、この人の話をもとにした「グース」という映画をテレビでやっていた。ビル・リッシュマンが直接先導している記録映画もあるらしいのだが、「グース」は彼の業績をモチーフに劇映画にしたものだ。
 事故で母を失った少女エイミー(「ピアノ・レッスン」のアンナ・パキン)は、離婚していた父親(「カイロの紫のバラ」のジェフ・ダニエルズ)の住むオンタリオに引き取られる。エイミーは、森でカナダガンの卵を見つけ孵化させる。やがて成長し渡りの季節を迎えた鳥たちのために、父子が協力して二機の軽飛行機で誘導して南へ渡らせるという内容である。
 何といっても、本当に刷り込みをやっているところが見どころである(最終的には監修にあたったリッシュマンが責任をもって自然に帰したそうだ)。アンナ・パキンを親と思った雛が後を追いかけてまわるところもいいし、合成やCGでなく実際に軽飛行機と鳥たちが一緒に飛ぶところは鳥肌が立つくらい素晴らしい。鳥だけに。劇中では、父親になじめない少女が、渡りを通じて心を通わせてゆくというのがひとつの柱になっているのだが、この少女、鳥たちと飛んでなければ確実にぐれていただろう。飛行少女ならぬ非行少女ってんで、大変なんすから、もう。あたしが手をここにこうやったら、笑うところなんで、お客さんひとつよろしくお願いしますよ。大変なんすから、もう。
 などと三平師匠になっている場合ではない。
 齢を重ねるというのは、やはりあまり嬉しいものではないけれど、世の中は残酷なものでいろいろな場面で年を取ったものだということをまざまざと見せつけてくれる。
 それらのうち、いちばん顕著なものは言葉である。自分より年齢が若い人間の前で無意識に放った言葉が半ば死語と化していた、ということほどやりきれないものはない。私の世代あたりから上の年齢層でいちばん気をつけなければならないのは、「レコード」である。レコード盤は今でも僅かに流通していたり、懐古趣味で復刻されたりするが、もちろんほぼ完璧にCDに取ってかわられている。だが、ついつい「レコード」という言葉を使ってしまう。かつて人力車を意味していた「くるま」が時代とともに自動車を表す語に移行していったように、あの直径十二糎の光る円盤を浸透期に「レコード」と呼びならわしておればよかったのだ。とはいえ、レコードもCDも同じ店舗で取り扱われる商品であるから、それでは混乱して仕方がないので新しい名前を導入するほかなかったのだろう。そうそう。その店の呼び名も困ってしまう。レコードを鬻ぐ店を「レコード屋」と呼んでいたように「CD屋」とすればいいのだろうが、これは何となく座りごこちの悪い言葉に思える。かといって、「CDストア」と言うのもあまりに気取っていて地に足がつかない。「CDストア」などというと、「待望のヌー・スィンゴー。ナアウ・オン・セイゥ」などという中途半端な宣伝文句が頭の中を駆け回って、くらくらしてしまうのである。さらに問題なのは「日本レコード大賞」である。どうすればいいのだろう。
 それから、「チャンネルを捻る」「チャンネルを廻す」という言葉もかなりいけない。ロータリー・チャンネルをがちゃがちゃ廻すテレビなど今時どこにもない。だのに、ついつい、チャンネルを廻すなどと言ってしまうのだ。言うだけなら、よい。「ちょっとチャンネル廻して」そう人に頼むとき、ついつい同時に掌を胸の前に出してはいないか。
 こんな身振り、すでに通用しない時代になっているのだ。若い人が見たら、
「あ、谷啓だ」
「パチンコしたいのかな」
「おっぱい揉みたそう」
「もしや大リーグボールか」
 などと思われかねない。いやいや、若い人はガチョーンや大リーグボールなんか知らないって。
 電話を表す身振りも然りである。
 古い世代では受話器を握っているつもりで、「頬っぺたパーンチ」というように握り拳を顔の脇に持ってくる。若い人は、「ぐわし」の変形のように親指と小指をぴんと立てた拳を顔に添える。手話の「電話」とまったく同じ手振りで、手を受話器に見立てているわけだ。しかし、ここまでは些細な違いであるから構わない。問題はもう片方の手である。若い人は、人差し指でボタンを押す仕草をとるが、古い人間はついダイヤルを廻してしまうのだ。これも若い人が見たら、「蜻蛉を獲っている」と思われてしまうかもしれない。いやだから、若い人は蜻蛉なんか獲らないってば。
 このふたつの事例から、明らかになることがある。
「回転の動きは、進化を遂げると押す動きへ変様する」
 たった二つの事柄だけで、このような結論を出すのは荒っぽい気もするが、考えればこのような例はまだまだある。
 車輪がそうだ。漫画に出てくる未来のエアカーは車輪がなくホバークラフトみたいに空気を押すことで推進しているわけだし、現実にもリニア・モーターカーがある。まあ、あれは押しているのか引っ張っているのか微妙なところだが。
 飛行機もそうだ。かつては回転するプロペラだったのが、今では排気を押し出すジェット機関である。
 まだあったぞ。遊園地で、高いところに昇るのは、昔は観覧車と相場が決まっていた。回転する乗り物である。だが、最近では垂直に昇ったあと、いきなり自然落下するという直線運動のものも登場している。
 このように考えると、CDは回転するメディアであるから、音の記録媒体として進化しきっていないということが言えるのかもしれない。やがては「押す」種類の記録媒体が登場し、CDもそれにとって変わられてしまうのだろう。それがいったいどんなメディアなのかは判らない。
 そしてその時「日本レコード大賞」の意味は再び問われることとなるだろう。


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1999/11/23
文責:keith中村
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