第280回 規則を我等に


 人間は規則が大好きな生き物である。規則や戒律に従わないと生きてゆかれない生き物である。考えてみればこれは当たり前のことで、というのも、人間というのは狼やら蜂やらとおなじく集団で社会生活を営む生き物であるわけで、集団で生きる生物はなんらかの規範なり枠なりに準拠して行動する習性を種として持っているのだ。
 だから、中高生が校則に反撥したり、自由を謳う歌に共感したりするのは、我々の種としての本質から逸脱した異常なことなのである。
 こういうことを書くと、そんなことはない、自由ほど素晴らしいものはない、と反駁するひともいらっしゃろうが、そんなあなたは間違っている。人間、規則に束縛されていることほど気楽で安心なことはないわけで、それが証拠に我々は規則がなければ、そこに自ら規則を作り上げ自己を律するようなことまでやってのけるのである。
 まだ幼い子供だった頃を思い出していただきたい。たとえば小学校の昼休み、あなたは仲の良い友人数名と体育館で遊んでいる。と、ひとりがやっぱり運動場で遊ぼうと言い出し、みんなそれに賛成する。では、運動場へ行こうということになると、うちの一人がやにわに駈け出すのであった。彼は走りながら、こういうことを言う。
「最後のやつはうすのろ」
 機嫌よく遊んでいるのだから、わざわざ面倒臭い規則を作らなくてもいいだろうと思うのだが、どういうわけかこういうことを言う奴がいるのであった。しかも悲しいことに、この言葉と共に残りの子供たちも我勝ちに運動場へ駈けてゆくのである。
 このことから判るのは三つの事実である。人は闇雲に規則を作りたがる。人は盲目的に規則に従いたがる。私はうすのろである。
 アメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」にも同様の場面があったので、これは案外人類の普遍的な行為なのかもしれないし、そうなれば尚更人類が規則好きだという証拠と言えるわけだ。
 さらに奇妙なことに、人はただひとりでいるときですら規則を作るのだ。
 譬えば一人っきりで道を歩いているとき。信号待ちから一歩進み出ようとしたあなたは、横断歩道を見つめてこう考えるかもしれない。
「白いところを踏むと負け」
 そんなことに勝ち負けもないものだろうという気がするのだが、あなたは横断歩道の白い塗装を踏まぬよう不自然な歩幅で歩いてしまうのであった。横断歩道の半ばで「負けた」と呟いている奴がいたら、間違いなくこの手の輩である。
 あるいは、ひとりで遊んでいるとき。ビデオ・ゲームをやっているとしよう。単純なゲーム、昔でいうならスペース・インベーダーだのパックマンだのでは、自機と呼ばれたりする自分の操作できるキャラクターはたいてい三つまでとなっていた。三回やられたらゲーム・オーバーである。
 いつもは上手に操作できるあなたが何故か今日は下手くそである。二つめまでが、ほとんど開始と同時にあっさりとやられてしまったのである。残る自機はひとつ。そんなとき、あなたは両手でぱんぱんと頬を張ったあと、こう決意するのだ。
「これがやられたら俺は死ぬ」
 そんなくらいで何も死ぬことはないじゃないか。しかし、あなたはそう叫んで、ジョイスティックを握るのであった。まあ、こういう場合、大抵はやはりあっさりと三つめもやられてしまうものである。あなたは新たにゲームを開始しながら、また叫ぶのであった。
「今度こそやられたら俺は死ぬ」
 命をいくつ持っているのだ。お前はゾフィーか、まったく。
 中には、あろうことかこんなことを口走る奴までいる。
「これがやられたら地球は破滅する」
 お前は地球人代表に抜擢されたゲームセンター嵐か。そんな、判る人も少ないだろう挿話を引用して突っこみたくなってしまうのである。お前ごときの双肩に人類の行く末を預けてたまるか。
 人間は規則が大好きである。それを我々一人ひとりが自覚してはじめて、人類の未来は拓けるのである。


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1999/11/18
文責:keith中村
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