第282回 コロッケ一円之助


 もちろん、命名というのは呪術的な行為であり、我々はそれを知っている。昔は、大切な子供にステなどという名前を付けることもあったらしい。これは「捨てる」の意味であるが、大切な子供が鬼神に掠われてしまう(すなわち早死にしてしまう)といけないから、あえてそういった「この子は重要ではない」という意味の名前をつけることで、鬼神の目を欺いたわけである。モンゴルの人びとは「朝の光に輝く湖」だとか「汚れた豚の尻」だとかおよそ人間とは思えない名前を持っているが、これも同様の考えによるものである。
 タケカワユキヒデはかつて、「名前。それは燃える命」と唄った。我々は名前の重要性を知っているにもかかわらず、時として人を固有の名前以外の呼称で呼ぶ。いわゆる渾名の類がそれであり、渾名はその人の特徴を捉えて付けられることが多いわけだ。しかし、このような渾名以外に、我々は人をその状態に応じて別名で呼ぶことがある。
「あいつは何と言っていた」
「それが、知らぬ顔の半兵衛でさ。話にならないよ」
 という時の「知らぬ顔の半兵衛」がそうである。「知らんぷりしている」という状態を、人名めかしているのだ。こういったものは探せばいくつか見つかる。
 譬えば、横山ノック府知事を「つるぴかハゲ丸君」と呼ぶのもこれに近いかもしれない。
 私の周囲で「やる気なさ蔵」という言い方が流行ったことがある。
「あいつは、まったくやる気なさ蔵だ」
「ああ、俺、もう駄目。やる気なさ蔵」
 これは「やる気なさそう」あるいは「やる気がない」ことを言っているわけだが、「やる気」というのが高木藤木植木などの姓に似ていることを利用して、「なさそう」を半蔵剛蔵勉蔵などの人名に聞えるように濁らせたもので、ウィットに富んだ表現と言える。
 小学校の頃を思い出していただきたい。学級にひとりくらいはやけに成長の早い女子の人がいたぞ、という人もいよう。ひとりだけ他の子供より頭ひとつ分以上抜きんでているような女子の人だ。では、併せてその女子の人がなんと呼ばれていたかも、思い出してほしい。
「ガリ・バー子」
 きっとそういう具合ではなかったろうか。
 もちろんガリバーは、でかい人間ではない。しかし、ガリバーといえばやはり小人国訪問の挿話が真っ先に頭に浮ぶわけで、相対的に巨人なのである。ここで私が驚嘆するのは、その姓と名の区切り方である。「ガリバー」と「子」を連結する場合、区切り方は、
「ガ・リバー子」
「ガリ・バー子」
「ガリバ・ア子」
「ガリバー・子」
 の四通りがある。「ガリバー子」は五文字であるから、これは5−1=4と単純な植木算で求めることもできる。だが、どこで区切るといって、やはり「ガリ」で一呼吸おくのが文句なしに最良の方法だろう。もちろん「ガリバ・ア子」も捨てがたい。衝撃的という意味では「ガリバ」で切る方が勝っているかもしれないからだ。だが、それでは後に続く「ア子」が如何ともしがたく弱々しいのだ。まさに竜頭蛇尾である。仏作って魂入れずである。ところが「ガリ」を名字とした場合、これを聞いた人はそのやや特異な響きに「おや」と傾注する。そして、その「おや」が解決する間を与えず「バー子」というかなりの破壊力を持った名前が耳に届くのである。地震に譬えるならば、「ガリ」は初期微動、「バー子」が主要動ということになる。「ガリ・バー子」はその初期微動継続時間、別名P−S時間が絶妙なのであった。余談になるが、前の国連事務総長ガリは、正式にはブトロス・ブトロス・ガリである。日本人で言えば「高たかし」のようなものか。
 さて、再び小学校の頃を思い出していただこう。やはり、学級にひとりくらいはやけに発育のよい女子の人がいたろう。平たく言うと、その年齢においては人並外れておっぱいが大きい女子の人である。このような女子の人は何と呼ばれていたか。
 ここで、注意すべきことは、単に肥っている女子の人では駄目だということだ。単に肥っていても確かにおっぱいはでかい。しかし、そういった際、人びとは乳ではなくその体格に着目して「デブゴン」という渾名を付けてしまうものなのだ。例外なくそうなのだった。むしろ、もう一度ガリ・バー子を考えるほうがよいかもしれない。ガリ・バー子は成長が早いだけあって、おっぱいもでかかったろう。
 もし、あなたの所属していた学級のゴッド・ファーザーが言語感覚の貧困な者だった場合には残念なことに、「乳でか子」などという心ない命名がされていたかもしれない。
 しかし、「ガリ・バー子」と名づける力量を持った児童がおれば、彼女はこう呼ばれたことだろう。
「ホルスタ・イン子」
 これも、やはり「ホルスタ」で切るのが最良だということが、ご理解いただけよう。
 あるいは、何だかいつも顔色が悪いような子供なら、こういう名前になる。
「デス・ラー子」
 もし、そいつが男だったなら、こうだ。
「ガミ・ラス夫」
 ここで、確認してほしいのは「デス・ラー夫」「ガミ・ラス子」ではなんとなく語感が悪いということである。やはり、女子の人なら「デス・ラー子」、男子なら「ガミ・ラス夫」。こうでなくちゃいけないのであった。
 まあ、こんなことをぐだぐだ書いている私は、もちろん「丸出ダメ夫」である。 


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1999/11/21
文責:keith中村
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